サンタモニカに有名ミュージシャンがいつも出入りする「Guitar
Tradition」というリペアショップがありました。その店のオーナーだったBill Asher(ビル・アッシャー)は、ラップ・スティール・ギターの製作者としても有名です。彼の工房を訪ね、最新情報を入手しました。
「リック・ターナーとの出会い」
PCI: 今どのような活動をしているか簡単に教えてもらえますか?
Bill: この20年間はギターのリペアと修復、それと色々なアーティストのカスタム・ギターを多く手がけている。1998年にベン・ハーパー(Ben
Harper)と出会った時、彼はステージではワイゼンボーンのアコースティックをメインに演奏していたが、彼の好みがよりヘビーなエレクトリック・サウンドに傾いて来ていた時期で、それで僕にワイゼンボーンのラップスティール・バージョンをデザインして欲しいと頼んだ。それが最初のベン・ハーパー・モデルの元になった。最初に造ったプロトタイプを非常に気に入ってもらえ、すぐにもう2つ造った。この数十年間、ラップスティール・ギターは忘れられていたが、このベンと一緒にデザインしたラップスティールは、非常にユニークであるし、シグネチャー・モデルにしないかと彼に話しを持ちかけた所、「是非やろう!」と答えてくれた。そして最初の限定版のベン・ハーパーモデルの製造を始めた訳だが、このギターは僕が初めて自分の名前を付けるべきデザインと製作の出来たギターだと感じていた。多くのギター製作者はフェンダーやレスポールのコピー製品を造るが、僕は常に、自分独自のギターを製作したかった。この最初のラップスティールを製作するまでは、どれもユニークさに欠けていた。今は5種類のラップスティール・ギターのラインを持っている。
エレクトリック・ギターは僕自身が子供の頃、ロックとブルースの演奏を覚える際に手にした楽器だ。今まで多くのアーティストの為にスタンダードのカスタム・ギターを製作して来たから、普通のギター・プレーヤー向けにも何かデザインしたかった。それで、もう数年造り続けている僕のウルトラ・トーン・ギターを考え出した。その他、幾つかの新しいエレクトリック・ギターのデザインにも取りかかっている。リペアの方では、今はより小さなショップだから、もっと製作に集中できる。以前はサンタ・モニカに「Guitar
Tradition」という小売店を持っていた。
PCI: 私も訪ねた事があります。
Bill: 地元では素晴らしいショップだった。僕の弦楽器製作者と、ギターを手がける職人としての評判はどんどん良くなったけど、忙しくなり過ぎた。僕は小売店のビジネスには向いていないと気付いた。
PCI: それで今はギター製作がビジネスになった訳ですね。
Bill: ギター製作と、プロのクライアント達の為にリペア・ショップは持続している。クライアントは僕の製作したギターの演奏者か、もう何年も僕の仕事を頼りにしてくれているアーティストで、ジャクソン・ブラウン(Jackson
Brown)、ベン・ハーパーやフリートウッド・マック(Fleetwood Mac)のリンジー・バッキンハム(Lindsey
Buckingham)、やジョン・マクビー(John McVie)、Red Hot Chili Peppers のジョン・フルシャンテ(John
Frusciant)などだ。リック・ターナー(Rick Turner)とは、彼のトパンガ・キャニオンにあるショップで数年間共に仕事をしていたが、彼のショップを通して、CSNのデヴィッド・クロスビー(David
Crosby)、グレアム・ナッシュ(Graham Nash)、スティーブン・スティルス(スペルはStephen Stills)など、多くのクラシック・ロックのアーティストにも出会え、彼らのギター・ワークを手がけるようになった。リック・ターナーのショップではとにかく数多くの楽器を手がけた。
PCI: リック・ターナーと出会ったのは、リペアの仕事を覚え始めた頃だったのですか?
