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2006年06月16日

第30回:2006年日本(その3)

***時々“Do You Teach ?”と聞かれる。「ギターを教えますか?」、「生徒をとりますか?」という問い合わせなのだが、俺はいつも“No.”と答える。教わったり教えたりするのはけして嫌いではないが、早い話が自分のことで精一杯で、他人に教えている余裕などちっともないからに他ならない。それでも随分昔、もう10年以上前になるが、ニューヨークで一度生徒を何人か持った事がある。(「『ジョニー・B・グッド』が弾けるようになりたい。」と、アルバート・キングそっくりの巨体のおじさんが恐ろしく旧いテスコを持ってやって来た時は、さすがに「もしかして、教わるのは私の方じゃないでしょうか?」と口走ってしまった。)ギターを教えるのは後にも先にもそれが初めてだったが、人にものを教える事がこんなにも重労働だとは思ってもみなかった。レッスンの後などは精神的にも肉体的にもぐったりして、その直後にギグがあったときなどは、演奏に注ぐべきエネルギーがエンプティーになっていて、とても続けられないとわかり、即、生徒達に謝り「閉校」した苦い思い出がある。早い話が、そもそも人にギターを教える才能がないということで、以来、どんなに問い合わせがあっても、レッスンのことは極力考えないように努力している。

ともかく、それでも多くの人達から寄せられる「どうすればギターがうまくなれますかね?」という質問へは、「あなたが一番好きな歌を弾き語りすること。」と答える。いつも大好きで口ずさんでいたり、カラオケボックスで必ずリクエストするような歌を自分のギターを伴奏に唄おうとするのが一番てっとり早い。まずは唄いたい歌のコード付き譜面を手に入れること。もしその譜面にギターコード表がついていれば申し分ないが、なければコードブックを別に買えばいい。俺が小学生の頃(...ということはもう30年以上前かよ...大昔じゃん...)、明星とか平凡とかいう芸能雑誌があって、百恵ちゃんや淳子ちゃんやアグネスちゃんなどのグロテスクなほどデカいアイドル・ポスターと一緒に、小さな歌本が必ず付録で付いていた。当時の歌番組などで絶えずラジオやテレビから流れていたヒット曲の全てが歌詞、楽譜、ギターコード表付きで網羅されていて、ごく初歩の段階ではあるが、コードを憶えたり歌詞の持つリズムを感じたりするのにとても重宝した。つまり理由はごくごく単純で、自分のギターを伴奏にして歌うとき、その曲に慣れ親しんでいればいるほど気持ちよくスムーズに唄いたいと思うのは当然で、そのためには押さえたコードをリズムどおりスムーズに正確に移動しようと頑張るだろうからだ。機械的なトレーニングやオーガナイズされた理論はずっとずっと後回しにしておけばいい。歌の伴奏に最も適している楽器の一つであるギターのキャラクターをフルに楽しみながら(楽しむために?)利用すればいい。

逆に自分が生徒として誰かに教わりたいという欲求は、常に自分の中にあり、身近にいるミュージシャンが気になるプレーをすればいつでもステージの袖まで行って質問するし、今でも時々知り合いのヴェテラン・ミュージシャンの住まいまで押しかけて行っては技の伝授を乞うてみたりする。やはりキャリア、ノウハウ共、自分の上をゆくミュージシャンと「『さし』で勝負」して得られる知識ほど濃厚で身になりやすいものはない。チャンスがあればどんどん盗み、そしてレッスンを受ける、この気持ちは多分一生変わることはないと思う。最高にラッキーな事に、俺が日頃から活動しているサーキットには素晴らしいギタリストが多い。そして彼等の全てがとてもいい友達であり、後進をサポートする努力を惜しまない方たちばかりだ。彼等のギターから次々と溢れ出てくる見たこともないような奏法、グルーヴ、音の創り方を出来るだけ確実にものにしようと、目の色を変えてレッスンにのぞむ、ここにも真剣勝負が展開する。

