Melvin Lee Davisインタビュー (1/4)
インタビューの前にMelvin Lee Davisの簡単なバイオです。 16歳のときに、何とバディー・マイルスに見出されて、ニューヨークへ連れ去られた。NYでバディー・マイルスと仕事をした後で、Soul
Train(懐かしいですね)で有名なDon Corneliusと一緒に仕事をするようになった。 Donとは一緒にTV番組用に「Soul
Trainユs A Coming」を作曲したそうです。 その後、チャカ・カーン、ポインター・シスターズ、リー・リトナー、ブライアン・フェリー、デビット・ベノア、ラリー・カールトン、パティ・オースティン、グラディス・ナイトといったビッグネームのミュージシャンのバンドのベーシストとして活躍! 年代順に並べると; PCI:きょうはノリコさんの紹介でインタビューが実現しました。 Doves of Fireのライブであなたのプレーを2度見ましたので、初めて会った気がしないです。 リー・リトナーやチャカ・カーンやサイモン・フィリップスなどの著名アーティストが、なぜ長期にわたってあなたと仕事をするのを望むのか、その秘密を探りたいと思います。 まず、いつどこで生まれたのかから教えて頂けますか? Melvin:1960年にオレンジカウンティーで生まれました。ロサンゼルス郡のすぐ南ですから、いつもはロサンゼルスで生まれたって言ってますけど。 PCI:判りました。 それでずっとロサンゼルスで子供時代を過ごし、16才の時にバディー・マイルスに連れられてニューヨークへ行ったんですね? Melvin:そう、ロックンロール、ジミー・ヘンドリックスだね。(と言ってギターを弾く真似をしてくれる。) PCI:まだ16才だった訳ですが、その時の心境はどんな感じだったんですか? 期待で胸一杯っていう感じ? それとも不安でナーバスでしたか? ニューヨークはジャズの本場ですから、いろんなGreat Jazz Musicianの生のプレーを見聞きして驚いたんじゃないですか? Melvin:正直行って、この時初めて飛行機に乗ったんです。 そしてニューヨークでプロとしての初めての仕事をしたんで、とにかくエキサイティングでした。 そして本当に貴重な経験でした。 最初に7th Avenue Southでブレッカー・ブラザーズを見たんです。 当時、彼らマイケル&ランディー・ブレッカー、ジャコはその頃私のヒーローでした。 毎晩凄い人達がニューヨークでプレーしていました。 最初は驚いたと共に少しナーバスになりました。 ロサンゼルスでは決して彼らを見ることは出来なかった訳ですから。 バディ・マイルスには本当に感謝しています。 PCI:その当時からもうジャズが好きだった訳ですね? Melvin:そうです。そして好きだった素晴らしいミュジシャン達をニューヨークで直に見ることが出来たんで感激でした。 PCI:そもそもバディ・マイルスとはどのように出会ったんですか? Melvin:Toby Wynnというサックスプレーヤーの紹介なんです。 LTD というR&Bバンドで彼は吹いていたんです。 で、彼はバディ・マイルスともよく仕事をしてたんです。 たまたまバディがベースプレーヤーを捜してて、トビーの紹介で弾く事になったんです。 PCI:16才でもうすでにジャズバンドでプレーしてたんですか? Melvin:はいそうです。 元々はゴスペルを聴いて育ったんでそれがルーツですが、16才の頃はジャズに凝ってました。 それからフュージョン。 リターン・フォーエバー、マハビシュヌ・オーケストラ、ビリー・コブハムは最高だったね。 話は反れますけど、Doves of Fireを結成したのはみんなこのころの音楽が好きだったからなんです。 サイモンもルカサーも。 PCI:なるほど。 Doves of Fireのライブは見ましたが感動しました。 その話はまた後で聞かせて下さい。 ニューヨークの話に戻りますけど、結局ニューヨークにはどれだけ居たんですか? Melvin:2週間居ました。 大きなクラブで2週間仕事をしました。 出来ればもう1週間居たかったんです。 というのは帰る便の次の週にブレッカー・ブラザーズやマーカス・ミラーがプレーするライブがあったんです。 ところが、当時16才だった私は飛行機のチケットの変更をどうしていいか判らず、見るのをあきらめてロサンゼルスに帰って来てしまったんです。 友達が、飛行機のスケジュールの変更なんて簡単に出来るのにと呆れていました。(笑) PCI:それは残念でした。 純情で真面目な少年だったんですね。(笑) その後、あの有名なSoul Trainに関りを持つ様になりましたね。 きっかけは何だったんですか? Melvin:これも口コミで私の事がドン・コーネリアスに伝わったんです。 ロン・カーシーっていうスティービー・ワンダー・カンパニーのプロデューサーが友達だったんです。 たまたま、ロンが私のデモテープをドン・コーネリアスに渡したんです。 それでドンが僕に会いたいって連絡をくれたんです。 有り難い事に、僕の友達や僕の音楽を知っている人達が別の人に僕を紹介してくれて、新しい仕事が始まるってことが多かったですね。 ドンと会って、結局彼と仕事をやることになりました。 Soul Train関係では沢山のレコードやTVショーに参加しました。 エンターテインメント産業の歴史の中でドンは革新的な事をやったと思います。 PCI:日本でもSoul Train は大ヒット番組でした。 Melvin:その当時のSoul Trainのテーマ曲は私が作ったやつで7年間使われました。 PCI:ドン・コーネリアスとは7年間も仕事をされたんですか?
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