« 2006年9月 | メイン | 2006年11月 »
2006年10月26日
その4 アメリカ音楽への挑戦。
こんにちは。Tatsunoriです。
だいぶ間が空いてしまいましたが、僕は元気でやっています(笑)
さて今回はアメリカでのジャムセッションについて話したいと思います。
車を手に入れた僕は前回も話した「LA Weekly」という新聞によってジャムセッションの場所を探しました。
ほとんどのクラブの名前が出ていますので、そのお店のスケジュールから「Jam Night」などと表記されているものを探し出せます。
ロベンフォードが大好きな僕はLAブルースを学ぼうとブルースクラブを探しました。
最初に行ったお店はノースハリウッドにある「Cozy's Bar&Grill」というお店でした。
無料で毎週月曜日にブルースセッションが行われています。
ここはこのサイトで紹介されているJonny Aの映像のライブハウスでもあります。
・・・やっぱり、ブルースというのはアメリカから出てきた音楽ですから、
そんな人たちの前で演奏してもいいのか?と、僕はサインアップするのを躊躇していました。僕のイメージといえばLAのブルースといえば質的にかなりロベンフォードのようなマイクランドウのような・・・そんなイメージでした。
しかし、中に入ればスティーヴィー・レイヴォーンのような人がいっぱい!
「あれ~?ちょっとイメージが違うなあ」と思って見ていると・・・出ました!ランドウのように弾く少年!!
まだかなり若いそのアメリカ人の男の子のトーンには唖然としました。
グレッグという子でその後MIで知り合うことになったのですが、相当なマイケルランドウマニアだそうで(笑)
18歳のその子は13歳のころからランドウを見続けていたようです。
アメリカのすごさを見せつけられた感じでした。
日本で子供のころからブルースとかジャズを聞かされていた子を見た事はありますが、
ランドウ・・と来るとは思ってもいなかったです。
そんな演奏に圧倒された僕はサインアップしてみましたが、とき既に遅し。
見学しただけで帰ることになりましたが、
その翌週。少し速めに行って名前をボードに書きました。
ホストの人の演奏(これがまたすごいんです!ケニーバレルみたい!!)を見た後、
しばらくして名前が呼ばれ僕はステージに上がりました。
そこから見える人たちは外人100%!!日本人なんか目に入りませんでした(笑)
でも、思った以上に緊張もせず、そこまで来たら「日本男児の力を見せてやる!!」と、逆に燃えてきました。
その演奏を終えると、皆が「Good Job!」と言ってくれました。
それから、そこでほぼ毎週演奏するようになりました。
やっぱり度胸は大事ですね!!
ある日のジャムでホストバンドのドラムが日本の方でした。
その人の出会いで僕のアメリカ生活は大きく変わりました。
「向かいのカフェ・コーディアルでトシさんって言うすごい日本人ギタリストが今度やるよ」トシ・ヤナギさんと仲のよい方で、一緒に見に行こうと誘われました。
・・・そして僕はトシ・ヤナギさんを知ることになりました。
投稿者 tatsuxxx : 00:14
2006年10月10日
その3 はじめの一歩。~~トモ藤田さんとの出会い~~
こんにちは!Tatsunoriです!
第3回目いってみたいと思います。
まず、前回の話から
「そのクルマをどうやって入手したのか?」
「また駐車場は確保(借りる?)できるのか?」
「LAの駐車事情(路駐事情?)はどうなのか?」
という質問がありました。
まず、車は中古で購入いたしました。
こっちで売っている中古車情報誌やウェブサイト、日本人向けのウェブサイトなどなどありますが
僕は探した後日本人向けのウェブサイトで手ごろでいい車を見つけました。
こっちの個人同士での車の売買は一般的なものです。
ちょっとした手続きですぐに手に入れることが可能です。
そして駐車場関連。これはアメリカは広いので結構路駐が認められています。
最初来てビックリしたのですが「2時から6時 2時間駐車可能」と表記されている場所は6時からは駐車禁止になるのかと思っていたのですが特別な表記がない限りその後は駐車は可能になるんです。
しかも2時間駐車可能とあっても場所によってはごくまれにしか違反切符をとられないんです。
・・あとは借りアパートには大抵パーキングがついています。(たまに他にお金を取られることもありますが)
・・・と質問に関する返答はこんな感じです。
この先、何か質問がある方がいたら質問は可能な限り受け付けますよ。
さて、本題に入ります。
実は僕が車をゲットした少し前にトモ藤田さんと会いました。
あのDVD化されたTone MerchantsでのクリニックのためにLAに訪れたときです。
僕はトモさんのサイトでこちらに来るのを確認し「こちらに来たときに会いましょう」とメールをすぐに送りました。
レッスンは受けていたものの通信ですから生徒が実際に会えるときはトモさんが来日したときだけですから
とてもうれしかったです。
トモさんとはLAのダウンタウンで会うことになりました。
少し余談になりますが、実際そこはある通りによってはとても危険な場所なのです。
こちらには慣れたつもりでしたが、実際ダウンタウンは今でも怖いと思います。
無論トモさんが泊まるような所なので安全だと確信はしていましたが。
ダウンタウンには「Little Tokyo」という日本街があります。
少し不思議ですがLAには「China Town」「Korea Town」と国に因んだ名前が大抵ついているのですが
なぜか日本のは「東京」なのです。そして風貌はどことなく「江戸」のような(笑)
そこでトモさんに会いました。
いろいろ話をしましたが、ボストンとこっちの違いやアメリカ全体についていろんなことを教えてもらいました。
そのときまだ英語があまり喋れない僕がビックリしたのはトモさんは英語がペラペラだということ。