俺がもし今日本に住んでいたらどうしても通いたいギターレッスンがある。今回の帰国でゲスト参加させていただいた、塩次伸二ギタートレーニングジムだ。場所をライヴ・ハウスに指定し、スポットライトを受けながらステージの上で実際にアンプを使い、課題曲をデュオで、テーマ、ソロ、バッキングを交互に取り合い、他の生徒達は客席で思い思いにその演奏を聴き、演奏後は感想を述べ合うという、物凄くシンプルではあるがライヴ・パフォーマンスに直結するほとんど全ての要点が盛り込まれた、完成度の非常に高いレッスンた。そこに集まっていた何人もの生徒さんたちは、曲のテーマを大切にする事、相手をちゃんと聴く事、そのために自分のヴォリュームの調節がとても大切だという事、ユニットの中にあっては自分自身もグルーヴを創造するための大切な一人である事を、このレッスンを通してよく理解し身につけていたと思う。そしてとかく理屈の域から出る機会の少ない、異なったスケール(音階)の知識も、このレッスンによって確実に自分の体の一部にすることができる。生徒さんの中には、このレッスンから、もう十分に
プロとして活躍できる実力を得たと思える方が2~3人いた。

よく昔の言葉を引っ張り出してきて「教わるのではなく、盗め。」という意見がある。確かに、教われる環境になければ盗むより他にないのだろうし、自分が本当にそのフレーズを自分のものにしたいのなら、「盗む」という大仕事を時間を犠牲にしてでもやり遂げてあたりまえだと思う。でも、せっかく相手が「教えてあげるよ。」と門戸を開いて歓迎してくれるのなら、それこそ時間の節約にもつながるわけで、教わらない手はないだろう。ただ、教わった事とは、その時点ではやはりあくまでも「知識」でしかなく、それをいかに自分の中で消化し自分の「音」に出来るかが最終的に問われる絶対必要条件なわけだ。絵画の巨人ピカソはある展覧会で、ある日本画家の絵の前で何も言わず3時間も4時間もじっとその絵を睨みつけていたという。自分にないものを貪欲に盗み、そして自分の中で完全に消化し、自分の「色」にしてキャンバスにぶっつけ返した、というわけだ。ただもう一つ忘れてはいけない事は、消化する時間は人それぞれだということ。一瞬にして消化してしまう奴もいれば、不器用に何年もかかって自分のスタイルの一部として完成させる奴もいるだろう。どんなに厳しい状況でも続けること、繰り返すことが大切で、そのために必要不可欠な持久力の源である「音楽が好き」という気持ちがなによりも大切なのだと思う。

この2月の帰国でいくつものライヴ・ハウスに足を運んだ。どれも音楽を愛する人々によって大切に守られた「聖域」だった。そんな中で次回の帰国でも是非お邪魔し、出来ることなら自分のギグとして演奏させていただきたいと思っている店がある。神戸でのラジオ録りの後、大慌てでなだれ込んだ大阪「ハウリン・バー」だ。その晩はジャム・セッションということで、参加させてもらうのをとても楽しみにしていたのだが、ラジオ録りが予想を超えて大盛り上がりし、終了が予定より2時間近く遅れてしまった。ラジオ関西を出発した時点で既にジャムの終了時間は過ぎており、でもラジオ録りの打ち上げがてら、せめて冷たいビールを一杯、と番組のメンバー三人で急行した。約1時間後に店に着いてみると、やはりセッションは終了し、楽器を全て片付け終えたハウス・バンドの皆さんがのんびりとお酒を飲んでいた。とてもリラックスした雰囲気の気取らない店で、早速一緒に飲もうと思い店長さんに挨拶しビールを注文して会話の輪の中に入ろうとすると、メンバーの一人が「ねえ、もし良かったら、これからやりませんか?」と言い出した。するとメンバー全員が黙々とセッティングを始め、乾杯のビールもそこそこに予期せぬ嬉しい深夜のジャムセッションが始まったのだ。ブルースをとても良く知ったミュージシャンばかりで、エゴのないポジティヴで暖かい雰囲気の、今までに経験した中でも最高に気持ち良いジャムで、おかげさまで今回の滞在の中でも一番美味しいビールを飲ませていただいた。自分のバンドのメンバーを東京から関西圏など遠方に連れてゆくのは金銭的にもかなり難しいと思う。それでもこのハウリン・バーのような気持ちよくプレー出来る店にはなんとか頑張って出かけてゆきたいと思う。

