2007年6月26日
その12 LA Music Academyの中身。(講師陣)
どうもです!Tatsunoriです。
久々に感じるこの日本のジメジメした気候。
なんだかとても懐かしく心地よくさえ感じる・・・・・・・・・・わけないですね。
では第2部を開始いたしましょう。今日はLAMAの中身について。
入学手続きをすべて終え、ついに入学の日が差し迫ってきました。
しかし、MIはまだ休みに入ってはいませんでした。
時期にズレがあってMIが休みに入った3日後にLAMAの最初の授業がありました。
だから引越しをしたのはまさに最初の日になってしまいました。
たぶん今まで学校が始まる最初の授業で堂々と遅刻したのは僕が初めてでしょう。
・・先生にちゃんと伝えたら分かってくれましたが。
ちょっとLAMAについて話しますと、
どうやらこの学校はメインがドラムらしいのです。
そのため講師、施設そして生徒数は明らかにドラム科がトップです。
まず、LAMAは入り口から入るとまず日本語で挨拶をされます。
MIとは違ってかなりアットホームな感じで受付のあんちゃんは生徒全員の顔を覚えています。
朝番と夜番の2人しかいませんので、さすがに覚えるでしょう。
しかし、双方ともに日本語がうまい。
特に夜番の「マルちゃん」と呼ばれるメキシコ人は日本人学校に通っているどの外人より日本語が話せることは間違いないだろう。
そして、学校自体もMIよりは狭い。
メインとして使われる部屋は5部屋しかない。
ギター・ドラム・ベース・ボーカルの各教室。そして体育館のようなステージ付きの別館。
どうやら今後大幅にシステムを改善するようでいま改築工事が始まっている。
これからはどうなるのかは分かりません。
生徒数もMIとは違ってギター科ははじめ20人ほどしかいませんでした(それでも歴代多いほうだとか)。
LAMAの有名な先生を上げると一番最初に出る名前はやはりフランク・ギャンバレでしょう。
しかし、多忙なためいないときはほぼお目にかかれないとか。
僕のときは運がよく、半分以上授業を受けることが出来ました。
後はジェフ・リッチマン。マイクスターンとバークリーの生徒だったころにルームメイトだったとか。
サンタナやスティーリーダンのトリビューとシリーズのプロデューサー件ミュージシャンです。
あとはデイブ・ヒル、ビル・ファウラー、アート・レンシャウ、スティーブ・フィスター、
ブラッド・ラブーチンそしてロス・ボルトンです。
デイブやロスのようにMIと掛け持ちで教えている先生もいます。授業内容はMIといっしょです。
実は我が師ジンシ小崎さんもLAMAでドラム科のアンサンブルプレイヤーとして来ています。
・・・しかし、なぜジャズの授業ではなくファンクの授業を弾いているのかはいまだに謎で仕方ありません。とは言っても、その辺はさすが一流ミュージシャン。すばらしくこなしております!
名前を聞いてもピンとこないミュージシャンが多いと思いますが、
それもそのはず、LAMAの先生はまさしく腕の良い「先生」が多いのです。
実質の看板はフランクのみと言っても過言ではないのではないでしょうか?
ベース科にはスティーブ・ヴァイとの競演で知られているフィリップ・バイノやジェリー・ワッツなど、
ドラム科にはジェフ・ポーカロの父ジョー・ポーカロやラルフ・ハンフリー、マイク・シャピーロなどがいます。
申し訳ないのですが、ヴォーカル科とはそれほど親交が深くなかったので講師陣はよくわかりません。
MIとは違ってマイナーなスクールなので説明しないとうまく話が進みませんよね。
しかし、ビジターにはジョンスコフィールドやマイクスターンやマイケルランドウも来ました。
他にも多数超有名ミュージシャンを呼んでます。
生徒数が少ないのでそれだけミュージシャンとの交流も多く出来ます。
僕は自慢じゃないですが、マイクスターンにケーブルを貸しました!
