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2006年04月11日

第28回:2006年日本(その1)

俺という人間はどうも、なにごとにつけてもひどく不器用な人間だ。何をするにもとりあえず段取りみたいなものを考えて、全てを円滑に終らせようとしてはみるのだが、まずそもそもその段取りからして状況にかみ合うことがほとんどなく無駄になり、結局は耳障りなきしみ音をたてながら行き当たりばったりに事を進めている、いつになってもそんなふうだ。時にはひどい自己嫌悪に陥るし、また時には八方ふさがりの状況に絶望的な気分になり、起き上がれないくらい落ち込む事もある。そしてニューヨークのミュージック・シーンの状況は目に見えて悪化するばかりだ。とにかくきびしい。「どん底」と言ってもいつまでたっても底に届かないし、復調のきざしもさっぱり見えてこない。

それでも、少なくとも俺の場合、ひとたびオーディオからお気に入りの音楽が流れ、楽器を手にすれば、そんなへとへとの心の中にも小さな「夢」が頭をもたげはじめ、それを大きく成長させる元気を維持しながら明日からもなんとかやってゆこうという気持ちになることができる。つまり俺という人間は、つくづく音楽とギターに助けられて生きている、とも言える。

実質的にプロ・ミュージシャンとしての活動が本格的に軌道に乗ったのは、ニューヨークに引っ越してきてから約一年後、当時地元のブルースシーンで最も人気のあったバンドの一つ、S&Tに参加してからである。S&Tは当時マンハッタンにあった人気ブルース・クラブのレギュラー・バンドとして毎週火曜日の演奏は確定していたし、週末もその他のクラブでの演奏に引っ張りだこで、おかげで俺自身もとても忙しく充実した毎日を送っていたのだが、1993年秋、ニューヨークでの二回目の年末目前、「新しいギタリストを加入させたいから。」という理由で一方的にクビにされてしまった。かきいれ時を目前にして仕事を失い、がっくりと気を落としたものだが、ところがそれも束の間、「捨てる神あれば拾う神あり」というかなんというか、当時やはりニューヨークで非常に人気の高かったFバンドのキーボード・プレーヤーでバンマスのTから「しばらく一緒にやってみないか?」と突然連絡が入り、いきなり大晦日のカウントダウン・ギグを含む約10本のギグに誘われたのである。

当時このFバンドは、ヴェテラン・ミュージシャンがずらりと顔を並べる「職人集団」で、一体どこまでこんなぺーぺーの俺がそのギタリストという大役を務められるのか、正直言ってとても不安だったが、それでも彼等のような実力のあるミュージシャンとの共演を通して少しでも経験を重ねたいという一心で、二つ返事でその誘いを受け、演奏曲のまとめられた3本のカセット・テープを基に譜面をおこし、それこそ寝る暇も惜しんで練習をした。初日はもうとにかく間違えないようすることだけに集中し、ガチガチの演奏になってしまったのを今でもはっきりと思い出す。

それでもギグを重ねるうちに曲にも慣れ、バンド全体を目と耳で意識する余裕が生まれ、少しづつこのユニットの「音楽」に没頭できるようになってきた。ところがそんなふうに徐々にこの新しい環境に馴染み、それなりに楽しめるようになるにつれ、バンド内にとても妙な空気が漂っていることに気がついた。確かにメンバー全員が素晴らしいミュージシャンばかりなのは間違いないのだが、メンバー全員の意識の向かう方向がてんでバラバラに感じられたのだ。まず誰もアイ・コンタクトをしない。もしかしたら俺だけがアイ・コンタクトを逃していただけだったのかもしれないが、少なくとも俺の方からアイ・コンタクトを送ろうとするときはいつでも、ベーシストはステージのうしろの壁に寄りかかり、指を楽器の上で動かしてはいるもののまるで眠っているように見え、T本人も遠くを見つめるようなうつろな視線を客席と鍵盤の間を行ったり来たりさせているだけ。リード・シンガーはあらかじめ用意された曲順に沿って淡々とショーを進め、毎回同じようなジョークを飛ばし、お決まりのエンディングで曲を終わらせてゆく。そしてさらに驚いたことに、ギグを重ねるごとにだんだんTが俺と口をきいてくれなくなりはじめたのだ。6度目のギグあたりでは演奏前にこちらから「よう!」と声をかけても完全に無視され、セッティング中も演奏中も演奏後も視線さえ合わすこともなく、俺がトイレに行っている間に片付けを済ませて、一言もなく帰ってしまうというありさま。さすがにここまでされると気分が悪いし、何があったのかを知りたくなって当然だ。翌日Tに電話をすると、当時F バンドのマネージャーをしていたTの奥さんが出た。Tは留守だし、マネージャーである自分が話を聞くというので、とりあえず事の成り行きを説明した。ここにきてどうしてあんな態度をとりはじめたのか、もしも俺の演奏に対して不満があるのなら、はっきりと言ってくれれば出来るだけの努力をするし、それでも足りなければクビにしてくれてもいい、とにかく無視されてまで続ける気はないし、遅くても2週間後の次のギグまでに直接話をしてはっきりとさせたいので必ずコール・バックして欲しい、と言うと彼女は、Tからはヒロがとてもよくやってくれていると聞いている、このまま続けて欲しいとも言っていた、無視などしているわけがない、必ずコール・バックさせるから次からも頼む、と明るく言い切ったので、とりあえずその場は彼女の言葉を信じることにした。しかし結局Tからのコール・バックはなく、さらにその後は何度こちらから電話をしても誰も受話器を取らなくなり、留守電にメッセージを残し続けたがそれでも一切のコール・バックがなかった。とても残念だったがこんな環境で良い演奏を続ける自信は全くなかったので、次のギグのちょうど一週間前にもう一度Tに電話をし、残りのギグを全部キャンセルする旨を最後のメッセージとして残し、Fバンドを離れ、同じ頃に並行して参加していた他のバンドとの活動に集中することにした。

