
Simon Phillips 3/4
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PCI:ベテランのキーボードプレーヤーを期待されてたんですね。 Simon:そうです。 ベテランでプレーも凄くてプログラミングもできる人を期待してたんです。 ところが来たのは24才の坊や。 最初はちょっと大丈夫かなと心配になったんです。 ところが彼と話を始めてみると彼がどんどん年をとっていくんです。 この意味わかります? 彼の頭の中はもう我々と同じレベルなんです。 これは直感的にいけると思いました。 それでツアーでやる曲の中から一曲選び、ジミーと一緒に弾いてもらったんです。 どの曲も複雑で演奏は難しいものなんですが、初見でジェフは一発で弾けたんです。 もう一度やりました。 今度は前よりもっといい。 その後、小声でジミーに「彼どう思う?」って聞いたら、「He is great!」 ていう回答。 それで決定しました。 全員が顔を始めて合わせたのはヨーロッパのツアーへ行ってから。 5週間のツアーがリハ無しで始まりました。 PCI:リハ無しですか? それは凄いですね。 でヨーロッパのツアーの出来はどうだったんですか? Simon:凄く良かったんです。 ジェフは最高でした。 観客のリアクションも大変良かったんです。 このツアーは私が初めて自分のバンドとしてやったものですから、成功してほんとに嬉しかったです。
Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida) PCI:記念すべきツアーだったんですね。 何年のツアーだったんですか? Simon:1997年です。 PCI:ヨーロッパはどこを回られたんですか? Simon:ドイツ、オーストリア、スウェーデン、オランダ、スイスなど、多くの主要都市を回りました。 それ以来ずっとジェフとはやってるんですよ。 PCI:ジェフとCDも出していますよね? Simon:そう、うちのスタジオで録ったですよ。 ジェフはそこにあるピアノを弾き、トランペットがウォルト・フォーラー(Walt Fowler)、サックスがブランドン・フィールズ(Brandon Fields)、ベースがデイブ・カーペンター(Dave Carpenter)で私がドラム。 MIXも全てここにある機材を使ってやりました。 Vantage Pointというタイトルで2000年にリリースしました。 そして2001年の1月にまたヨーロッパでツアーをやりました。 PCI:その時の写真はジェフに見せて頂きました。 観客の反応も大変良かったらしいですね。 Simon:ええ、また我々も大変楽しかったです。 とにかく最近ではジェフと一緒にこのジャズのGIGを色々な場所でやってますよ。 それともちろんTOTOの仕事も。 ジェフはTOTOの仕事も最近一緒にやってくれる様になりました。 TOTOの他のメンバーもジェフは大変気にいってるんですよ。 特にデイブ(David Paich)はジェフのファンなんです。 デイブはもうツアーに行けなくなったんで、替わりにジェフに行ってもらうんです。 ルーク(Steve Lukather)ともこの件では話しあい、ルークも結局ジェフが大変気に入ったんです。 最終的にはデイブの意見を聞こうってことになったんですが、彼がジェフはパーフェクトと言ったんで、ジェフは今やTOTOのメンバーの様なものです。 PCI:地元のライブではデイブが演るんですね? Simon:そうです。 でもツアーへ出る時はジェフに頼みます。 別の私のバンドでジェフとの仕事も多いので、気心も知れてるし。 あ、それからルークも我々と一緒にやりたいってことになり、さっき話してたDoves of Fireというバンドを結成して時々やることになったんです。 ルークがギターでジェフがキーボードでベースはチャカ・カーンやリー・リトナーといつもやってる凄腕のメルビン・デイビス(Melvin Lee Davis)の4人です。 PCI:Doves of Fireは今後も続けられるんですか? Simon:4人ともできれば毎月1回はやりたいと思ってるんですけど、問題なのは4人全員のスケジュールがなかなか揃わないことです。 4人ともそれぞれが別の仕事もあって忙しいので。
PCI:是非続けて頂きたいと思います。 TOTOとしての活動も続けてられますが、TOTOに入ることになったきっかけを教えて頂けますか? Simon:1992年にジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)が突然亡くなったので急遽助っ人を頼まれたんです。 丁度彼が亡くなった時、レコードが製作され、ツアーも全てセッティングされていて、さあリハーサルという時に亡くなったんです。 PCI:それでTOTOの関係者の誰かがあなたに連絡されたんですか? Simon:最初ボビー・キンボール(Bobby Kimball)から知らせがあり、アメリカへ飛ぶ仕度をしていた所、1週間後にルークから電話があり正式に頼まれ、一緒にTOTOとやることにしたんです。 PCI:前からTOTOのメンバーは知っていたんですね? Simon:軽井沢の時にルークとは会ってましたし、アメリカへ来た時にもちょくちょく会ってたんでメンバーのことは知ってました。 PCI:それからTOTOでも世界中のツアーで活躍される様になりました。 特にヨーロッパでものすごい人気となりツアーの頻度も高いのですが、アメリカとヨーロッパと比較してオーディエンスのリアクションは異りますか? Simon:1980年代は違いを感じました。 アメリカのオーディエンスはいつも大きな声とアクションで熱狂的でしたが、ヨーロッパのオーディエンスは比較的静かでソフトでした。 でも90年代には変わりました。 これは日本のオーディエンスも同じですね。 90年代に入ってそういう地域の違いはなくなっていったと思います。 特に、70年代、80年代の日本のオーディエンスは大変静かでした。 しーんとして、どういう訳か必ず皆がどの曲でも手拍子を打つんです(笑)。 これは驚きでした。 アメリカのツアーを終えて日本へ飛ぶこともあったんですが、その頃は本当にカルチャーショックを感じました。 今はもう変わりましたよね。 素直に、自然に音楽を楽しめる様になったんではないでしょうか。 PCI:そうですね。 日本もかなりアメリカナイズされたって事ですね。 ジェフ・バブコや飯島真理さんによると、あなたはドラマーだけでなくミキシング・エンジニアとしてもお忙しいとのことですね。 どういうきっかけでエンジニアの仕事を始められたんですか? Simon:子供の頃から興味はあったんですけど、直接のきっかけはスタジオでドラムを叩くようになってからのことです。 ある時は、私のドラムの音が大変いいんです。 ところが、別の日に全く同じドラムセットで演奏して音が全然良くない日があるんです。 なぜこんなことが起きるのか。 これを追及しようと思ったのがきっかけです。 まず最初に始めたことは、私のドラムの録音にどんなマイクロフォンが使われたかを調べることでした。 どのスタジオに行っても、このマイクロフォンはどのメーカーの何って聞くのが私の最初の質問になりました。 そして全部記憶するようにしたんです。 その次はそれらのマイクをどのエンジニアがどの機材に接続するかを全部調べたんです。 それから、ミキシングコンソールの勉強をしました。 ニーブとかそれぞれのコンソールのメーカーの特徴を調べました。 その次にモニターの特性を勉強しました。 私が機材の勉強を始めた頃はまだ16チャンネルの時代でしたけど、それから機材は凄い勢いで進歩しましたね。 |
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