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2001年9月18日

第三回:ニューヨークの悲劇

当初、今回のコラムの原稿、写真はほとんど準備出来ていました。
僕が参加しているホーンセクションをフューチャ-した70年代を思い起こす ニューヨークのローカルバンドを紹介しようと思っていたのです。
しかし、9月11日にアメリカで起きたテロでニューヨークは大打撃を受けてしまいました。そのバンドでワールドトレードセンター(以下WTC)の中や周辺で演奏した事が多く、未だ、行方不明の方々が大勢いらして救出活動がされている今、自分の中でもなかなか整理がつきません。
ですので今回は、今、ニューヨークに居る自分の身近な事を書きます。
音楽とかけ離れた話になりますが、御理解頂ければと思います。

連載第1回目の僕の写真を見て頂くとおわかりになると思いますが、左後ろに小さくですがWTCが映っています。自宅のテラスから撮ったものなのですが、いつも何気に見ていた景色です。そびえ立つビルをバックにバーベキューをしたり、独立記念日の花火もWTCやエンパイヤーステートビルの夜景と共に楽しみました。写真では小さく写っていますが、肉眼ではもっと近く、大きく見えました。思い起こせば日本から友達が来た時には、よく南側のビルの展望台に一緒に行き、北側のビルでは最上階にあるレストラン&バー(Windows on the world)で演奏した事もあります。400~500人は入るこれ以上は無いという位、夜景のきれいな所でした。それがもう今はありません。家から外を見ていつもあるべき場所に何もない。唯一、あの辺りだろうと思える所からは今も煙が上がり、夜になるとサーチライトで明るく照らされ、ここからでも24時間体制で救出撤去作業が行なわれているのが分かります。

当日ちょうどその頃、僕は車でトライボロ-ブリッジ(クイーンズとマンハッタン北東部を結ぶ橋)をハーレムに向かって走っていました。左手に両方のビルからもくもくと黒い煙が出ていたのが、今でも鮮明に頭の中に焼き付いています。ラジオをつけて事の重大さを知り、後ろからはひっきりなしに NYPD、NYFDが渋滞してる中を行き、僕も1時間かけてやっと橋を渡った直後でした。ラジオからビルが倒壊した事を知り南を見ると、見た事の無い巨大な灰色の雲のような塊が。。。
その直後に全ての橋、トンネル、鉄道、地下鉄が止まり、家まで約10キロの道のりを歩いて帰る事を覚悟しましたが、昼過ぎには一部地下鉄が動き始め、何とか帰る事が出来ました。

翌日(2日目)、地下鉄に乗ると、皆新聞を片手に重く沈んだ様子で、いつもは明るく元気みなぎるニューヨ-カー達から笑顔が消え、街全体を悲しみ、怒り、緊張...とても複雑な思いが覆っていました。地下鉄出入り口、又全車両それぞれに警官が乗っており、運転手もホームにいる人々に不審な人物がいないかをチェックしながら運転し、地上に出ると上空では頻繁に戦闘機が飛び交い、非常にものものしい雰囲気でした。

たしか3日目の朝だったでしょうか。ノドが痛くて目が覚め、外を見ると辺り一面真っ白で、風向きの影響で煙が家の方に来ていたのです。テラスで育っている植物達の葉っぱも灰で覆われていました。
このコラムを書いている現在(9/18)、あれから1週間が経ちますが街も少しづつ活気が戻って来ています。マンハッタン(ミッドタウン)に行く用事があったのですが、もう普段通りの人出、交通量です。僕も最初のうちは暗く沈んでいましたが、現在では今まで以上にやる気が出てきました。
この事件以来、両親、兄弟、PCIのスタッフの皆様、日本、アメリカの友達、ミュージシャンの方々から多数電話、メールなどを頂き非常に勇気づけられました。有り難うございます。
これから入っているギグも最初はどうなる事か心配していましたが、どうやら全て大丈夫そうです。WTC近く、主にトライベッカ地区ではまだクローズしている所もありますが、WTCに比較的近いビレッジ、ソーホーなどのクラブは通常通りオープンしています。まだまだ時間がかかると思いますが、ニューヨークは着実に元気を取り戻そうと頑張っています。

亡くなられた方々に御悔やみ申し上げると共に、行方不明の方々が無事に救出される事を心から願っています。

投稿者 admin : 08:12