その後、TやFバンドのメンバー達はよほど自分の演奏が気にいらなかったようだったと、笑い話代わりにこの話をTを良く知る数人のミュージシャン達にすると、彼等は決まってシリアスな表情になり「ヤツは本当に良いプレーヤーだけど、なにしろ気難しすぎる。」と口を揃え、彼にまつわるいくつもの笑えない話を聞かせてくれた。「ニュージャージーのあるクラブでの演奏後、客と談笑していると、マンハッタンの自宅まで車で送ってくれるはずのTがどこにもいないことに気がついた。『話が長すぎる。』と、怒って何も言わず帰ってしまっていたのだ。マンハッタンまでの交通機関などその時間にはあるわけもなく、仕方がないのでクラブの玄関前で野宿した。」、「待ち合わせ場所がマンハッタンのある駐車場で、そこまでバスと徒歩で辿り着いた。予定より早く着いてしまい、周囲に何もない広い駐車場だったのに加え、ひどい雨で、そこの入り口で他のメンバーが到着するのを待っていた。しばらくしてTの車がやって来て自分を素通りし駐車場の奥に停まったので、車の中で一緒に待たせもらおうと思い、追いかけていって声をかけると、『助手席が濡れるから。』と同乗を拒否された。しかたなくまた入り口まで戻り、引き続き他のメンバーの到着を約20分間、大雨の中で待ち続けた。」、「本番寸前になってもTが姿を見せないのでメンバー全員が大慌てで捜したが予定時間を30分すぎても見つからない。しかたなくキーボードなしで演奏することになり、バンマスが一曲目のカウントを始めた途端、Tがステージに現れ、何事もなかったかのように演奏に加わった。演奏後、店のコックの一人が『Tは大騒ぎで捜し回っているメンバー達を厨房の入り口のドアの影でずっと見ていた。』と教えてくれた。」等々...。その後数年のうちに、いくつかのバンドを通じて、俺もTとは何回か演奏している。そのうちのいくつかでもやはり彼は俺や他のメンバーを終始無視していたし、あるショート・ツアーなどでは、俺に対しては気持ち悪いほどフレンドリーな反面、移動中の車の中や、シェアしたホテルの部屋では終始バンマスや他のメンバー、ブッキング・マネージャー等々への不満をこぼし続け、ステージではしばしば投げやりになりふてくされて、アンサンブルを無視したプレーで周囲を戸惑わせていた。

約4年前、親しい友人のギタリストNのギグを観に、馴染みのバーに行くと、偶然Tが参加していて、例によって俺を無視したので、ちょっと面白そうだったのでこっちから「よっ、元気?!」と声をかけると、その晩はいくらかでも腹の虫の居所が良かったのか、彼の方から随分と話に乗ってきた。忙しくしているのか、と聞くと、「最悪だ。今月も4本しか仕事がない。」と言う。これには正直言って驚いた。どんな楽器奏者よりもつぶしの利くキーボード・プレーヤーで、経験も才能も豊かでどんなジャンルでもこなせるミュージシャンであり、それも極めて希少価値の高いハモンド・オルガンの名手であるTが、たった月4本しか仕事が無いとは、このNYCのライヴ・ミュージック・シーンもいよいよ末期状態に違いない、と絶望的な気持ちにならざるを得ず、随分と重苦しい会話になってしまった。