Bill: いや。実際にギターのリペアを始めたのは1982年だ。サンタ・モニカのWestLA Musicの隣にショップを開いていた、ケンタッキー州出身のジェフ・ランズフォード(Jeff
Lunsford)の下で見習いをした。高校卒業直後で、丁度ウッド・ショップのクラスで最初のギターのボディーを作った頃だった。友達と一緒に趣味としてギターを弾いていて、良いギター・プレーヤーになりたかった。ギターショップにも良く足を運んでいたが、その内ギターその物に惚れ込んだんだ。それが1982年だ。自分では電気系統の事は判らなかったから、ジェフのショップに僕のギターの電気配線を依頼したのがきっかけだった。 高校を卒業したばかりで、とにかくギターの造り方を勉強したかった。ギターに魅了されたんだ。
PCI: なるほど。
Bill: ギターは人が手で造る事が出来、音楽を奏でる物では最も美しい物だと思った。ジェフは僕を見習いとして受け入れてくれ、彼の元で3年間働いた。彼の引退後、僕が彼のショップを受け継いで、1987年頃までやった。その後数年ギター・ワークから退いて、別のビジネスも試してみたが、結局は寂しくなって直ぐに戻って来たんだ。ハリウッドにマーク・レーシー(Mark
Lacey)と一緒にショップを出し、そこで暫く働いていた。彼は英国出身の素晴らしいアーチトップ・ギターのビルダーで、英国の弦楽器製作学校でトレーニングを受けた弦楽器製作者だ。彼とは長年共に働いた。彼は主にダンジェリコ・スタイル(DユAngelico)のアーチトップ・ジャズギターを製作していたが、何年か前にナッシュビルに移り、今はそこで製作とリペアをしている。マークとのショップを辞めた時点で僕は13、14年のギター・ワークの経験を持っていた訳だが、その時、リック・ターナーが彼のトパンガのショップでの助っ人を探していた。
PCI: そうですか。
Bill: 彼はリンジー・バッキンガムの演奏している、ターナー・モデルワン・ギターの製作をしていた。
PCI: それは何年の事ですか?
Bill: リック・ターナーの所で仕事を始めたのは1993年だ。
PCI: そうですか。そこで色々学んだのですか?
Bill: そうだな。リックからは沢山学ぶ事が出来た。彼は天才的なデザイナーで、特にギターの電気系統とアンプの事に関して非常に豊富な知識を持っている。僕は実際に彼のショップのリペア・ビジネスを引き受けていたが、ギター・デザインと製造のビジネス面でも色々学ぶ事ができた。僕がリペア・ビジネスを引き受けたことで、彼は肩の荷を下ろして製作に専念することが出来た訳だが、製造面でも共に仕事をした。NAMMショウを一緒にやったり、お互い楽しんでいた。素晴らしいショップだった。リックとは3年一緒に働いたが、その後彼はサンタ・クルーズのギター製造に移行し、僕は枝分かれし、彼の残したリペア・ビジネスをサンタ・モニカのGuitar
Traditionに移した。
PCI:あの有名な「Guitar Tradition(ギター・トラディッション)」ですね。彼は実際にトレーニングをしてくれたのですか?それとも一緒に働きながら学び取ったのですか?
Bill: あの時点で僕はもう13、14年の経験があったから、彼としては僕が現れた事を有難く思っていたんだ。僕は彼のリペア・ビジネスを一手に引き受ける事が出来たが、リックは多くのアコースティック・ギターに精通したクライアントを持っていた。僕も仕事を引き受けた事のあるデイビット・クロスビー(David
Crosby)やジャクソン・ブラウンなどだ。
PCI: なるほど。
Bill: リックに出会うまでに沢山のエレクトリック・ギターの製作とリペアをやったが、ヴィンテージ楽器のネックのリセットはまだやった事がなかった。リックと働き始めた頃は多くの古い、1930年、40年代のマーティンやギブソンを取り扱った。より複雑な修復作業を経験する事ができた。