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2002年5月21日
第6回:日本とわたし
前回のコラムでも話したけど、ロスでのミュージシャン生活9年にして初めて4月に仕事で日本へ行くことができた。今回のコラムでは、この珍道中の模様をお届けします。
4月3日に関空に入った。
メンバーは私の他に、ベースのエリック、ギターのアート、ドラムのチャッド、ヴォーカルのアリ、そしてアリの付き人のラリー(ただ単なる荷物もちだという感じもしたが。)とりあえず少しは日本円をもっていたほうがいいという私の提案で(すっかり仕切ってしまった。)到着ロビーでみんな少しドルを両替えした。アメリカ側のプロモーターのジョン(彼はなぜか空港に着くなり、バーに直行していた。)、そして日本側の木下さんといっしょに迎えに来てくれたバンに乗り込んだ。
エリックとアートは日本初めてとあって好奇心いっぱいの目であたりをキョロキョロ見回していた。無事ホテルに着き、そのあとアリは早速大阪ブルーノートへスタイリスティックのショーを見に行き(根っからのパーティ好き)、あとのメンバーは部屋でリラックス、私はといえば翌日のショーがあるオンエアー大阪のスタッフと明日のための打ち合わせ。のあと、根性で京都の桂へ向かった。この時点で午後10時45分。その日は桂に住む妹のいえに泊まりここでおまけに母親に会うこともでき感無量。1週間のツアーでいろんなもの食べたけど妹のいえで食べたごはんと漬け物が一番おいしかったなぁ。(ほろり)「のりおばちゃん、明日も来るの?」という姪っ子に「ごめんね、のりおばちゃんお仕事があってもう来れないの。」と言い残し翌日大阪に戻った。
4月4日、サウンドチェックのため会場入り2時、特に初日なのでリクエストした楽器、機材が全部そろっているかチェックするため早めにいった。ステージも広くてまだできたばっかりのライブハウスというだけあって、音響システムも抜群にいい。今回はキーボードのセットアップとしてフェンダーローズも含めかなり大きなセットアップを頼んだのだが頼んだ通りにきちんとレイアウトされていた。
「すばらしい!」と感動する。サウンドチェック無事終了。アリも満足そうなのでひと安心。またオンエアーは女性のスタッフの方が多くサウンドエンジニア/照明も女性で、彼女達がまたとてもプロフェショナルなので感動してしまった。ウーマンパワーだ、と思うとうれしくなっちゃった。
ショーは6時半からスタートこれも新幹線のように時間きっちり。さすが日本だなぁとまたまた感動する。無事ショーが終わり、そのあとソウルバーでみんなで打ち上げ。申し訳ないが名前を忘れてしまった。ここはアリのおごりでみんなワイワイ楽しそうに飲んでいた。おまけに私は近くのラーメン屋からチャーシューメンを注文して食べた。やはりうまい!
翌日5日、この日は移動日、近鉄ライナーで名古屋へ行った。アリのファン代表のジュンコさんとみんなできしめんを食べに行った。ここでチャッドはおはしがうまく使えなくて悪戦苦闘。いつまでたっても麺が減らない。そのうち麺がのびてふにゃふにゃになって、結局半分ほど残してしまった。ちょっとかわいそうだった。やっぱりマクドナルドのほうがよかったかなぁ。ホテルに向かってチャッドと歩いていたら2人連れの男の人に声をかけられた。「アリ・オリのバンドの人ですか?」というので「どうしてわかったの?」っていったら昨日の大阪のショーの情報がすでにはいっていて、日本人女性のキーボードと小柄でパワフルな黒人ドラマーがいた。と聞いたらしい。よく聞くと岐阜でファファファというソウルバーを経営しているマスターとそのパートナーの彼だった。晩御飯おごりますと誘ってくれたので、お言葉にあまえてエリック、チャッド、私の3人で車に乗り込む。アートはきしめんでお腹の調子が悪くなってホテルでダウン。
30分ぐらいかかりますから、といわれてとりあえず車に乗っていたのだが、最初に店は岐阜にあります、といわれたのをよく理解していなかった私は、岐阜が他県だということに気付かずとにかく「いったいどこ連れていかれるのかなぁ。」とちょっと心配になってきた。50分ほどたってやっと岐阜の駅についたがそれからがまた遠かった。それも何もない田んぼ一面のところなので、このころには、後ろ座席で3人で、もしこれが誘拐だったらどうするっていう話しまでしていた。「でもアリのファンの人なんだから、私達が明日のショーできなかったら困るわけでしょ。大丈夫、大丈夫。」と男たちをなだめながら走っていると、田んぼのまん中になんか洋風の素敵な建物が見えてきた。「ここです。」ということで無事店に着き一安心。中はとってもしゃれていて、いろんなポスターなど飾ってあってなかなかいい感じ。そこでいろいろ御馳走になっていろんな話をして、またはるばる名古屋まで送ってもらった。それにしても遠かったなぁ。