それでも演奏後、別れ際にTは「俺のニュー・アルバムだ。聴いてくれ。」と、自信たっぷりにCDを手渡した。ジャズ、ブルース、ファンクが完璧な演奏によってレズリー・スピーカーから溢れ出る、それは本当に、ホントウに素晴らしいアルバムだった。すかさずTにメールを送り、どれだけこのアルバムが気に入り、繰り返し聴いているかを、そして次のギグにも必ず足を運ぶつもりでいることを伝えた。約2週間後、約束どおりクラブに顔を出すと、ちょうどファースト・セットが終ったばかりで、バーカウンターで飲み物を注文していたTは俺を見つけるや否や恐ろしくシリアスな表情で近づいてきて、俺を思いっきり抱きしめて、「ありがとう、ありがとう...」と、涙声とも取れるような感情を抑えた声でつぶやきながら、頬にキスをしてきた。50を超えるヒゲ面(俺もヒゲ面だ...)で超コワモテのオッサンが、それも大勢の人の真ん前で、まさかこの俺を抱きしめてキスをするとは、よほど物凄い光景だったに違いない。(ここで断っておくが、アメリカやヨーロッパに暮らしていると、成人男子どうしがハグしたり、相手の頬にキスをしたりすることは、しょっちゅうとは言わないまでも周囲が「引いてしまう」ほど珍しい事ではない。相手を深く感謝したり、強い友情を感じたりした時などには、結構普通にそうするようだ。それでもヒゲ面対ヒゲ面のハグ&チーク、ちょっと凄い。)

演奏後、声をかけて帰ろうとすると、「車で送って行くから、片付け終わるまで待っていろ。」と言う。お互いの住むエリアはだいぶ離れているし、まだ地下鉄の本数の減る時間でもなかったので「いい、いい、手間は取らせないよ。」と断ると、「なんだオマエ、俺に送らせねぇって言うのか?!」とまた怒り出しそうだったので、あまり気は進まなかったのだがとりあえず数ブロック先の駅まで送ってもらうことにした。「キーボードが必要な時は俺以外に電話をするなよ!」と、冗談のつもりで言っているようだったがとても冗談には聞こえないほどドスの効いた声で繰り返しながら運転する姿がとてもTらしかった。

その後も時間が空いているようなら積極的に観に行こうと思い、Tのホームページでスケジュールをチェックしていたのだが、俺自身もその後デボラ・コールマンとのツアーが始まってしまったりで、タイミングがなかなか合わず、音信も途絶えたまま約二年が経った。しかし今から約一年前、4年前と同じバーで、やっぱりNのギグに立ち寄ると、やっぱりその晩もTが参加していて、やっぱり無視したので、やっぱり俺の方から声をかけた。Tの演奏はやっぱり本当に素晴らしかった。そして「キーボードが必要な時は俺に電話しろ!」とドスの効いた声でやっぱり言っていた。

Tと話し、Tのライヴ演奏を聴いたのは、今となっては結局それが最後になってしまった。日本をツアー中の三月始め、宿泊先の都内のホテルでメールをチェックすると、Nからの短いメッセージが届いていた。「今早朝、Tが自宅のビルの屋上から飛び降り、自らの命を絶った。」...。

...T, 随分急にそっちに行っちゃったんだなぁ...。
次に一緒に演奏するチャンスがきたら、今度こそはアンタを俺のギターで喜ばせてやろうと楽しみにしていたんだけど、もうそれもできなくなってしまった。それにしてもアンタは、なんだかいつも怒っていたよね。何がそんなに気に入らなかったのかは知らないけど、そっちに行っちゃったのだから、もう怒る必要もなくなっただろ?これからは、気に入ったメンバーと気に入った音楽を、ゆーっくり楽しむといいよ。
T、お疲れさまでした。素晴らしい演奏をありがとう。

HIRO SUZUKI


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俺は当分「こっち」で弾きつづけるつもりだ。
絶対にギヴ・アップしない。

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気がつくと「くそぉ...」とか「畜生...」とか口走っている自分がいる。
きっと無数の「くそぉ...」、「畜生...」がこの街の空にはこだましているんだろうな。


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投稿者 admin : 2006年04月11日 14:35

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