そのくらいビジターとも気軽に話しかけられたり話したりできるのです。
LAMA自体はジャズの学校なので、ジャズ系のビジターミュージシャンが多いですが。
・・・はなしのキリを考えると今日はこんなところにしておきましょう。
次回はそんな先生たちと環境に囲まれた授業の紹介をしようと思います。
では!また来週!!!・・・・・・だといいんですが・・・(笑)
投稿者 tatsuxxx : 06:36
2007年6月19日
その11 続き書きます!!(第2部の序章)
こんにちは!
ご無沙汰していましたが、ついに復帰です!!
毎週・・・いや、隔週か・・・と・・とにかくがんばって書きます!!
・・・とはいえ特に自信の生活に変化があったわけではありません。
がんばって書くことによってもしかしたら何かを変えられるかもしれませんね。
・・いわばこれからが本番!!第2章の始まりなのでございます!!
・・・・・・MIを去り、僕はLA Music Academyへと編入しました。
この辺で「そんなに簡単に出来るの?」と疑問が浮かぶ人も多いと思います。
実際のところは入学手続きと変わらないことをします。
編入先の学校に入学願書を取りに行きそれを記入して話を進めて行きます。
ここで、「ビザの変更」の問題が出てきました。
実は同じ音楽学校といえどMIとLAMAはビザが違うのです。
MIは「F-1ビザ」、LAMAは「M-1ビザ」というように同じ学生ビザですが、変えなくてはなりませんでした。
とはいっても、大使館に行くような面倒な手続きは要りませんでした。
ビザとはある人が教えてくれたのですが、日本とアメリカを行き来する鍵のようなものなのです。
滞在するのに必要なものではないのです。
だから、この時点では仮ビザを国(州?)に認めてもらうため大使館に書類を送ります。
この辺の必要な資料などは編入先の学校が助けてくれるので何の心配も要りません。
さっきも言いましたが、滞在するのにはビザが必要なのではなくI-20を発行しなくてはなりません。
簡単に言うとこれは学校が生徒を勉強させるために滞在させますという証明書なのです。
この辺の手続きは車さえあれば楽なものです。
MIとLAMAを行き来して言われるがままに書類を取りに行けばいいのです。
・・とまあ、学校側に任せてしまえばどうにかなってしまうものなのです。
・・・余談ですが、LAMAの一番すごいところは事務所です。
男性であれば度肝をぬかれるくらいオフィサーが美人&かわいいのです。
入り口の案内人は入った瞬間に癒されます。
・・そして、編入などをサポートしてくれる留学生担当の事務員・・・これまた美人なんですよ~・・・
密かに事務所に行くのは楽しみでした。
・・編入手続きが終わったら家を探さねばなりませんね。
言い忘れましたが、LAMAはハリウッドから車で20分ほど離れたPASADENAという地区にあります。
さすがに毎日車で通うわけには行かないし、授業にも空きがありますから何かと不便なので引っ越しました。
最初に引っ越したのは1ベッドルームの小さな長屋???のようなところでした。
学校からは徒歩2分程度。家賃500ドル。・・・条件としてはそれほど悪くないと最初は思いました。
ここも、前に住んでいたところと同じように2部屋しかなく、
トイレは相手の部屋、キッチンは僕の部屋に付いた構造的にはノンプライバシーな感じでした。
ルームメイトはLAMAの掲示板で探しましたので同じく3月入学のコロンビア人でした。
初めて海外の人との同居になりました。
はじめはそりゃもうウキウキ気分です。
・・・・しかし、この選択が地獄の生活の始まりだとはあの時は思いもしませんでした・・・・・・
2部はホントに色々楽しい事がありました。
自分の命をかけたこともありましたし、危険なこともありました。
・・・ということで新生One Of Themをよろしくお願いします!!!
投稿者 tatsuxxx : 06:19