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Robben Fordインタビュー (2/5)

「LA EXPRESSとジョージ・ハリスン」

PCI:トム・スコットとはどんなきっかけで仕事をするようになったんですか?

Robben:トムが私のマネージャーにある日電話をしてきたんです。 LA Expressのキーボードプレーヤーとベーシストがそれぞれ私を推薦してくれたそうです。 驚く事にトムが電話をした丁度同じ日に、偶然私は2年間やってきたジミー・ウイザースプーンとの仕事を辞めることをマネージャーに告げたんです。 あまりにタイミングが良かったのでマネージャーはびっくりしていました。(笑)

PCI:運命的な巡り合わせですね。 その後トム・スコットとはどのくらいの間仕事をされていたんですか?

Robben:2年程です。 

PCI:その間にトム・スコットからジャズ音楽理論ををみっちりと学ばれたんですか?

Robben:ジャズ音楽理論というよりは、どう言えばいいか、音楽センス全般についてを学んだんだと思います。 コードについて私は良く判っていませんでした。 例えば、特にその当時ギタリストはGmajorというコードは弾きませんでした。G13♭5などというコードを使い、ポップミュージックでも多用していました。 ギタリストも理論は知っていたのでそういうコードの方がいいと思っていたんですね。 LA Expressでは難しいコードを使うことや音を弾きまくることより、もっとシンプルなことの重要性、価値を学びました。 とにかく思いきり弾きたいだけ弾いてそこから余分な音をカットして、シンプルなも
のにするように心がけたんです。 そうしているうちに今のようなスタイルになったんです。

PCI:その当時は何才だったんでしょうか?

Robben:当時22才でした。 

PCI:ジョニ・ミッチェルのツアーに参加され、その時のライブアルバム「Miles of Aisles」であなたの名前は一層ポピュラーになりましたよね?

Robben:お陰様で。 ラリー・カールトンとジョー・サンプルがクルセイダーズの仕事でジョニのツアーには行けないことになったんで、ギタリストとキーボードプレーヤーを捜していたんです。 

PCI:その後、ジョージ・ハリスンのツアーにも参加されてますね? その当時のことで、うちのサイトの読者から質問が来てるんです。 音を聞くかぎり、ストラト、フェンダー・アンプだと推測するとのことですが如何でしょうか?

Robben: 違います。 GuildのStarfireです。 アンプはFender Twin Reverbでした。 

PCI:エフェクターペダルも使ってみえましたか? 

Robben:はい、確かMXRのファズトーン、フェイズシフターとワウワウペダルだったと思います。 

PCI:フェンダーアンプは改造物でしたか?

Robben:いや、オリジナルです。 このころ私はアンプやギターのことは全く詳しくなく、何をどうすれば音が変わるかも判りませんでした。(笑) 

PCI:バンドメンバーもウイリー・ウィークスとかアンディー・ニューマークとか凄い人達が集まってますよね?

Robben:はい、彼らは本当に凄かったです。

PCI:ジョージ・ハリスンのツアーに行くことになったいきさつを教えて下さい。

Robben:ジョニ・ミッチェル、LA Expressとのツアーでロンドンへ行ったときのことです。 ロンドンで3夜連続してライブをやったんです。 実はトム・スコットのお父さんが、ジョージ・ハリスンと一緒に、Shankar Family& FriendsというアルバムをLAで録音した時からよく知ってたんです。 ラビ・シャンカール(Ravi Shankar)とインド、東洋グループが、西洋グループと混合して音楽を作ったんです。 トムのお父さんが西洋グループの方のアレンジを担当したんです。 彼はインド音楽を研究してたので。 そしてジョージ・ハリスンがこのアルバムをプロデュースしたんです。 Dark Horseという彼のレーベルの下で。 そんな関係があって、そのジョージが我々のロンドンのコンサートに来てくれたんです。 確かショーが終わってからだと思いますが、ふと振り向いたらあのジョージ・ハリスンがそこに立っていたんです!  腰が抜けるほどびっくりしました。(笑) ちょうどその頃、彼は髪も髭も長く伸ばしていたので本当に仙人のようでした。 

PCI:ジョージ・ハリスンが来ることは全然知らなかったんですか?

Robben:トムはジョージが来ることを知ってたんですが、私には言わなかったんです。 驚かそうと思って黙ってたんです。 2〜3日ロンドンで休暇が取れたんで、次の日我々みんなでジョージの家に行きました。  1日のんびりしたあと、夜ジョージの家のスタジオでレコーディングをしました。 2曲カットされて、彼の「Dark Horse」という次のアルバムに入りました。 これがきっかけで、その後彼のツアーに誘ってもらえたんです。 

PCI:面白いエピソードなどありますか?

Robben:ジョージとのツアーは全てが面白く、驚きの連続でした。 彼はもともとツアー自体好きじゃなかったようです。 最初で最後のツアーになりました。 コンサートそのものを彼は好きじゃなかったんですね。 バングラデシュのコンサートは一晩だけでしたし、それから日本でもエリック・クラプトンと一度だけやってますね。 コンサートはこれっきりでしょ?彼はいつもチャリティーとか募金集めのためにコンサートをやっていました。

PCI:そうですね。 その頃ジョージは、ミュージシャンというよりも哲学者みたいな雰囲気でしたもんね。 ツアーは1974年のことでしたよね?

Robben:そうです。 ラビ・シャンカールと16ピースのインディアンオーケストラも一緒でした。 ツアーの前にまたロンドンへ戻り、ジョージの家に2〜3日泊まってリハーサルをしたんです。 ジョージの家には大きなボール・ルームがあって、16ピースのラビ・シャンカールのバンドと何度もリハーサルをするんです。 

PCI:ジョージの家の中にそんな大きなボール・ルームがあるんですか?

Robben:そう、家の中に本当に大きな大きなボール・ルームがあるんです。(笑) そしてボール・ルームの片側に、インディアングループの人達全員が床の上のクッションに座り、演奏するんです。 私はボール・ルームの反対側に大きな枕を置いて、お茶を飲みながらラビのリハーサルをずっと聴いていたんです。 

PCI:それは貴重な体験でしたね。 

Robben:本当です。 私の経験の中でも忘れることの出来ないことの一つです。 ラビとインディアンオーケストラはそのツアーのハイライトでした。