当たり前なんですが、しっかり話せる日本人の人は生まれてはじめてみたので(笑)
いろいろとトモさんと話しているうちにこちらに来た本当の理由、
新しい決意、これから起ころうとしている新しい音楽生活への目標。
語学学校で勉強漬けの生活に少しマンネリ化していた僕のモチベーションは一気に上がりました。
少しリトル東京を観光してそのあと人と会う約束をしていたようでその人が来るまでトモさんの部屋で
一足先にプライベートクリニックをしてもらいました(笑)
車がまだ手に入っていなかったのでクリニックは見に行くことが出来ませんでしたが、
僕にとってはあの日がLA生活の本当の意味でのはじめの一歩だったと思います。
次回はアメリカでのクラブでのジャムセッションのことを書こうと思っています。
写真はそんな出来事の後に出来たトモさんのDVDです。
なんだか部屋においてあった服と同じなので変な感じでした(笑)
投稿者 tatsuxxx : 22:37
2006年10月 3日
その2 いろいろな出会いとLAの必需品。
皆さん、こんにちは。
Tatsunoriです。カリフォルニアはすっかり涼しくなりましたもう10月ですね。
さて、今回も前回の続きを・・・
あれから空港に着いた僕は空港で送迎を頼んでいた語学学校から出た車でホームステイの家に向かうことになりました。
その車の中は英語を半年みっちり学ぼうとしている僕はがんばって運転手さんに話しかけましたがなんだかそっけない。
・・よく見たらその人はメキシカンでした。英語が喋れなかったのです(笑)
無言で30分ほどしたところで家に着きました。
・・しかし家の人がいない。どうすればいいんだ・・と思って出てきたのは寝ていた韓国人のハウスメイト。
彼と話をしているうちにホストマザーが帰って食事になりました。
僕がまず最初にした質問が「Where is Baked Potato?」でした。
さすがはLAの代表的なクラブ。それほど音楽に興味がないホストマザーも知っていました。
そしていろいろと聞いているうちにはこちらにはほとんどの音楽情報が載っている「LA Weekly」という情報誌があることを教えてくれました。
次の日。朝一番にスターバックスまでそれを取りに行きました。
それを見ると普通に「Scott Henderson」とか「Mike Landau」などの名前を目にしました。
・・・しかし遠い。僕はLAで過ごすには車が必要だとすぐに悟りました。
話は変わりますが、最初LAについたときは怖かったです。
ホストマザーに「こっちは行っちゃダメよ」とかいろいろ危険な場所を聞いていたので、
外に出たら死ぬ。とか思っていました。スターバックスまで行くのも正直怖かったです(笑)
車がないまま僕が最初にした行動は楽器屋を探すことでした。
語学学校の先生に聞いてハリウッドのギターセンターへ。
楽器屋を探した理由は音楽関係の友達を誰でもいいから増やすこと。
英語の勉強にもなるし。僕はギターを手にとって手始めに隅っこで勇気を出してアメリカで初めて音を出しました。
しばらく弾いていると黒人の人達が数名僕の演奏を見ていました。
その中の一人がギターを手に取りファンクでジャム大会が始まりました。
演奏が終わると電話番号を教えて貰ったり、店の外で話したりいい一時を過ごせました。
帰り道。心の中では終始「トモさんのレッスンやってきてよかった~」と思い続けていました。
・・・と同時に「あー怖かった」と(笑)
やはり携帯電話はどこにいても持っていたほうがいいですね。
番号交換が最初のほう出来ませんでした。
その後も通い続けてある「俺はベースをやっている」という黒人と友達になり、
彼の家に行き爆音で週末ジャムばっかりしていました。そのうちドラムも入りバンドでジャム三昧。
楽器屋に通い続けたのは成功でした。おかげで英語も上達しました。
何せ黒人の人達の英語は難しすぎるので普通の英語はきれいに聞き取れるようになりました。
英語といえば、同時に自分の足でいける音楽の聴ける場所も探していました。
No Coverのレストランに行きジュース一本で毎日ジャズを聞くことが出来る場所を見つけ毎日通い、
ある日、ジャズのうまいDougというおじいさんが演奏していました。
レストランなのでじっくり演奏を聴いてくれるのが珍しいのか僕に話しかけてきました。
話の成り行きからジャズを教えてくれることに。僕はMIに入るまで彼のレッスンを受け続けました。
音楽専門の英語勉強にもなったしジャズの勉強にもなりました。
しかし、やはり車は必要。彼はこちらの家でレッスンしてくれましたが、おじいさんだったので家まで行ってあげたかったのです。
そしてしばらくして僕は免許を取り、車を買いました。
ちょうど良かったのが通っているレストランで金髪のウェイトレスに「何であなたはいつも何も頼まないの!!」と怒られました。
そのとき僕は「No Cover、No Minimumなのに・・・アメリカ人って別に心広くないんだな」と思いました(笑)
去年の8月。
僕は入る前にMusicians Instituteに見学に行きました。
雑誌などで見た入り口。校舎。人々(金髪ロン毛のお兄さんたちが)。
僕のモチベーションは最高潮に達しました。
そして、見学を終えた帰り。
僕が見たのはこっちに来た理由でありこの旅の目標である人。
アレンハインズでした。
そのときはそれまでどんなことも一人で行動して自分から言っていた僕も
さすがに緊張して何も話しかけることが出来ず僕はそのまま家に帰りました。
車を手にした僕はいろいろなところに行くことになりました。
それはまた次回の話とします。
さて、あしたも早起きしていっぱい練習します。
学業は学生のなんたらですね(笑)
写真はそんなアレンハインズの最新のライブ画像です。
なんだか風が冷たく寒そうに演奏していました。
投稿者 tatsuxxx : 22:38