4月6日、名古屋のボトムラインでのショー。この日私の父親が金沢から来てくれてわたしはまたまた感無量。久しぶりにあってとってもうれしかった。チャッド、おとうさん、私で食事に行き正式にチャッドを紹介した。これでなんだかんだいってチャッドと付き合いだして1年近くになる。黒人だというのは前々からいっていたのだが、おとうさんのチャッドに対しての印象は「こいつ真面目そうで、ミュージシャンらしくないなぁ。」というものだった。でもお互いけっこう気に入ったようで私は一安心。そのあといっしょにサウンドチェックにも来てくれた。サウンドチェックに関しては今まで見たことがなかったらしく、「こんなに時間がかかるプロセスだったのか。」と関心することしきり。なにしろ私のライブなんて8年前にロスに遊びに来て以来見てないのでかなり喜んでくれた。
ショーのときはまたビデオカメラマンとしてがんばってもらった。お客さんもすごく盛り上がって楽しいステージとなった。終了後、ホテルでおとうさんが撮ってくれたビデオをみたら、とくに最初のほうは大傑作だった。なにしろカメラに慣れていないのでスームしたり動かした時にすごいぶれがある。そのうえ、ギターソロなのにずっと私がドアップで写ってたりして、まったくコンセプトがわからない。もうちょっと打ち合わせしておくんだった。翌朝、一緒に朝食をとりもうバイバイの時が来てしまった。めったに会えないせいで、両親との別れではすぐおセンチになってしまう私だが、今回泣くのはなんとか我慢した。
4月7日、新幹線でいざ東京へ。東京のショーは青山ベルコモンズの7階のクレイドルホール。ホテルでチェックインしてすぐ会場へ向かった。ここでMP3を通じて知り合った友人の高槻さんと会った。彼は今回私のためにプロのカメラマンを雇ってくれてショーの写真、ビデオ撮影をかってでてくれた。カメラマンのくらげちゃんもきてあちこちで写真をとってくれた。
サウンドチェックも無事終わり、ショータイム。しかしアリの声の調子がいまいち。コンサート前半はアリの声が出てきますようにと神様にずっと祈りながら弾いていた。願いがとどいたのか中盤から彼の声が戻ってきてお客さんもすごく盛り上がり、結果的にはとてもいいショーになった。さすが東京だけあって観客動員数も500人を超えて熱気ムンムンだった。オープニングとして私のアルバムから「TEQUILA」を演奏させてもらい、コンサートのあと10枚も自分のCDを買ってもらった。ありがたいなぁ。
翌日は私とチャッド以外はみんな帰ったのだが、私達は高槻さん宅でお世話になりレコーディングをした。これは私が日本へ来た飛行機の中でかいた曲。リハーサルスタジオでドラムをとったあと、高槻さんの自宅でわたしのキーボードとヴォーカルを録音。あとは高槻さんにサックスを吹いてもらえば完成。「この調子でいったらのりこは1年に365曲かけそうだね。」と感心していた。でも実のところ仕事しないで毎日曲をかいてレコーディングできたらこんな幸せなことない。チャッドの友人で黒人シンガーのジョンが遊びにきたので、わたしのオクターブ下でメロディー歌ってもらった。なかなかセクシーでいい声だった。この曲はいつもお世話になっている高槻さんへの、彼いわく「無形プレゼント」。
結局あっという間に過ぎてしまった1週間だったが、両親に会えたことはもちろん、3回のショーを無事演奏し、アリにもアリのファンのみなさんにも喜んでもらえたことが私としては1番の収穫だった。音楽監督としてかなりプレッシャーを感じていたが、名古屋のショーのあと、ソウルバーのマスターが「のりちゃん、ステージではとっても大きく見えた。よかったよ。」といってくれて心底がんばってきてよかったなぁ、と思った。くらげちゃんがいい写真をいっぱいとってくれたので見て下さい。また行きたいなぁ。
今回のツアーの写真はこちら。
投稿者 admin : 2002年5月21日 11:37