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2004年9月10日

第20回『ここ数ヶ月の動き』

日本国のバックグラウンドミュージックが蝉からコオロギへと変わった今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?すっかりキーボード不精になってしまっている私、やっとの更新を.....。気になって自分のバックナンバーをチェックしたところ前回は4月頃、更にその前はなんと去年の12月、という事に気がつきまして、大層、申し訳ないことをしているのだな、と反省しております。と、こんな事を書くのは毎度の事ですが。

一応、時系列に沿って近況を書いていきますと、前回「ケン玉ブーム」で締めているのですが、そのケン玉、最近はすっかり棚の上のオブジェと化してます。「ケン玉検定」とか言ってましたが、残念なことに、その頃の熱はすっかり冷めているのが事実です。と、思いつつ、あらためてその和の心に満ちたオブジェを手に取ると、そこそこやる気になって、いくつかの技を試みたりしてみますが、こういうもんは続けてやらねば更なる進歩はありませんね。まぁ、やらなくなった理由のひとつが夏場の暑さ、というのもあるので、また熱がぶり返すかも知れませんが、まじで検定に行く、ということになるかは自信が持てません。そのケン玉ブームの頃に録音していた「COUCH」の新作「BLOW」はついこの前にトキオラレコードというところから発売になりました。よかったら聞いてみてください。いい作品ですよ。COUCHはこの新作の発売もあってか、嬉しいことにホームグラウンドである東京以外の場所(といっても今のところ関西方面だけですが)でのライヴやCDショップのインストア演奏がありまして、先日は大阪にて2日間の演奏を行ってきました。レインドッグスとセカンドラインというハコで演奏したのですが、なかなか楽しくよい演奏だったと思います。まだまだこれからのバンドなのでこういった遠征を大事にしていきたいです。

この大阪のミニツアーの合間にはちょっとした観光なんかもしまして、大阪では天王寺で串カツを食べる、というコースにでました。串カツ初心者のわたくし等は串カツ中級者であるドラマーの小島氏に連れられ天王寺に向かったのですが、中級者である小島氏の案内の元、通天閣を訪れたりもしました。

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天王寺への案内をする小島氏

通天閣といえば大阪のシンボル、なのかどうかはわかりませんが、「大阪といえば通天閣やろ」と呪文のように唱えながら雨の中、我ら一行はその姿を仰ぎつつ、中に入って見ることにしました。まず、エレベーターにて2階に上がったのですが、ここはこの更に上の展望台に上がる第一の通過点でありまして、ここまでが無料となっています。この上に行くには有料となっていまして、ケチな我らは600円という額にもかかわらず「うむ、残念、時間も無いし」とか言いながらたったの2階部分を数回意味も無く周回し70年代テイストに満ちた客寄せの品やアトラクション、80年代テイストばりばりのみやげ物を冷やかしただけにとどまったのでした。

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通天閣内の変な鏡で遊ぶ

その後目当ての串カツを食すべく天王寺の中心のモールに向かい、中級者小島氏お勧めのお店に。これがまた人気店らしくて外に20人ほどの行列が出来ています。ここで我らにはちょっとした問題が。大体において、こういった並んだ状態は2、3人が新たに入れ替わって行くものであり、我らのような5人がいっぺんに着席出来る、ということはまずありません。勿論テーブル席がある店の場合は可能だったりしますが、串カツ屋のほとんどはカウンターのみであり、当然のことながら、この店もしかり。そこで小島氏とわたくし、ボーカルギターの平泉氏と一緒にきていたエンジニア小寺氏、レーベル関係者の松見嬢という2組に分かれたのです。そして我らのカウンターに座れる順が回ってきて、先に小島、中條組が着席、一足先に串カツを頂戴することになりました。大層おいしかったです。さらにこれがまた安くて満腹になれると、大満足。「もう十分だね」と一息つき、後続の平泉、小寺、松見組もたらふく食って大満足じゃなかろうかとカウンターを見渡してもその姿が見えません。いやな予感がして外を見ると、我ら2人が入ってから30分は経とうかというのにまだドアの外に並んでいるではないっすか。恨めしげな平泉氏の視線....。小島、中條組が食うだけ食ってもう出ようとしたときに、やっと彼らは入店を許可されのです。しかし、串カツのうまさが、かれら3人の立腹をおさめたようで、「いやぁ、オイシカッタねぇ」ですんだのはなによりでした。串カツ事件もあったCOUCHですがこの後も今月末、10月、11月にはまた関西方面に出向く予定となってます。さらには9月の24日に札幌にてライヴ。

