2002年5月12日
第8回『僕の黄金週間』
四月の終わりから五月の頭、連休、そうゴールデン・ウィークってやつですよね。 結局、遠出するでもなかったのですが、あまり暦に関係の無い音楽屋さんの端くれが、君がどんな過ごし方をしていたか? という安直なコラムを今回は書かさせて頂きます。
まず5月の1日、実家方面に帰りました。友人が結婚して、その新居にお邪魔しに。 この日はワタクシ1人が行ったわけではなく、他に数人、当時一緒に音楽をやっていた同級生や小学校からの友達、何故か同級生な付き合いをさせてもらっている先輩、そしてその奥さん方お子さん方といった総勢13名。 勿論子供が占める席の面積は大人の半分ほどですが、こんだけの人数が6畳間とそれにつながるキッチン4.5畳ほどの所にひしめき、飲めや歌えや(歌ってないけど)の大宴会になっていたのです。 ワタクシは午後4時に集合の旨を前日に聞いており、それに間に合うように家を出たのですが、何故か久々の地元で道に迷ってしまいまして、勘違いも甚だしいまま迷走、気がつくと現在の実家に移り住む以前に幼少時を過ごした団地の付近に接近している有様。 しばしのタイムスリップ感に酔っていると、なつかしのアパートメントナンバー7、所謂7号棟が....。 こんな事を書いても本人以外は何の事やらですが、まぁ続けさせてください。
まさにそこを訪れるのは30年ぶり位なのですが、既に建て直してあるであろうと思われた棟はどうやら全てが当時のままの様です。 外側の塗装等は勿論何度も塗り直しているでしょうが、各棟の向かいに建てられている長屋状の物置もそのまま、しかも木造と、熱くなる目頭を押さえることしばし。 そして「参ったね、こりゃ」、「ここだけ時間が取り残されているのだろうか?」なんて独り言を呟き、今にも建物の階段出口からタカちゃんやとおる君が顔を出すかと思ったその時、当時の我々の憩いの場であったアパート群の中央に位置する広場が....なんと駐車場になっているではありませんか。 毛虫が一杯いた大きな木も無くなっている。やっぱり今は2002年なのだと実感。更にあの当時は巨大で400mトラックも入ろうかと思われていた広場も実は車10台程が入れば一杯だと気付く。 なんだかよく考えると全てがちっちゃく見える。 これが広い世界を知ってしまった現在ということだろうが、実はあの小さく狭い世界こそが広く豊かな世界だったのではないか....。
その後、30年前から我に返ったワタクシは無事に友人宅に到着。冒頭に書かれている様に、ほぼ1年ぶりに再会した皆さんと酒のみながらの四方山話。リストラされた友人とかいたりして、現在の音楽業界の厳しさも語ったりするワタクシ。 それでも皆、37とか38歳だったりするのに老けこんでいないのには一安心だ。 ワタクシこそが一番老けこんでやあるまいな? その日は結局夜の11時を過ぎてお暇しまして、実家にちょっと寄ってから現在の住家に帰宅、リストラにあったり、ネットのエロサイトで電話代の請求が6マン円も来てしまったり、友人宅で奥さんに怒られたりしていたO村君の心配をしながら床についたのでした。
2日後は5月の4日に行われるミュージックデイ出演の為のリハーサル。 ほぼ1月ぶりのシアターブルックのライヴということなのでしたが、このリハのみ。 果たして大丈夫なのか?という気もしますが、大丈夫なのだ。 こなれたものだが、これで良いのか? まぁ良かったのだ。 シアターブルックというバンドは楽曲自体の構成はしっかり作ってあったりするが、その中で各自が様々な展開や実験が出来る場所でもある。 そういう柔軟さが、少ないリハでも充実感を得られることの一つとなっていると思われる。
5月4日はミュージックデイ。 何故この日がミュージックデイなのか知らないワタクシもどんなもんだかという気もするが、音楽業界的にミュージックの日らしい。 出演は最後ということで入りは最初、11時半に新宿のリキッドルームという現場。 出演順と逆にリハをして行くという良いんだか悪いんだか(スタッフ的には良いのだろう)の為に、リハが終わった1時頃から出演のスタンバイの8時過ぎまで7時間もの時間が空く。 現場の新宿と我が家の距離は小田急線の急行で25分程。 なんだかワサワサした新宿で時間を潰したくなかったのでお家に帰ることにした。 5月の頭にしては暑い中、順調に小田急線に乗車、目指す我が家のある駅に到着。 さっさと帰って昼寝でもしようかなっと! 思ってたっすよ。 切符を自動改札に通して、とっとっこ帰ってちょっとお腹も空いたし、家にあるラーメンでも食べよっ! 思ってたっすよ。
この日は家の同居人さんが歯医者に行く日でした。 ワタクシが帰ってくる頃出かけることになっているようでした。 ちょっと入れ違いになる可能性があったのでしたが、新宿駅に向かう途中に楽器屋に寄ったりせねば、このような事にはならなかったと今でも思います。 我が家のある駅の一つ前の駅にて、同居人から携帯にメールがあり、「今、家を出た」とのこと。 こちらもすかさず「じゃあ入れ違いですな、先に帰ってます」とメール。 ここで気がついていれば「ちょっと駅で待ってて」と連絡出来たのに....。
駅の改札でて300m程で気がついた。
「おれ、家の鍵持って出てくるの忘れた...」
まぁ、誰が悪いって、自分が悪いんだけどさ。 せっかくお家で昼寝の気分になってるのに、ガックリですよ。 それでも、とりあえず何かの間違いで鍵が開いてないだろうか? と玄関先に佇んだりしてさ。 開いていないのにがっかりするやら、世間の常識的にほっとするやら。 そんなこんなで、もう歯医者に到着しようとしている相方に電話すると「どうしようもないので、どこかで時間を潰しているように」だと。 それしかないよね、普通。 唯一、トイレの外側に面した窓が鍵がかかっていないようだが、こんな所から白昼堂々と入ろうとする自分を想像すると、やっぱり出来ません。 肩も通らなさそうだし。 その上、以前テレビでみた『ブラジルで強盗が入ろうとした家の窓に身体が挟まったまま動けないでお縄になる』(しかも、狭い所に身体を通そうとした為に服は脱ぎ、パンツ一丁)という間抜けなニュース映像まで思い出したので、実行に移すのは個人の名誉及びバンドの名誉を考えてやめた。
『シアターブルックというロックバンドのメンバー(37)、パンツ一丁で何故か自宅のトイレの窓に挟まって身動きとれずにいる所を保護される』こんな見出しを想像して見ると最悪だ。 自分の家に窓から入ってもなんの罪にもなりませんけどね。 結局、読みたくも無い雑誌を買って駅前の喫茶店に入り、1時間半程にがいコーヒーを飲んだのだ。 せめてもの救いは相方の通う歯医者が一駅隣という、割と近距離であったっちゅうことか。
「だから昼寝も出来なくってさぁ、しまらない演奏になっちゃったよ」って事にはならず、無事にこの日の演奏も良い感じで出来ました。いやぁめでたしめでたし。 そしてこれ以外の日々はどうしていたか?というと、別に何もせずにウダウダ.......というあまりゴールデンな感じのしない黄金週間。来年こそは黄金色に輝く数日間をすごしたいものだ。
ではまた
投稿者 admin : 08:46