2001年8月10日
第二回:夏の暑さと55 Bar、そして原健さんとKen Smith Bass Factory
うーん、暑い。いったいこのNYの暑さは何なんだろうか。このコラムを書いている今現在、夜中の2時を過ぎていると言うのに、外は華氏90度 (32℃) もある。こうも暑いと何もやる気がしない。札幌出身の自分にとってこの暑さは本当に厳しいものである。と、愚痴はこの位にして本題に行きましょう。
先日、いったい何ヶ月振りの事だろうか、本当に久々にライブを見に行った。
人のライブは最近あまり見に行かなくなったものだが、今はカミさんが日本に里帰りしていると言う事で、ふらっとひとりで55 BAR に行ってウェイン クランツ(Guitar)を見に行ってきた。ウェイン クランツ、やっぱり凄いです。凄すぎです。
55 BARは、Greenwich Villageのど真ん中にあり、小さくて古いバーなのですが、個人的にはNYの中でも一番好きなクラブの内の1つです。普段55 BARでは、マイク スターンがタウンにいる時は月曜日と水曜日の晩に、木曜日は 、だいたいウェイン クランツがプレイしています。又、55 BARの回りには多数のジャズ系のクラブがあり、Village Vanguard,Smalls, もう無くなってしまいましたが、ほとんど目の前にSweet Basilもありました。又、東に5分位歩けばBlue Noteもあり、又そこからちょっと歩けばBottom Line, Bitter Endなどロック系のクラブも多数あるエリアです。
あと、今月面白かった事と言えば、日本からバークリ-時代の先輩の原健(たけし)さん(Bass)がナッシュビルのナムショーの前にNYに一週間遊びに来て家に泊まってった事でしょうか。健さんにはロスにいるジンシさんと並んでボストン時代に大変お世話になりました。現在は日本でMisia、m-flo、伊東たけしなどのバックでレコーディングやツアーなど様々な活動をしていますが、NYにいたころはJoan Osborn, Sesame Street, Paula Cole, Steely DanのKeysだったPaul Griffin, Whitney Houstonの母親のSissy Houstonのバンドなどで活躍していた、素晴らしいグルーブ感のあるべーシストです。まあ彼が来ている間、ちょっと話しは飛びますが、とにかく2人で食べまくったと言う感じでしょうか。日本からNYに直で午前中に入って来て、家に荷物をおいて、昼にいきなりPeter Luger Steak House(NYで17年間ザガットのsteak部門で1位を守り続けているレストラン)に行って食べきれない程食べたのがそもそもの始まりで、その後一週間、2人共胃が疲れているにも関わらず、彼の馴染みのレストランに行き続けました。あと、2人で1年に1回は必ず行くのですが、僕の運転でNYから車でだいたい2時間半位でしょうか、ペンシルベニアのとある小さな町にあるKen Smith Bassのファクトリーに行って来ました。
今回はフィリ-ステイクサブを食べたいとの希望により、フィラデルフィアにも寄りました。ケンスミス氏、気さくでジョーク好きで陽気なアメリカ人ですが、一言で言って、こんなに木に対して思い入れがある人は見たことがありません。ほんと、凄い人です。彼のオフィスの壁には彼のベースを使っているべーシスト達の写真などが張られているのですが、その中でも特に目をひく写真があって、実際に彼自身が木を切り取りに行って、その丸太の前で写っている写真は、いつ見ても感心してしまいます。ファクトリーの1階? or 地下?になるのでしょうか、1フロアー全て膨大な量の木の板が、均等にすき間を開けて乾燥されています。ケン自身、その板について全て状態を把握しているところなど、さすがだと思います。健さんはじっくりとケンにアドバイスを受けながら板を一枚一枚慎重に選んで2本オーダーしていました。
これから又、結構忙しくなって来そうです。次回は、それらの幾つかについて書いてみようと思います。それでは、また来月お会いしましょう。
投稿者 admin : 07:58