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Don Randi インタビュー (1/3)

ロサンゼルス郊外のノースハリウッドで、毎晩素晴らしいライブが楽しめるBaked Potato。名物料理の美味いBaked Potatoを食べながら、そして飲みながら一晩中ゆっくりと音楽と共に過ごせる店。初めて訪れた人は必ず驚きます。「えっ? これがあの有名なBaked Potato?」スペースは狭く、ステージらしいステージも無く、設備がいい訳でもありません。でも間違い無くこのBaked Potatoから数多くの大物アーティストが巣立って行きました。同じ場所で、同じやり方でずっと店が存続し、そして今も同じ様に素晴らしいミュージシャンが毎晩集まります。Baked Potatoのオーナー兼アメリカのトップジャズピアニスト、ドン・ランディーにその秘密を語ってもらいました。

(日本のAII社のサイトでBaked Potatoのライヴ映像が見られます。こちらへどうぞ。
http://www.aii.co.jp/contents/bp/index.html

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

「Baked Potatoを開店するまでのDon」

PCI:本日はライブのある前のお忙しい中、時間を取って頂き有難うございました。 Mr. Don Randi、あなたがこのBaked Potatoのオーナーなんですね? 他に共同経営者とかはいませんか?

Don:私が100%オーナーです。何でも聞いて下さい。

PCI:それではまず、いつどこで生まれて、どの様に音楽と係わることになったかを教えて下さい。

Don:1937年にニューヨークで生まれ、Casco Mountainsという所で育ちました。96マイル(約153km)ニューヨーク市から北へ離れた郊外の小さな村です。人口はたったの850人の小さな村だったんですよ。 でも本当にいい先生が学校にいたんで、良い教育を受けたと感謝しています。

PCI:ジャズはいつから始めたんですか?

Don:最初はクラシック音楽を15年間勉強してたんです。 それでその後ジャズに転向しました。

PCI:ジャズに転向したきっかけは何だったんですか?

Don:それは私がカレッジに行ってる時のことでした。 Los Angeles Conservatory of Musicというダウンタウンにあるカレッジで勉強してたんです。 たくさんの、音楽については天才と言える人達がそこで勉強してました。残念ながら名前は忘れてしまったのですが、小さな日本人の女の子が居たんです。 確か14歳でした。 私は17歳でした。 その日本人の女の子は特待生としてそこで2年間ピアノとバイオリンを勉強しに来てたんです。 彼女のプレイは驚くべき物でした。 今まで彼女の様に自由に演奏したことがなかったんでショックでした。 自分の気持ちに正直に演奏するフリーダムを持ちたいとその時思ったんです。 彼女が私をジャズに転向させたんですよ。 

PCI:そのカレッジで14歳の日本人の女の子に会ったのが最初の音楽の転機になったんですね? ロスにはいつ移ったんですか?

Don:1954年です。 そのLos Angeles Conservatory of Musicに入るためにロスに来たんです。 その後UCLAに行って勉強し、その後City Collegeにも行きました。 ロスでベストと言われる音楽の学校で勉強できたのは幸運でした。 

PCI:そして本格的にジャズを勉強された訳ですね。 その後どうしてBaked Potato を開店することになったかいきさつを教えて下さい。 

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

Don:ちょっと待って下さい。 その前のいきさつについてもう少し話させてください。(笑) 1957年頃、大学での勉強も終えたのですが、シェリーズというハリウッドのサンセットストリップにあるクラブにまず出演してたんです。 ジャズトリオとして。 もちろん私はピアノです。 そこで演奏している時にフィル・スペクターと言う人物と知り合い、親しい友達になったんです。 そのおかげでその頃の多くのロックンロールのレコーディングに参加することができました。 ビーチ・ボーイズからフランク・シナトラまで。 たいへんラッキーでした。 でも一方でジャズのライブもクラブで続けたかったんです。 その頃ジャズとロックンロールの両方をやっているのは私以外にはあまり居なかったと思いますよ。 ロックンロールのセッションとジャズクラブでの演奏のスケジュールが重なることがよくあったので、クラブの演奏のために助っ人のピアニストを何人か準備しなくてはいけませんでした。 その頃私の代役を頼んだピアニストは、レオン・ラッセルやブルース・ジョンストン達でした。 そのクラブには有名な俳優・女優がよく来ていて、レオン・ラッセルなどはそのクラブからたいへん有名になったんですよ。 彼等とはその時以来助け合ってきた友達なんです。 

PCI:そういう活動はどのくらい続いたんですか? 

Don:1957年から1970年までの13年間です。 1970年は私の次の転機になりました。 その頃私はテレビや映画音楽の製作にも忙しかったのですが、そちらの仕事を一緒にやっていた私の父親みたなディレクターが亡くなったんです。 それでレコーディングの仕事に専念する様になりました。 その頃ナンシー・シナトラとの仕事を開始しました。 彼女のレコーディングは1970年からずっとディレクターとして関与してるんですよ。 先日もコンサートをやった所なんです。

PCI:ナンシー・シナトラも活動を続けてみえるのですね?

Don:現役ですよ。 一昨日はビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンのためにサプライズのバースデーパーティーコンサートをやったんです。 ビーチ・ボーイズとも長い付きあいですから。 彼は60歳になりました。 

PCI:ロサンゼルスの音楽シーンをずっと見てこられたんですね? 

Don:全ての出来事と変化を見てきました。 レコーディングに関してもモノラルから24トラック、48トラック、そしてデジタルまでの変化をずっと見てきたんですよ。