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2008年04月22日

第41回;10年一昔

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HIROMASA SUZUKI: From Where I Am
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マンハッタンのウエストヴィレッジと呼ばれるエリアは、
世界でも最も大きなゲイコミュニティーが存在することでも有名だが、
そこを東西に走るクリストファーストリートは
さしずめ世界のゲイ文化のメインストリートとでも呼べる街路である。
このクリストファーストリートの東端に
ジャズ、ブルースのライヴ演奏を聴かせるマンハッタンで最も古いバーのひとつ、
55Bar(フィフティーファイヴ・バー)がある。
ここは1920年代の禁酒法時代にはSpeakeasy(もぐり酒場)として
既に営業されていたという、単にバーとしての歴史も非常に旧い店で、
おそらくジャズファンにとっては
マイク・スターンが定期的に出演するバーとして有名かもしれないが、
実は俺にとっては、15年前は毎月一度は必ず出演していた、
駆け出しの頃の最もなじみの深い店のひとつで、
また現在でもブルースを演奏させる「ライヴ・ハウス」として稼動し続けている、
マンハッタンでもきわめて数少ない貴重なブルース・バーのひとつでもある。

その当時のマンハッタンはまだまだかなり危険で、
この55Barのあるエリアも夜になればドラッグディーラーや娼婦娼夫が我が物顔で徘徊し、
店内のバーカウンターには常に複数の売人が座り顧客
(もちろん演奏するミュージシャンの多くも
この顧客に含まれていたことは言うまでも無い。)を待ち、
地元のコアな音楽好きや唯のジャンキーや唯の酔っ払いがひしめき、
演奏中の客同士の喧嘩などは日常茶飯事の相当ポテンシャルの高い環境で、
常に危険なグルーヴとむせ返るほどのタバコの煙が漂い、
それがどうエフェクトされていたかはわからないが、
演奏は常にハイ・エナジーの真剣勝負で、
俺はここでの演奏をいつも楽しみにしていた。

最後に「ギグ」として出演したのはもう10年以上前になると思うし、
最近では、時々友人のミュージシャンが出演したりするときに顔を出し、
気が向けばシットインしてセッションする程度で、
15年を経た現在の55Barでのパフォーマンスが
どんな肌触りなのかは知る由も無かったのだが、
先週の終わりに友人のシンガーの一人であるビル・シムズからの誘いがあり
超久しぶりに演奏するチャンスに恵まれた。
ビルの歌もギターも相変わらず素晴らしく、
バックバンドのレベルも非常に高い、
音的には全く非の打ち所のないギグだったが、
しかし、満員の観客のほとんどがヨーロッパや南米や日本からの観光客、
くだを巻く酔っ払いも目つきの鋭い売人もいない、
タバコの匂いさえしない健全な店内、
あの危険なエナジーはどこかに消え去っていた。
55Barにとってクリストファーストリートにとってウエストヴィレッジにとって、
「10年前」はどうやら随分昔の話らしい。ちょっと寂しい気持ちがした。

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投稿者 hirosuzuki1 : 2008年04月22日 08:50

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