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2002年11月 6日
第12回『てくのろじーってすごいね』
しかしまぁ便利な世の中になった、というか音楽制作現場もここ何年かでえらく変ったというか.......。
って何の話しを今日はしようとしているのか?
ここの所のワタクシは夏から秋にかけての日々をいくつかのレコーディングに費やしていたのです。レコーディングといえばアナログ、デジタル等のテープに音を取り込んで行くものとワタクシがこの世界に入る前からも入ってからも決まっておったのです。
ところがこの数年、ある変化が起きて、いや起きると同時に圧倒的なスピードでもって音楽制作業界に浸透して行った事があります。ハードディスク・レコーディング(ここではProToolを指します)ってやつです。所謂、コンピュータベースのレコーディングシステムなのですが、これにより元来は不可能に近い事が可能となり、相当な時間と費用をかけねばならなかった事が一瞬の内に出来てしまうという、それは恐ろしい、いや便利な状況が生まれました。
ここにあるバンド、仮に白河グループとしましょう、があったとします。
白河グループは今日レコーディングがあるのでスタジオに入りました。メンバーはそれぞれベーシックのリズムを録る為にブースに分かれ、散々リハーサルを繰り返した曲を録音開始。2、3回録音を繰り返すうちにナイスなテイクが録れたので「これを基本で、あと細かい所を録り直す人は録り直しましょう」という事になりました。
ここまではテープに録っていた頃もハードディスクに録っている最近もあまり変りはありません。というか、ベーシック(ドラム、ベース、ギター、歌等)は一旦はアナログレコーダーに録る場合が多かったりします。
この後、この白河グループのベースのT君は自分の演奏の内、1番の4小節目がどうしても気に入らないので「すいませんが1番のAメロ4小節目をもう一回」と言い、レコーディングエンジニアさんの「用意ができましたんで、何時でもどうぞ」の声に「じゃ、お願げぇしますだ」などとのやり取りの後、録音し直します。無事にお直しが終わったので....ここで今までのテープに録る場合の問題点として、このやり直しのテイクというのが、新たなトラックに別に割り当てられたりする為、その回数は空いているトラックの数に左右されたり、あるいはやり直す前のトラックの上から書き直すという事になっておったのですがハードディスクの場合はその容量に左右はされてもほとんど無制限といっていいのです。しかもさんざんやり直した挙句「やっぱり30回前にやったやつにします」等と言う(まぁこんな事はあまりないとは思いますが)、ワガママ言い放題。
その後、ベースのT君は自分のパートが録音し終わった後、タバコなんぞ吸って寛いでいる時に、あるアイデアを思いつきます。
「そうだ、サビの前のベースのフィルインを逆回転にしてみてはどうだろう」そんな逆回転なんて、面倒くさい事を言われたエンジニアのK氏は「後にして下さいよ...」と言いながらムカツイタのでしょうか?しかし、彼は事も無げに「じゃぁちょっとやってみます」と言ってハードディスクレコーディングの作業展開を映し出しているPC画面の左上隅にあるメニューなんぞをクリックして、フレーズリバースのダブルクリック。わずか数秒でサビ前のフィルインは逆回転になってしまいましたとさ。
これをプレイバックして聞いた結果、他のメンバーの「ダサいんじゃない?」の一言でしょぼくれたT君は「やっぱ辞めときますわ」と言い、K氏に「元に戻して下さい」と、またまたワガママを...。しかしワガママをワガママで無くすハードディスクの世界。一瞬後にはフィルインは元通りに戻っていたのでした。
ちょっと自分のアイデアが失敗したことで落ちこんでいたT君は10分も経たない内にまたしても思いついてしまいました。「あのぉ、ギターソロの所のベースをフェードインしてくれませんか、尚且つその最後の所でディレイをかけてですね、そのディレイ音を切りとってディレイ音とその逆回転の音を1小節ごとに交互にループさせて見るとどうっすかねぇ?」
とんでもなく面倒くさい注文です。今までの録音スタイルならば「そんなこたぁミックスダウンの時に言ってくれや」と、エンジニアさんに飛び蹴りでも食らいそうです。仮にやさしいエンジニアさんが「じゃあやってみますけど...」と言ったとしても、まだベーシックパートを録った段階でフェードインはフェーダーを手でいじりながらのシュミレーションだったり、フレーズを外部サンプラーに取り込んだり、エフェクターを結線したり、下手すりゃ小1時間は掛かってしまうやも知れません。しかし、そんな事もあっという間に出来てしまうのです。上に書いた注文は実際ちょっとは面倒くさいですけど。
更に恐ろしいことに....。
例えばT君の弾いたフレーズがT君の生まれ持ったリズム音痴のせいか、モノの見事に他のパートと32分音符ずれていたとします。これもチョチョイと直してしまうのです。ハードディスクレコーディングの場合、録音したフレーズはPC画面上に棒状の波形の塊となって表されますが、それをぐぃーっとマウスでもってドラグ。他の皆さんのパートの頭の所にピタリとT君のフレーズを揃えることが出来てしまうのだ。
もっと恐ろしいことがあるのだ....。
T君はフレットレスベースを弾いていたのだが、なんだかAメロの12小節目の3拍目の音程がヤバイ、と言う事に気がついてしまった。これはもうベースの録音が終わって暫く経ってから気づいたので、終わってホッとしてしまっていたT君、ベースは勿論ケースの中へ、アンプは邪魔っけなのでスタジオの隅の方へ、もはや録音時のセッティングは思い出せず同じ条件下でのやり直しは不可能である。どうするT君。最初から録り直すかT君。
そんな悩みをエンジニアK氏にこっそり打ち明けたT君は数秒後にあっと驚く光景を目にしたのであった。K氏は例のごとくPC画面左上隅の所をクリックしたりなんやらして、あるエフェクトプラグイン(エフェクトもすんごい一杯入ってます)を呼び出すと、12小節目のフレーズが縦横軸に音程、リズム共に点として表れたではないか。そして、その点をドラグして、『正確な音程はここですよ』というポイントに持って行くと....。
3拍目の音は何事も無かったかのように正確な音程へと鎮座したのであった。
まぁ人間の出す味みたいなものまでことごとく打ち消す事もありうるので、こういった事をやってしまうのが良いのか悪いのか、簡単には言いかねるが、凄い事が簡単に出来てしまうのには単純に驚いてしまいます。
さて、こんな事もありつつ無事に録音を終えた音素材達はその後、そのPC上でミックスされたり、またアナログのミキサー卓に戻されミックスされたりを経て、更にマスタリングによる整音を経て、工場のプレス機を経て、パッケージを纏って、ってまだまだ沢山の行程を経るのですが、最終的に皆様の耳元へ届けられる訳です。
『安い、早い、旨い(かどうか知らんけど)』みたいな牛丼チェーンちっくなフレーズに『複雑怪奇な事もいとも簡単に』というこの現実。インスタントな雰囲気があり、以前からハードディスクレコーディングは音が悪いだ、温かみに欠けるだ、言われたりもするのですが(実際そのように感じる場合もあります)、便利で複雑な事が出来る事を否定するつもりも無いし、むしろ安上がりに済む事が多々あるこの状況で良い音楽が出来ればそれに越した事は無いのだと、ここ数ヶ月感じたのでした。
尚、上にあるT君に関する記述はフィクションも含むのだ。
投稿者 admin : 2002年11月 6日 09:12