2005年1月 5日
第21回『2005年が始まりました、その前に2004年を振り返って』
皆さん謹賀新年!
2004年は後半に入ってから台風や地震、地震による津波などの災害続きでしたね。この場で亡くなった方々へのお悔やみと被災された方へのお見舞いを申し上げます。そして被災地の一日も早い復興を。そしてあらためて2005年を迎えられたことには感謝して。
個人的に昨年後半を振り返ってみると、とても充実していました。夏場以降にはCOUCHでの地方演奏が頻繁に。札幌でのライヴをはじめ、マンスリーライヴのために毎月関西方面に演奏に行きましたが、結構自営状態のこのバンドでのツアーは音楽事務所やレコードメーカーにサポートされて行くツアーに比べるとなにかと大変な面もあるのですが、楽しい事のほうがほとんどでした。
移動は当日の現場入りがほとんどなので朝の5時6時に出発し、場合によっては演奏終了後に即会場をあとにするということも結構ありましたが、高速道路のどこそこのサービスエリアのなになには美味いとかいったちっちゃい幸せのありがたみやドラマー小島君の持参するコンパクトDVDプレイヤーによる映画鑑賞(勿論、運転者は音声のみというストレスの発生がありますが)、周りを気にする事の無いばか話なんかで飽きる事無い時間を過ごせました。また車移動の為に、帰り際にちょいと「あそこに寄っていきますか」といったことも可能ですしね。
実際、そういったツアーは沢山の人が当たり前にやっているし、もっとキツイ行程やなんかも普通なんだろうけど、暫くこういったことをやっていなかったので新鮮だし、演奏旅行を始めたばかりの事を思い出したりしますね。
そんなこともあり、昨年最後の大阪行の帰りには念願の大阪万博公園にて『太陽の塔』と35年ぶりの対面。
何が「念願の」かっていうと、ココ数ヶ月の個人的な大阪万博ブームというのが関係してまして、詳しくは僕の個人ホームページを読んでいただけると......。
35年ぶりの万博会場は、といえば、閑散としておりました。万博をやっていないのだから勿論なのですが、太陽の塔もお祭りのシンボルとして立っているのではなく遺跡感が漂ってますね。まるで奈良の石舞台古墳のような印象も受けました。
但しその巨大さと岡本太郎デザインによるその造形の素晴らしさはいわずもがな。そんな一抹の寂しさ漂う元万博会場はそれでも公園としての役割を果たしているために、ぱらぱらと散策する人は見かけます。併設の博物館や遊園地もあるので、休日になればそれなりに人は入るのでしょうなぁ。僕以外の2人(小島、平泉)は大阪万博というものには直接縁が無いし、おそらく漠然とした『太陽の塔』のイメージしかなかったので、なんだか1人で嬉々としているのがはばかられたが、2人ともその現物の『太陽の塔』にはさすがに驚
き、感嘆してくれたので良かった。
変わって、サポートとして関わったTICAは11月に3箇所をツアーで周り東京の青山CAYでのイヴェント出演でもって昨年は締め。ツアーはひたすら酒を飲んでいた印象が.....勿論演奏も最高に楽しく、良いものだったのだけれどもなぜだか演奏終了後は平均して8時間はアルコールを摂取していたのではなかろうか?いやこれこそがいいツアーをやっていたという事の裏返しなのだ、と勝手に納得しておこう。酒呑みまくるのが良い打ち上げとはいえませんが。そのツアー以後、彼らは新作に向けてのデモ作りに入ったりしており(僕もちょっとお手伝いをさせていただきました)TICAも年を明けてからはまた新たな展開があるようなので期待したいです。
長年続けてますシアターブルックは昨秋からようやく新作の製作に入りまして、12月中にはほぼ録音作業を終了、ミックスも半分以上終える事が出来ました。久しぶりのアルバムを今年の夏前には発表できるのではないかと。良い意味での長年一緒にやってきている熟成感や演奏の旨味があふれる仕上がりになっており(メンバー皆さんの忙しいスケジュールを縫って録音されたわけですが、短期間で凄い集中力)とても良い出来だと思います。更にバンマスのタイジ君もプライヴェートでの大きな出来事があったことだし。今年のシアターブルックはまた一皮向けて皆さんとお目にかかれるのではないでしょうか。シアターは1月23日には昨年の中越地震被害の支援イヴェント、2月19日に新宿でのライヴが決定しております。
と音楽関係にて年末を振り返って見ましたが、年を明けた正月は実家に帰って駅伝見物に行きました。毎年恒例にしているのですが、実家のそばを走っていくのです。自分の母校も今年は久しぶりに登場したりして。懸命に走るランナーを目の前に見ながら、今年も頑張らねば、と自分に言い聞かせた次第でございます。というわけで、本年も宜しくお願いいたします。
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投稿者 admin : 05:34