2007年2月 6日
その10 さらばMI!!・・そして・・・
こんにちは!皆さんお元気ですか?
カリフォルニアはもう暖かいです。日本はどうなんでしょう?
最近いろんな方達に会うのですが結構このコラムの評判が良いみたいでうれしいです。
さてさて。今日はGITコンテストの後の話をします。
前回も書きましたが「君にはメタルギターの授業を取るしか道はない!」とレジストレーションで言われたのはコンテストの前でした。
その日は1時間位前に行ったのでものすご~く順番が後になってしまいました。
MIは要するに授業を取るのは「早い者勝ち」なんです。
だから、遅い者は負けなんですよね。
そんなことは知らずに行ったらメタルしか残っていない状況になりました。
それとレベルが1と言うことで取れる授業の枠はかなり狭い。
だから、「レベル2の授業取れないの?」と聞いたら「いや、無理だ。君には速すぎる」
と、演奏も聞いたことがない事務の人に言われました。
カッツーーン!と来た僕はその場で「う~ん・・・そうなのか・・どうしようもないなあ・・・・」
「じゃあ、やめます!」と告げました。
それからオフィスに行っていろいろやってもらおうとしましたが、無理でした。
結局タイミング的にも悪かったので、もう3ヶ月取る事にしましたが違うコースを取りました。
エンコアというのですが、要するに「出席日数とか気にせず取りたい物を取って自由にやっていいよ」っていうコースです。
文字通りやりたい放題やりました。あれが一番よかったです。
前にも話したようにオープンカウンセリングにたくさん出ることが出来ました。
あとLPWも。そのときは50近いポイント(一曲1ポイント)が溜まってたなあ・・・ラジオ体操気分でした(笑)
そのLPWでの事件がありました。
コンテストで優勝して、あるLPWに参加し演奏しました。
そのアンサンブルの先生は僕をレベル1に追いやった張本人でした。
ある日。演奏が終わると友達が「Hey!何で彼はレベル1なんだ?」とその人に聞くと、
「I don't know」とサラッと答えました。・・・・思えばMI生活最後のサプライズでした。
去年の3月、MIを退学する日が近づいてきました。(その間これといった事件はありませんでした)
他の人の卒業などで僕など気にする人はあまりいませんでしたが、唯一一人だけ僕の心配をしてくれる人がいました。
アレンハインズでした。
正直そのとき だけ やめたくないと思いました。
アレンだけが引き止めようとしてくれました(´;ω;)
しかし、とき既に遅し。他にもやめたほうが良い理由はあったからなのです。
さらばMIです。
・・・そして、その後の僕がどうなったかと言うと。
ある偶然の出会い、そして偶然の重なりで僕はLA Music Academyへと編入することになりました。
第10回にして前編を終了し、新章に突入する感じが絶妙だと思うのは僕だけでしょうか?
・・・どちらかと言えば、これが真の地獄の生活の始まりだったのです・・・・・
「テキーラ買ってきて~」「イエッサー!!」
・・・最後は立派なパシリでした。
投稿者 tatsuxxx : 21:08