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2006年02月06日

第27回:緊張感(その二)

(前回からの続き。)...2月19日(日曜日)の高円寺「楽や」では、最小限の機材で取り組むアコースティック・セッション。G.J.JUKEは激しいダイナミズムがキャラクターのラウドなバンドだから、演奏の場を探す時は常に「ヴォリュームの制限のない店」を第一条件にあげている。この「楽や」ではその完全に逆、ヴォリュームの上限をいつもよりはるかに低く設定された条件下でどこまで「うねる」か、俺にとってはちょっとしたチャレンジで、今からとても楽しみなギグなのである。またこれはG.J.JUKE単独のショーなので、いつも演奏しているスタンダード・ブルースやオリジナル曲に加えて、今までに大く影響を受けてきたアメリカン・ロック、特にサザン系のスタンダードから、日常でいつも口ずさんでいるような曲ばかりをカバーしてみようと思っている。オールマンやエルヴィン・ビショップはもちろん、ジョン・ハイアットやザ・バンドなんかもやってみたい。メンバー全員が必要最小限の機材でプレーするし、俺はアコースティック・ギターを
使う。懐かしい顔ぶれや意外な特別ゲストの飛び入りもありそうだし、翌20日はオフだ
し、相当ビールがおいしい夜になりそうだ。

今の時点(2月2日)ではっきりしているスケジュールをここらへんでアップすると、

*オリジナルプロジェクト「G.J.JUKE」の演奏
2月
17(金)横浜サムズアップ.....(藤倉嗣久& SOUL STEW、DICK BOOGIE & BOOGIE WOOGIE ALL STARSとのカップリング)
19(日)高円寺「楽や」(G.J.JUKEアコースティック・セッション)
24(金)藤沢ビートバー・ベック(カップリングあり)
25(土)高円寺ジロキチ(「WA」とのカップリング)
28(火)渋谷クロコダイル(金剛雷鬼神Vajrayaksaとのカップリング)

*ヒロ鈴木としてのラジオ出演
2月27(月)ラジオ関西「BLUES NIGHT」(翌日午前2時30分〜3時)
(日程確認中)ラジオ関西「神戸ミュージック・カンパニー」

*ヒロ鈴木としてのゲスト出演、セッション
2月
18(土)渋谷テラプレイン(北川純「ブルース青年会議所」特別会議)
22(水)京都「陰陽『ネガポジ』」(塩次伸二ギタートレーニングジム)
23(木)新世界COCOROOM(塩次伸二ブルースバンド)
3月 
1(水)大塚ウエルカムバック(北川純「ブルース青年会議所」ジャムセッション)
3(金)品川トライベッカ(池田哲也セッション)
5(日)西船橋「月」(池田哲也セッション)

これらのギグについてもう少し話したい。
G.J.JUKEのメンバーにとって最初の五つのギグは1年3ヶ月ぶりの再会になるわけで、どれも緊張感のある熱いパフォーマンスになるのはもちろんだが、それぞれの「場」の持つ個性を十分に生かし、そこにいあわせる人々の出来るだけ多くが一体感を共有できるようなショー、セッションにしたいと思っている。

2月17日(金曜日)横浜サムズアップは長いブランクからのまさに初日で、一曲一曲、瞬間瞬間を大切にして、粗雑な演奏にだけはならないようにしながらG.J.JUKEというユニットをゆっくり楽しみたい夜。「横浜の夜明けを遅らせる、ブルースギター・ナイト」(どっかで聞いたことがあるけど、まぁ、いいか。)ということで、そのほかにディック・ブギー・アンド・ブギウギ・オールスターズ、そして今日本のブルース界で話題になっている、弱冠19歳の天才シンガー/ギタリスト、藤倉嗣久くん率いるSOUL STEWが出演するという、密度の高い金曜日になりそうだ。メンバーの間でもこのサムズアップという店の評判はとても高く、俺にとっては横浜でのパフォーマンスは初めてだし、ぜひ盛り上げて気持ちの良いスタートを切りたい。

一昨年、大盛況のうちに終った渋谷クロコダイルに今年も出演する。このショーは今回の滞在の中でのG.J.JUKEとしての最後の演奏で、ここでは是非、次につなげる何かをしっかり掴むような、タイトな演奏を目指す。それにしてもこの「金剛雷鬼神:Vajrayaksa」とは何者だ?!ホームページを拝見してみると、どうやら和太鼓がブルースバンドに加わっているらしい。今までNYでいろんなバンドに遭遇してきて、ちょっとやそっとでは驚かない自信はあるが、いったいどんなサウンドなのだろう?

