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2008年10月21日

第44回;ブルースから少し離れた音楽を 、

あまり大きくないヴォリュームで聴きながら、
音楽仲間でもなくあまり親し過ぎもしない誰かと、
音楽とは全然関係ない話でもしながら、
酔い潰れるくらい酒を飲みたくて、
先週の土曜日から場所と相手を探している。
まだ見つからない。
今夜も一人で何も音楽を聴かずに、
自分の部屋で飲んでいる。

先週の土曜日から、
塩次伸二さんに関わる多くの投稿を
ただぽかんと読み続けていた。
多くのメッセージもいただいている。
とりあえず短い返事を書かせていただいている。
時間の経過が恐ろしく遅く感じられる。

中学生の時、ブルースにはまった。
高校の時、プロになりたいという夢を持った。
大学を辞めてまでして夢を追いかけることにした。
自分のスタイルに迷ったとき、
スティーヴ・クロッパーの一本のライヴ・ビデオが道しるべになった。
そしてテレビの深夜番組でたまたま観た
塩次伸二さんのライヴ演奏で、完全に、完全に吹っ切れた。
日本にもこんなプレーヤーがいることを知らなかった。
こんなギタリストになりたいと思ったし、俺にも出来るんじゃないかと思った。
高円寺のライヴハウスで初めて彼の生演奏を経験した。
以来、ウエストロード・ブルースバンドのメンバー一人一人が夢の共演者になり、
ジロキチが聖地になった。
こんな素晴らしいミュージシャン達と、
いつかこのジロキチでプレーしたい、と。

10年間東京で頑張ったけど駄目だった。
29歳の秋、どうにかしてあきらめをつけようと、
30歳の誕生日までの1年間だけ、
何も考えずに音楽を楽しもうという自己約束のもと、ニューヨークに渡った。
ところが、少しづつ演奏の仕事が舞い込むようになり、滞在を伸ばし続け、
いつの間にか食ってゆけるようになり、
このまま行けるところまで行ってみようと決心した。
約10年経ち、あるバンドに参加したことをきっかけに
ロスのミュージックストアPCIの三浦さんがモニター契約をもちかけてくれた。
そして堀場社長、三浦さん、黒川君の取り計らいで
京都、大阪での塩次伸二さんとのセッションが実現した。
本当に夢を見ている気持ちだった。
その翌年も、ギグやギタースクールへの特別参加のお誘いを
塩次さんから直接いただいた。
ステージの上では、とにかく真剣勝負で塩次さんに挑んだ。
塩次さんはいつもにやりと笑い、軽く受けてくれた。
いつも俺の完敗だった。悔しくて、ニューヨークに帰り練習した。

今年の春の帰国の際、塩次さんから再びギグのお誘いを、二ついただいた。
一つは入道さんとナコミちゃんも参加する荻窪ルースターでのギター・セッション、
そしてもう一つは、
ベースが小川ヒロさん、ドラムが松本照夫さんによる、
ジロキチでのセッションだった。
このジロキチのセッションだけは絶対に誰からも邪魔されたくなかった。
このメンバーとの演奏に心の底から没頭した。
プロミュージシャンとしての俺にとっての、
大きな大きなターニングポイントだった。

セッションのあと、
「ヒロとプレーするとあおられてしまって体を動かしすぎてしまう。」と
塩次さんが楽屋のソファーでぐったりしながら、青い顔で言った。
心臓を患われていることを知っていたし、
このときばかりは少し声を荒げて、こう言わせてもらった、
「塩次さん、お願いですから俺のスタイルにあおられないでください。
お願いですから、いつものように淡々と熱い音を出していてください。」。

別れ際、
「ヒロ、いつもあんな緊張感のないこと(なぞなぞコーナーのこと)してごめんな。
次に帰国した時はギターデュオやろうか?」と塩次さんが言った。
そして俺は、
「塩次さんこそ、今度アメリカに来るときはニューヨークにも寄ってください。
宿は心配しなくていいです。それに、
最近、ニューヨークに美味い蕎麦屋ができたんですよ。」と言った。
「それもええな。」と塩次さんが答えた。

俺にとって、これが塩次さんとの最後の会話になった。

ニューヨークに戻って直後、
塩次さんは俺のファースト・アルバムのライナー・ノートのために
こんな素晴らしい文章を送ってくれた、
「ヒロ・鈴木のギターには永年ニュー・ヨークに住み、動き、
やりとおして来た凄みとともに誠実な人間性を感じとれる。
一緒に演奏してても多いに楽しさを共有できる、
存在感あるプレイヤーだ。(2008年3月27日、塩次伸二 )」。
今まで必死に突っ走ってきた汗が、報われる思いがした。

先週の土曜日の昼、出かける準備にあわてているところに電話が入った。
ナコミちゃんの泣き声だった。体の中が空っぽになった。





塩次さん、
俺にはまだわかりません。
亡くなられたって、どういうことですか?
もう俺と一緒にステージに立ってギターを弾いてくれないんですか?
じゃ、俺、日本で誰とギター弾けばいいんでしょう?
俺、誰に真剣勝負を挑めばいいんでしょう?
教わりたいこと、盗みたいこと、話したいこと、まだ腐るほどあるんです。
これって、いや...、俺にはやっぱりわかりません。
「塩次さん、ありがとうございました。」って、
まだ納得できませんから、
まだ言いたくありません。

投稿者 hirosuzuki1 : 2008年10月21日 16:11

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