« 第3回:ティナ・マリーとわたし | メイン | 第5回:アリー・ウッドソンとわたし »
2002年1月 7日
第4回:アトランタとわたし
2000年の1月に元ダンナが仕事でドイツへ行ってしまってから私達は身体だけでなく心まで離ればなれになって、そしてその夏から私はシングルマザーになった。それから何人かの人とデートしたり、かなり好きになった人もいたが実は振られてしまったり、なんだかうまくいかなくて、そうこうしているうちに2001年の春になった。ちょうどその頃私は「淋しい病」にかかっていて、恥ずかしいことに9歳の息子の前で「ママ、淋しいよー。」と泣くしまつだった。実は心から恋人といえる人が欲しかったのだ。
そんな時チャッドに出会った。
初めて会ったのは友人のロビン(ベーシスト)から誘われて入ったOSHUNというバンドのリハーサルだった。
それからもライブの仕事やリハで何回も顔をあわせて、かれこれ3ヶ月後にロビンのプッシュもあり、はじめてのデートをすることになった。場所はロスの有名な美術館でのジャズコンサート。(健全にもまして健全。)もちろんデート前にロビンは「彼にキスするように言っておいたからね。」と根回しするのを忘れなかった。そしてデート当日、コンサートが無事終わったあと食事をしてそのまま慌ただしく別れた。(お互いにそのあと仕事だった。)私としたらなんか肩透かしをくらった気持ちで、ロビンに電話して「だめだわ、手も握らなかったよ。やっぱり彼が私のこと好きだなんてあなたが勝手に言ってるだけでしょ!」それから1、2回会ったが品行方正で優しいのはいいけどなぜかピンとこない私。ロビンもかなりイライラしていて、そうこうしているうちに、運命の日が来た。
仕事でパリに行っていた彼が帰ってくるのだが、ロビンが迎えに行けないので代わりに空港へ行ってくれとのこと。彼女は「彼が到着ロビーから出てきたら、キスするのよ。」と口うるさく私に言い、パリにいたチャッドには「のりこが迎えにくるから彼女の顔を見たらまずキスすること。」としつこくメールを送り、7月2日トム・ブラッドリーターミナルの到着ロビーへ恥ずかしそうに出てきた彼にかけよって私はこう言った。「ねぇ、私達今ここでキスするはずなんだよね。」キスしようとしたら、彼のミッキーの野球帽のつばがおでこにあたって失敗。2度目に無事成功。そのあと、二人で海にいって浜辺を歩きながらいろんな話をした。お互い前の結婚でいっしょだった人が、ミュージシャン魂みたいなのわかってくれなくて結局だめになっちゃったことや、仕事に対する考えかたとか。 話せば話すほど心が暖かくなって、で彼にこう言った。「私年上だし、子持ちだし、わがままだけどこんなわたしでもいいの?」その時から彼は私の人生の1部になった。
さて、表題のアトランタがここで初めて出てくる。読者のみなさんはきっと今頃「おのろけはいいから、早く本題に移って欲しいなぁ。」と思ってることだろう。ジョ-ジア州アトランタは、チャッドの出身地で彼の両親、親戚はみんなここに住んでいる。今まで仕事でいろんな州に行ったけど、仕事で行くと移動、移動でほとんどなにもみることができない。そういう意味では、年末、2度アトランタに行きぐっと身近になった。なにしろそれまではアトランタといえば「オリンピックと風と共に去りぬ」くらいしか思い浮かばなかった私だった。ではここで私のアトランタに関しての感想をどうぞ。
Versityというファストフードの店に行ってメニューを見たらハンバーガーの中味が肉とチリソースだけなのだ。「あ、あの野菜は?」と聞いたらチャッドがニコっと笑って「We don't eat vegetables in the south.」と言う。間に受けた私はその日の夜、彼のお父さんが食事に連れていってやるというので、「あ、あのー野菜のあるレストランに連れていってくれますか?」と本気で言ったら大笑いされた。
2)森林が多い。(285には気をつけて。)
