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Steve Lukatherインタビュー (3/5)


TOTOとしてデビューするまでのいきさつ

PCI:では次にTOTOとしてデビューするまでのいきさつを聞かせて下さい 

LUKE:勿論さ。 何でも聞いてくれ。

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)  

 

PCI:最初はスタジオプレイヤーとしてスタートされていますが、当時バンドは組んでいなかったんですか?

LUKE:ハイスクールでやってたオリジナルのバンドの名前はSTILL LIFEって言うんだ。 まずスティーブ・ポーカロが高校を辞めてゲイリー・ライトのバンドに入った。 そしてボズ・スキャッグスが「シルク・ディグリーズ」を発表し、スティーブ・ポーカロ、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチが最初のツアーに行ったんだ。 彼等がツアーから帰ってきてから、その後のツアーに参加する様に誘われたんだ。 その時19才だった。 そして、ジェフとデヴィッドが中心になってボズ・スキャッグスのレコードのデモをし、オレもバンドメンバーになった。 これが大成功したんで、このままこのバンドがレコード会社に認められ、そのまま契約した。 結果このレコード会社はオレ達を24年間所有できた訳さ。

PCI:ハイスクールのバンドがそのままTOTOになったという事ですね。 

LUKE:よくオレはスタジオプレイヤーとしてまずスタートしたと誤解されてるんだけど、実際は違うんだよ。 まずはハイスクールのバンドがミュージシャンとしての最初の活動さ。 ジェフはスティーリー・ダンのドラムをもうハイスクールの時にやってたんだぜ。 スティーリー・ダンのアルバムがリリースされる前にオレ達みんな全曲をマスターして既にハイスクールで演奏してたんだ。(笑) 完璧にコピーしてたよ。 Donald Fagen とWalter Beckerがオレ達のハイスクールでの演奏を聴きに来てくれたんだよ。

PCI:凄いハイスクールですね。(笑)

LUKE:ほんとだよ。 当時何が起きてるのかみんなもよく判ってなかった様だ。(笑)

PCI:要するに、ハイスクールのバンドがそのままTOTOになった訳ですね?

LUKE:ハイスクールバンドがTOTOそのものなんだよ。 そして、その頃の仲間達には他にも素晴らしいミュージシャンがたくさんいた、マイケル・ランドーやジョン・ピアース達。 そして皆と一緒に成長し音楽を創ってきたんだ。TOTOはロスのノース・ハリウッドのハイスクールバンドだよ。 

PCI:このロサンゼルスから全てが始まったんですね? 

LUKE:単なる偶然さ。 シアトルで始まってたかもしれない。才能のある人は世界中のどのベッドルームにも居るんだ。 そのうちの何人かが運良くバンドを組むことが出来て成功する訳だ。 ただ、最近ではどういう訳か皆が同じ事をやろうとするんだ。 オレが子供の頃はレッド・ツェッペリンは一つしかないし、イエスも一つだけ、ジェネシス、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックみんな一つしかなかった。 ラジオで彼らの音楽を聴いた時、それぞれがユニークで彼らの次のアルバムが出るのを待ち望み、コンサートに行くのを待ち焦がれたもんだ。 だってテレビでは絶対見られなかったから。 彼らは神秘的な存在だったね。 今やコンサートと言ってもそんなに有り難みはなくなったね。

PCI:今はコンサートへ行かなくてもテレビやビデオでライブが見られますからね。情報が氾濫しているとも言えますよね。

LUKE:何もかも見せ過ぎでToo muchだよ。 オレはチョコレートケーキ好きだけど他の何もかも食べられないよ。 判る?

PCI:判ります。 最近ジェイ・グレイドンとよく会うんですが、あなたの話がよく出るんですよ。

LUKE:ブラザージェイ! 彼には本当に世話になった。 

PCI:ジェイにインタビューした時言ってましたが、ジェイがあなたをスタジオプレイヤーとして色々な所へ推薦したそうですね?

