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Jinshi Ozaki2/4

PCI:本当ですか? どこで板前をやってたんですか?

仁司:僕のホームページでも語っていますが、ボストンで4年間ずっと寿司シェフのバイトをしてました。 バークリーに行くとき親父が、「学費は出してやるけど生活費くらいは自分でなんとかしろ」って言われて.... そういう本人も大学時代はずっとバイトして学費を都合してたという事もあってですかね。 あと「人間はハングリーな程いいものを生むことが出来る」という考え方を持った非常に頑固で厳しい親父だったんです。 生活費を稼ぐために寿司屋でバイトして食いつないだんですよ。 そういう過去の経験を行かし、料理好き、もてなし好きも手伝ってか音楽を放れて友達付き合いする時に、僕が出来る事で喜んで貰える事ってなんだろうって、じゃ、彼等を招いてご飯をご馳走しようと思ったんです。数々の僕の得意料理と酒を囲んで大好きなジャズをバックにいろいろな話しをして盛り上がっているうちに和やかな何かこういい時間が流れるんですよ。ギグ以外の場所での付き合いっていうのもいい交友関係を保つのに大切な事だと思います。

PCI:手料理をご馳走されたんですね? それは喜ばれたでしょう?

仁司:そうですね。そうこうしているうちに「よし。じゃ、一緒に練習しよう」っておもむろに楽器持ち出してきてやはり最後はジャムに突入って感じで夜がふけていく.... 今でもケニーやロンやスコットキンゼイ(トライバルテックのキーボード奏者)とはそういう付きあいが続いてるんです。 

PCI:ケニー・ギャレットとはその後もよく演奏されたんですか? 印象に残っているのは何ですか?

仁司:ケニーはニューヨークに住んでるんですけど、95年にロスに来てCatalinaっていう店に一週間出演していた時、「ギター持ってやりに来いよ」って電話して来てくれたんです。 その時のメンツは僕がアイドル視しているケニー・カークランドっていう今はもう亡くなっちゃったジャズ界の大御所ピアニストとテイン・ワッツっていう凄腕のドラマー、ナット・リーブスっていうケニーの友達のベースプレイヤーなどでした。 そこへ僕が入って彼等とワンステージ全部やっちゃったんですよ。 
PCI:それは飛び入りだったんですか?

仁司:飛び入りなんですけど、最初の機材のセッティングから一緒に参加してバンドの一員としてやらしてくれました。 この時が今までやった中で一番緊張したショーでもあったし、一番なんかこう納得の行くプレイが出来たショーとしても今でも記憶に新しいですね。 普通そういう凄腕の人達とやる時って、引っ込み思案になるじゃないですか。 こんな人とやっていいのかなみたいな。ところが彼等の凄いところは、非常にリラックスした空気を作ってくれて自分がベストの状態で弾ける様にしてくれるんです。 僕がソロとっていてる時に、ノッて楽しんでいる様なアクションをしてくれたりして。 終わった後気持ちよくプレイ出来たなという何とも言えない満足感があるんですよ。 またケニー・カークランド(Piano)に「いや〜、僕ギターとやるの好きなんだよね!」って。 そんな風に気さくに誉めてくれるのって嬉しいですよね。 心に余裕があるんですよ、本物の演奏家は。 

PCI:LAに来て知りあった黒人のミュージシャンとの付きあいが今の活動のルーツみたいなものですね?

仁司:そうですね。 で、そうこうしているうちに、いろんな他の白人系のクラブにもジャムセッションできる様にネットワークが拡がったんです。 もう度胸ついちゃってますから、「とりあえずアンプとギター持ってもうどこでも行っちゃえ」みたいな。

PCI:危険なサウスセントラルでやってた訳ですから、もうどこへ行っても恐くないですよね、(笑)

仁司:そういう度胸って言うんじゃないんですが。(笑) 白人系のクラブっていうのは、また全然違うミュージシャンが来てるんですよ。 派閥も違うし、客層も違うんです。 その場でどうやって自分をエクスポーズするかが大切なんですよ。 白人の方が黒人より偏見があるかなって感じた事も多少かありましたね。 でも結局ミュージシャンは、みんな音を出す人間同士、だんだんとひとつの友達関係みたいなものを築けて、今では仕事の50%ぐらいは白人ミュージシャンとしています。

PCI:今はそういうライブでの仕事が主な活動なんですか?

仁司: そうですね、ツアーとライブ(タウンGIG)が主です。 でもライブって言っても、そんなに金にならないじゃないですか。 厳しいですよね、ライブだけで食いつないでいくの。 ツアーに出るとなかなかいいお金になるんですけど。 できれば、スタジオとか映画音楽関係の仕事なんかも欲しいなと思ってるんですよ。 と言ってもいろんな人のアルバムに参加したりスタジオセッションをやったりと経験はあるんですけど、その道では名のある人がLAにはたくさんいますからね。 本当の意味でその派閥の中に入って行くのはなかなか難しいです。

PCI:ではそれ以外にどんなプロジェクトをやられたんですか?

仁司:これも95年の話なんですけど、また黒人系のコネクションで、カーク・ウェイラム(ホイットニーヒューストンの元サックス奏者)っていうとってもソウルフルでゴスペルミュージックをルーツに持つサックスプレーヤーがいて、彼がギタリストを捜してたんです。たまたまそのバンドのベースプレーヤーが知り合いだったので、自分の事をリコメンドしてくれたんです。 カークの事は前からレコード等で知っていてとても好きだっ たんでもう待てなかった、それでカークに直接電話したんです。「君のベースプレーヤーからギタリストを捜して るって聞いたんだけど、僕のデモテープ送っていいかな?」そしたらたまたまカークがロン・ブラウンのバンドがパサデナ・ジャズフェスティバルに出演した時の演奏を観客で聴いてたんですよ。 「いや、おまえの演奏ロンのバンドで聞いたんだけど、すごくいいよ。Sounds Great! 君がやってくれるんだったら、デモテープなしでも雇うよ」って言われたんです。 「でも聞きたいからデモテープやっぱり送ってくれ」って。その後送りました。

PCI :95年のツアーですよね?

仁司:そうです。95年は音楽的にいろんないい事が始まり出した年です。

PCI :CATARINAでのケリー・ギャレットとのGIGも95年でしたね。 他には何が始まったんですか?

仁司:カーク・ウェイラムのツアーから帰ってきて、結構もうプロのキャリアとしてすごい事をやったなっていう満足感と自信が出来た頃、その時に僕の友人の日本人が仕事の話しを持って来たんです。 神保彰さんていう元カシオペア凄腕ドラマーのUSツアーがあって、ギタリストを捜しているという事だったので、タダでもいいからやるよって言ったんですよ。 運良く神保さんは既に僕の事を知っててくれて、「小崎君がやってくれるんだったら頼もう」って決まっちゃったんです。 僕はタダでやりますって言ったんですけど、お金はちゃんと払ってくれましたね、(笑) それで神保さんのバンドのUSツアーに参加する事になったんです。他は全員アメリカ人プレーヤーが起用されました。