さてこの関西行とは前後しますが2月からサポートしていたTICAも何本かのライヴを行ってました。定期的にやった六本木ヒルズにあるハートランドというバーでのライヴはかなりトレーニング的というか、あまりライヴを聞きに来る目的でない六本木に集う外人ヤンエグがお客様のほとんどでして、ほぼBGM状態。そしてスタンダードなナンバーを演奏するわけではないので全く我々に関心を示すことなく、でかい声でビジネス話や与太話を曲にはお構いなしで繰り広げています。それでもお客様の琴線に触れる事が出来たならばすぐ反応してくれるという、所謂ライヴとは違った楽しく良い経験をさせてもらいました。この何回かのライヴ、実際のところ8月24日に行ったTICAのワンマンライヴに向けてのバンド強化に大変つながりました。その8月24日のライヴはたくさんの豪華ゲストを招き行われましたが、いやぁ、緊張感と開放感がいい具合に混ざった良い演奏だったなぁ。TICAリーダーの石井君からはリフの組み立てや歌とグルーヴの関係等、直接ではなくとも演奏しながらいろいろと学ばせてもらったし。TICAのサポートとしてのライヴは暫くお休みになりますが、年末頃に予定はされているようなので、また楽しみです。

このTICAの石井君絡みで誘われたのがNATURAL CALAMITYのサポート演奏とRiefuという新人女性アーティストのサポート。NATURAL CALAMITYはいきなりのSUMMER SHOWCASE 2004という広島での野外フェスだったのですが、ちょいと交通の便が悪い能美島というところで行われた為、2泊3日の小ツアーとなりました。

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能美島の海の蛎棚

規模としてはそんなに大きなフェスではなかったのですが、良い場所、良い面子のなかなか充実したものでした。しかし出演時間帯の関係もあって、大層ステージ上が暑く参りましたよ。熱射病になるかというほどで、演奏中にあまり動かない私でさえ滝のような汗が出るわ出るわ。でも観に来た人達は皆元気、おお盛り上がりでした。このイヴェント、宿泊が近所の簡保の宿ということで、メンバー4人が家族用の部屋に雑魚寝だったり、海水浴行ったり、食事時間がきっちり決まっていたり、大浴場があんまり大じゃなかったり、期待していた打ち上げBBQ大会がちょいとしょぼかったりとありましたが、普通の家族旅行と演奏旅行が混ざったおもろいツアーでした。

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広島のイヴェントSUMMER SHOWCASE

NATURAL CALAMITYではつい先日9月12日に東京の新木場で開催されたRAW LIFEというフェスにも参加しましたが、なんだかとってもゆる~いフェスでして、いろいろとフェスの基本的なクリアすべき問題があったのですが、初開催なので今後に期待。続けられるのかな? 出演した本人的には楽しくNATURAL CALAMITYでの演奏が2回目という事もあって前回よりも良い演奏が出来た気がします。夕暮れ時の素敵な時間帯を頂いたこともあり、寝転がってマッタリとしていた人達にはNATURAL CALAMITY森さんの静かに熱い歌声と演奏が最高に気持ちよかったはず。Riefuのサポートは都合もあって名古屋で8月11日に行われたイヴェント出演一本でしたが、少ないリハながらも彼女の良い歌良い曲を初めて観たお客様に伝える為のサポートがちゃんと出来たのではないかな、と自分では思っておる次第。

シアター関連の話が実に少ないですが、実際のところ7月に仙台のスポーツパークでのイヴェント出演、8月に大阪でのイヴェント出演があっただけと、ちょっとさびしい感じではあります。仙台は車で日帰りという強行軍でしたが、手作り感あふれるイヴェントは主催者さんの気持ちの良さと共演アーティストの気持ちの良い演奏で疲れたけれど楽しかった。大阪ではゲストヴォーカルにレヨナちゃんを加えての演奏でしたが、ダブルヴォーカルになっているシアターが普段とは全然ちがって新鮮でした。レヨナちゃんの歌がまたシアターの曲や演奏には良く合うと思うし。10月9日にまた仙台の別のイヴェントに出演する事が決まっているのですが、このときもレヨナちゃんや新たなゲストヴォーカルの方と絡む予定。これもまた楽しみです。

あとシアター関連ではタイジ君がプロデュースしたいくつかの曲のレコーディングをしました。諸事情の関係もあってこの場ではっきりインフォメーションは出来ないのですが、今後、発表されては行くと思いますのでお楽しみに。

たくさん楽しい事の続いた5ヶ月あまりでしたが、その合間にはアテネオリン
ピックにどっぷりとはまっていた訳でして。ほんとはそれについても書きたいのだが、だったらマメに書けよ、と自分に突っ込む今日この頃です。

投稿者 admin : 2004年9月10日 05:04