James Demeter氏よりメッセージ
日本の皆さまへ
既にアメリカのプロの間では立証済みの機器、DEMETER製品!
私は1948年にサンフランシスコで生まれました。 今年53才になります。 5才の時、親父が亡くなり、その後おふくろがDEMETERという人間と再婚して養子になりました。 私の本当のラストネームは、KROESENというドイツの名前だったのです。 KROESENというブランドになってたかもしれませんが、アンプのブランドとしてはDEMETERの方が良かったですね。 おふくろが再婚してからはずっとロサンゼルスで育ちました。 ハイスクールに行っている頃からアンプを作り始める一方、ギタリストとして、バンドの演奏活動も始めました。 その後大学では心理学を専攻しましたが、音楽は続け、またラジオ/電話のエレクトロニクスの勉強もしました。
大学卒業後は、ハイファイステレオのリペアストアのマネージャーを勤め、サウンド重視のハイファイオーディオ機器のエレクトロニクスを勉強しました。 また、その頃友人とバンドを結成し、「エメラルドシティー」という名で、キャピタルレコードからデビューしました。 その頃1975年から79年頃まで、LAでは結構人気のあるバンドでしたよ。 ニューウェイブポップのバンドでした。 東海岸までツアーにも行きミュージシャンとしても忙しい時期でした。 その頃、演奏だけでなく、自分達がコンサートで使うPAやスピーカーや器材なども、自分達の納得がいくサウンドになる様に改造とか頻繁にやってました。
そして1979年にレコード会社が変わることになった時、妻が妊娠したので、自分の人生をちょっと考え直したんです。 そしてバンド活動を辞め、器材を設計製作する仕事へ転身することにしました。 最初ジョンカルザースとサンタモニカでまた一緒に仕事始めましたが、その後独立して、MB-2(ミッドブースト)やBEQ-1(ベース用イコライザー)などを開発しました。 それから1984年に、今やロングヒット商品、プロの標準品となっているベースプリアンプとチューブダイレクトボックスを開発したのです。 ライクーダーの要望に応じて、TRM-1(トレモロエフェクター)を開発したのもこの頃です。 私がめぐまれていたのは、その当時、私の従兄弟で、エレクトロニクスの博士がいて、電子回路や設計の面で彼の深い知識が随分役に立ちました。 彼は今やシリコンバレーで大金持ちですが。 私の開発した製品は、確かなミュージシャンとしての耳と使い勝手の良さがベースにあり、それを確かな深いエレクトロニクスの理論が裏打ちしているのです。 それが長期に渡って、著名なアーティストだけでなく、レコーディングエンジニアやプロデューサーに使い続けられる理由と思っています。
私の開発設計思想は、サウンド最重視のハイファイオーディオの思想を、サウンドより使い勝手や耐久性の方を重視していた従来のプロオーディオ機器設計思想に持ち込んだことでしょう。 本物のサウンドがDEMETER機器で得られます。
ちなみに新製品のReal Reverb は、2000年のPRO AUDIO REVIEWで賞を頂き、ジョーチカレリなど多くの著名エンジニアに絶賛頂き、生産が追い付かない状況です。 既にアメリカのプロの間では立証済みの機器です。 必ず日本でもその良さが判って頂けるものと信じています。
James Demeter
2000年1月29日
場所:Vun NuysのDemeter本社にて