LUKE:そうだよ。 まだオレが若い頃友達になって、彼はオレのプレイを気に入ってくれたんだ。 その頃ジェイはたくさんのレコーディングのプロデュースをしていて、オレにとってはラリー・カールトン、ディーン・パークスに次いでNo.1のスタジオ・ミュージシャンだった。 そしてジェイはほとんどの仕事にオレを推薦してくれたんだよ。 それから、よく一緒にプレイもしたなあ。 そして本当に親しい仲になったんだ。 今でも最も近いブラザーの一人だよ。

PCI:最近ジェイが出したCD、Bebopのジャケットにスペシャルサンクスとしてあなたの名前が載っているのは知ってましたか? 

LUKE:本当? 知らなかったよ。 嬉しいね。 ジェイとよく笑い話をするんだが、昔はスタジオでライブレコーディングをよくしたもんだ。 今ではプロトゥールがあるから、スタジオプレイヤーが全員集まって一緒にレコーディングするなんてことしないよね。 別に今の音楽がダメって言ってる訳じゃないんだけど、ロックスターになるのは昔に比べると簡単なような気がするね。 オレの若い頃はとにかく練習を積んで、クラブなんかで経験を何年も積んでからじゃないととてもレコーディンングなんか出来なかったから。 でもオレなんかはラッキーガイってよく言われるんだ。 若いうちにプロになったからね。 だけどオレは7才の頃から、8年から9年に渡って練習に練習を重ねてきたんだぜ。 今は若い連中は練習なんて必要ないよな。 ビデオゲームのように何もかもさっさとやっちまうんだ。 オレの娘なんか電話で話をしながらコンピューターにタイプをして、同時にテレビを見てるんだ。(笑) オレだったらテレビ見てる時に電話が掛かったら、「はあっ?」て上の空さ。 マルチ・タスキングなんて絶対出来ない。 でも今の子供たちはそれが出来るんだ。 そういう世代なんだ。 彼らに合わせる事は出来ないんで、オレはオレのやり方で行くしかない。 

PCI:そう思います。 スタジオミュージョシャンとしての仕事はやってみえますか?

LUKE:もうほとんどやってないよ。 頼まれて断れない仕事だけ時々やってる。 1976年から1987年の間、凄い量のスタジオワークをやったよ。 ロサンゼルスのほとんどのレコーディングに参加してたって感じだな。 最近では年に6〜7回ってとこかな。 どうしてもオレじゃなきゃダメだっていう仕事とか、キャッシュを山ほど積まれた時にやるかな。(笑)あとは楽しんで好きな連中とやる時もあるね。 

PCI:では、今あなたのメインの活動はTOTO、Doves of FireそしてあなたのソロCDの製作ですね? 

LUKE:まだソロCDには取りかかってないよ。 最近まではラリー・カールトンの仕事で忙しかったからね。 ラリーから電話があって日本へ一緒に行くことになり、スティーブ・ヴァイが気に入ってくれてプロモートまでしてくれた。 そしてグラミーにノミネート。 夢みたいな話さ。

PCI:本当に日本のファンも喜んでいると思います。 ソロアルバムについてですが、一昨年頃のインタビューでは、ビニー・カリウタをドラムにしてのソロアルバムを製作する話がありましたが? 

Photo by Taro Yoshida (Copyright 2002 Taro Yoshida)  

LUKE:ああ、次のソロアルバムにはビニーとやるよ。 いつになるかだけど、TOTOの新作のレコーディングやDoves of Fireのツアーがあるので、まだ数カ月先になりそうだね。 ビニーは世界一のドラマーの一人だね。 知っての通りオレはいつもドラマーには恵まれてきた。 ジェフ・ポーカロ、サイモン・フィリップスそしてビニー・カリウタ。 多分オレの次のソロアルバムはビニーがドラマーで、ベースはジミー・ジョンソンになると思うよ。 で、キーボードがジェフ・バブコさ。

PCI:ジェフ・バブコは本当に凄いプレイヤーですよね。

LUKE:ジェフはほんとにクールガイだ。 そして彼という人間、ソウルが好きだ。