蛇足1
最近、やっとDVDプレーヤーという機械を購入し、早速ジミ・ヘンドリックスの「ライヴ・アット・ウッドストック」を観た。ジミの貴重な映像が満載されているのにはもちろん驚かされたが、俺がなによりも強く感動したのは、ジミという音楽に対面する無数の観客やスタッフ達の、極めて真剣で緊張感溢れる態度である。ステージは多くのスタッフや関係者、そして彼等の側近と思われる人々で埋め尽くされ、客席には4日目の早朝にもかかわらず、泥だらけの大観衆が残っている。笑っている奴が一人もいないのだ。みんな本当に真剣な目で、まるで大学かなにかの大切な講義か、シリアスな映画を観るような目でジミのプレイを見守っている。これには鳥肌が立ったし、ある意味ひどく羨ましかった。時代は1969年、アメリカはヴェトナム戦争の泥沼化に疲弊していた。若者達は何かにすがる思いで世の中が変わってくれることを切望したに違いない。そしてその「何か」が音楽でありアートであり、ロックだったのだろう。時代の持つ異様な緊張感がもろにこちらに伝わってくる、とてつもないドキュメンタリー映画だ。

それから前回の帰国の際、友人からプレゼントされた日本のロック映像を集めたDVDにもノックアウトされている。それにはなんと70年代の塩次伸二御大率いるウエストロード・ブルースバンドの映像がある。テイスティーで玄人好みのする塩次さんの335が淡々と鳴っている。そしてなんと言っても圧巻なのは「空へ」と「私は風」を唄うカルメン・マキの映像だ。ジャズやフュージョンにとかく色づけられがちな日本で、彼女のようにガツンとロックを唄えるカッコいいシンガーがこれからもどんどん出てきてもらいたいと思わずにはいられない。

蛇足2
ワールドカップ・ベースボールで多くの棄権者が出る中、「日本のために戦う。」と積極的にチームをまとめ上げ、初戦で韓国に負けた後、「こんな屈辱を味わった事はない。」と悔しさをもろに吐き捨て、結局は日本チームを優勝に導き、そのためかメジャーリーグ開幕への調整には若干の遅れを呈してしまったイチロー選手、今現在6月始めの時点で打率が3割6分台である。毒で毒を制し、自分自身をさらけ出し、借りはきっちり返す心意気。誰も文句は言えません、恐れ入りやした。あんたこそ本当のプロだ。

蛇足3
わざわざ応援のメッセージを送ってくれている皆さん、投稿が遅れ続けていてホントごめんなさい!昨年の10月以来新しいプロジェクトへの参加が続き、それらの準備に追われ、さらには日系スーパーマーケットでのアルバイトも続けている。ちょっと忙しい。なんとか頑張って月一投稿のペースはこのまま持続したいと思っているので、どうかこのまま見守っていてください!

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蛇足4
最近はこのコンビネーションにはまっている。
1990年製グレッチ6120(日本製ボディー)、
リアはTVジョーンズのハイパワーPU、
足元は右からダンエレクトロのコーラス、
マクソンのアナログ・ディレイ、そしてXoticのRCブースター
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投稿者 hirosuzuki1 : 2006年06月16日 05:10

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