« 第49回;ギター・ケーブル(シールド)の話、不思議な話、男前ブルースマンの話。 | メイン | 第51回; EP BOOSTER »
2010年08月22日
第50回; バブル世代
***まずは最近の演奏から!
http://www.youtube.com/watch?v=LPzsLD3Seko&feature=player_embedded
彼女はいいっすよ、本当に曲作りが上手い。
http://www.jennifervazquez.com/
そして私のギター、
XOTICのHIRO SUZUKI MODEL、これもいいっす。
ミッドレンジが落ち着いていて全体のトーンバランスが良く、
とくにこんな感じのポップなテイストには良く馴染みます。
ネックはいわゆるギブソンスケールでローズウッド指板のマホガニーバック、
ボディーはフラットのメイプルトップとマホガニーバックの貼り合わせ。
そこにダンカンJazz(ハムバッカー)、リンディフレーリン・アンティクイティ(ストラト)、
リンディフレーリン(ハムバッカー)の3つのPUを載せている。
***モンスターペアレンツとか
モンスターペイシェントとか呼ばれる連中は
1960年代後半生まれの世代が多いらしい。
この世代は「バブル世代」とも呼ばれるらしく、
ではこの「バブル世代」という言葉を検索してみると、
「『四畳半フォーク』やブルトレブームの、
オイルショックの直前か直後の時期に小学生、
矢沢永吉や横浜銀蝿といった
リーゼントロックやツッパリ(不良)に代表される、
管理教育に反発するツッパリ文化が最盛期の、
校内暴力発生件数が戦後最多を記録した
1980年代前半が中学から高校に通い、
都会の若い女性は消費対象としてもてはやされ、
『女子大生ブーム』が巻き起こり、
大学がバブル文化の発信源となっていた頃に20代をむかえ、
極めて日本の景気が好く、各社こぞって人員募集数を拡大し、
企業の求職人数が就職希望者を大幅に上回っていた頃に
就職したジェネレーション...」という結果が。
60年代前半生まれだから、
厳密に言えばこのバブル世代には含まれないのだろうが、
上記の条件(?)にはっきりとあてはまる節が
かなりあることを告白しなければならない。
もともとファッションに興味があまりなく、
「ポパイ」だとか「ホットドッグ...」とかいうような
若者男性向けのファッション雑誌には軟派な印象を
強く感じてしまっていた方だし、
まあ、いつも、ってか、ほとんどは江東区の門前仲町の居酒屋あたりでバイト先の友人達と
レバ刺しともんじゃとキリンの大ビンたのんでギャ-ギャー騒いで、
スキーだって泊まる宿は民宿か国鉄ロッジに決まっていたけど、
でもそれでも素足でローファーを履いて
友人達から誕生日のプレゼントにいただいた
とても高価なブランド物のポーチバッグを小脇に抱えていたし、
ごくまれではあるけど、流行りの「カフェバー」に行ったり、
冬になれば苗場とかなんとかいう「トレンディー」なスキー場に行ったりもした。
それが当時の日本では当たり前だったし、
むしろ俺なんかまだ全然おとなしい方で、
周囲の同世代を見回せば、
学生風情でポルシェを乗り回してる奴がいたし、
「投資だ。」とマジ面で言いながら
20万30万するローレックスの腕時計をつけている奴や、
ブランド物の装飾品に身を固めて年に二回も三回も
海外旅行へ出かけていたOLの友人もいた。
銀座や六本木でバイトしていたときには、
それが当たり前のように毎晩のようにやってきて
湯水のように金を使う客を見ているうちに、
だんだんそれが本当に極めて普通の世の中のあり方であるような
錯覚に陥ってしまうときがあったし、
当時作家を目指していた青山女子短大出身の2歳ほど年上の友人は、
彼女が短大での2年間で目の当たりにした光景から
「なんとなくクリスタル」という小説は
完全なノンフィクション作品であると断言していた。
ああ、そうそう、
「美人ジャズシンガーブーム」なんてのもあって、
なんだか超気取ったライヴハウスで
女優さんみたいな綺麗なおねえさん達の唄う
気の毒になるほど下手な歌を
信じられないほど高い入場料と飲食代を払って
聴きに行くのも当時の「トレンド」のひとつだった。
当時のテレビ番組等々に出てくる
タレントや女子大生とか街の若者達などの映像を
今になってYoutubeなどで観ると、
自分の実体験と容易に重なり合い、
当時の日本、バブルの頃の日本の若者たちを取り巻く文化が
いかに物質的で浮き足立ち、
ふわふわと質感の無いものだったかが良くわかり、
あの時代の異常さを恥ずかしさを伴い痛感してしまう。
現在パリで看護婦をしている、
同年代のフランス人の友人がいる。
彼女がまだNYに住んでいた頃、会うときは彼女はいつも
見るからに使い込んだルイヴィトンの小さなハンドバッグを持っていた。
それと同タイプの小さなヴィトンをショーケースなどで見かけると、
今でも彼女のつけていた香水の香りとともに
彼女の笑顔がフラッシュバックしてくる、
それくらいその小さなルイヴィトンが
彼女にはしっくりきていた。
「このバッグが似合うね。」と彼女のヴィトンを指差すと、
「ありがとう。これは3代目なんだよ。初めてこれと同じバッグを買ったのは
看護婦になって最初に給料をもらったときだから、もう20年以上前。
もうひとつサイズの大きなのが欲しいっていつも思うけど、高くてさぁ!」と、
そしてフランスの女の子達にとってルイヴィトンを持つことが
どれだけ大きな意味を持つのかを教えてくれた。
そして日本の若い観光客がルイヴィトンを買いあさる光景が、
彼女達の目にはどんなに異様かも。
投稿者 hirosuzuki1 : 2010年08月22日 02:07