とにかく森林が多い。ロスの生活に慣れている私にとっては車で走っていて景色が変わらないのがもの足りない。木ばかりでランドマークがないのでなかなか道が覚えられない。あと、フリーウェイ285号せんには気をつけて。これは山手線のようなループなので、まちがった方向へ行くとぐるっとまわって最後には目的地に着くが恐ろしく時間がかかる。(実は経験者である)
3)アジア系の人が少ない。
これはたまたま私が行った所がそうだったのかもしれないが、どこを見ても黒人が多かった。なにしろマーチン・ルーサー・キング・ジュニア(以下MLK)の家からすぐ近くのところでコンサートをしたのだがサウンドチェックのあとで、「ねぇ、せっかくだからMLKの家の前まで行ってみようよ。」と言ったら、チャッドから「悪いけど連れて行けない。身の危険が保証できない。」と言われてしまった。まぁそんなところをうろついているんだから、日本人に会わないのも当たり前か、と一人でうなずいてしまった。
4)尊敬すべき南部の女性たち
チャッドのおかあさんをはじめ、おばあさん(二人とも健在)、おばさんたち
なんか共通して芯の強い女性だなっという印象を受けた。とても誇り高く生きてて、家族をとびきり大切にする。これが南部の女というものなのだろうか。 これはここだけの話しだが、おせっかいな私は彼のおかあさんに対して「お皿洗いましょうか?~~~しましょうか?」といつもの調子でやっていて、よかれと思っておかあさんの洗濯物を勝手に乾燥機から出してたたんでいたら、おこられてしまった。「私は自分の洗濯は自分でやるから一際タッチしないでくれ」そういえば、来てから一度もお皿を洗わせてくれないなぁとハタと気がついた。彼のおかあさんに関しては、とにかく家のことに手を出されるのがいやなんだということに1週間たってやっとわかった。
5)ホリデー(クリスマス)を大切にする。
彼のファミリーにとってクリスマス/サンクスギビングは大切なイベントなのだ。日本で生まれ育った私にはどうもクリスマスといってもピンと来ないが、彼等にとってはクリスマスツリーひとつ選ぶのも大騒ぎなのだ。チャッド、彼の双子のお兄さん、
おかあさん、そしてお兄さんの婚約者の彼女と私の5人でクリスマスツリーの売っているファーマーズマーケットへ行った。着くやいなや、チャッドが「ねぇ、この木がいいよ。スマートで形が整ってるし。」というとお兄さんがすかさず「いや、だめだめ。やっぱりボリュームがなきゃ。こっちの方がいいよ。」というと、おかあさんが「これじゃちょっと背がたかすぎるわ。こっちのこれはどう?」と歩きまわること30分。やっと決まった。
私とChayの婚約者である彼女は、口のチャックをかたく閉じてとにかく黙って見ていた。(心の中では「このくそ寒いのに早く決めてくれたらいいのに。。」と思いつつ笑顔を絶やさなかった。 クリスマスといえば、七面鳥だが、クリスマスディナーはどこの家もハムがメインディッシュだった。このローストハムもアトランタでは缶のパイナップルを汁ごとのせ、おまけにブラウンシュガーものせてからオーブンに入れる。これにグリーンピース、いんげんの煮込みとコーンブレッド、デザートはスイートポテトパイ。これはかなりおいしかった。それにクリスマスパーティのメニューには私の作った巻寿司も加わった。生まれて初めておすしを食べた人がけっこう多くて、みんなとても喜んでくれた。
ということで、とりあえず私にとってのアトランタの感想を述べさせてもらった。これから何度も行くことになるし、きっといく度に新しいこと発見するんだろうな。
前々回のコラム(チャカ・カーンと私)で書いたベーシストメルビンに気にいられて、チャッドはチャカ・カーンのドラマーになった。
私は彼は世界一のドラマーだと思っている。彼が叩くとただの4分音符も立体化して飛び出してくる。まぁあまり言うと本人がかなり照れるのでこのくらいにしておこう。
最後に「BABY, I LOVE YOU !!!」
投稿者 admin : 2002年1月 7日 10:53