もう15年以上前、東京に住んでいた頃にたまたま一緒にバンドをやっていたシンガーに
池田哲也という男がいる。NYに引っ越してきてからは全く連絡を絶っていたが、約4年前に日本での活動を再開したときから彼には随分と世話になっている。今回も3月の2度のセッションに誘ってくれているのに加え、彼のオリジナル・ユニット「WA」としても2月25日の高円寺ジロキチのショーに参加してくれる。ジロキチで演奏するのは俺にとっては3年ぶりで、自分のバンドでの演奏は1991年以来になるだろうか?帰国後4回目のギグ、土曜の夜というスケジュールも手伝って、原点ともいえるジロキチでのギグを盛り上げないわけにはゆかない。G.J.JUKEのエネルギーがいつにも増して爆発する夜になるはずだ。

今回の帰国、演奏で、どれくらいの人と出会い、俺の音楽はどれくらいの心をどれくらい揺さぶることができるんだろう?ライヴハウスにきていただけたら、是非演奏後にでも声をかけてください。そして演奏そのものへの感想はもちろん、このコラムへの感想なんかも話していただけたらとても嬉しい。では、もうすぐ会いましょう。

蛇足1
藤倉嗣久くんは、塩次伸二、山岸潤史、両ギターレジェンドばかりか、鮎川誠や永井隆という、日本の大御所ミュージシャン達から軒並み大絶賛を受け、セッション等にさかんに招かれているという若者(「若者」って、まるで俺がジイさんみたいな言い方だな。)で、これからがとても楽しみな日本ブルース界久々の期待の星なのだそうだ。19歳とはなんとも若く、本当に羨ましい限りだ。自分が19歳の頃はどうだったか思い出してみると、「期待の星」などにはほど遠く、ろくに勉強なんてしたくもないのに大学に入って、小さな軽音楽クラブかなんかでギャーギャー言いたいこと言って調子に乗っていた。気が狂ったみたいにジョニー・ウィンターをコピーしていたのもその頃で、どこで誰と何を演奏しようが、ゴリゴリのゴリ押しで前後の見境もなく無理矢理ソロを弾きまくっていたのを思い出す。でもその頃はこれで全てOK、他には何もいらない、と自分のスタイルを完全に信じきっていたわけだが、ある日、先輩部員のギタリストとジャムった時、いつものようにグイグイ弾き倒すだけの俺の伴奏をしていた先輩がソロを取る段になったときに、
自分の伴奏が全く伴奏になっていないことに気がついた。ブルース・ギタリストなのにブルース・ソロにフィットするコードさえさっぱりわからなかったのだ。これはショックだった。そして「聴かせようとするのはそのくらいにして、少しは周りに唄わせようとすれば?」という別の先輩からの一言でいっきに自信喪失におちいる。しかしこれが逆に大きなきっかけになって、その後はシンガーのバックで地味に光を放つようなプレーを聴きあさるようになり、結果的にはそんな「唄わせるギター」の面白さに目覚めることになったわけだ。

素晴らしいシンガーには必ずといっていいほど素晴らしいギタリストが影のように寄り添っていて、また彼等の演奏はどれもトーンがピュアで音数が少なく、音と音の間にゆったりとしたスペースがある。曲そのものの流れや、シンガーをはじめとするバンド内の他のミュージシャンが生み出す音に反応するように必要な音だけが必要な場所に淡々と置かれてゆくように聴こえた。そしてそんなギタリスト達の素晴らしい演奏が詰まった曲のほとんどが、それまで自分が聴きまくってきたタイプのブルースやロックとは随分違うR&Bやファンク、そしてジャズ・フュージョンだったので、使用する楽器やアンプも含めた自分のスタイルのいろいろなことを考え直すようになり、同時にギター以外のパート、特にベーシストやドラマーをとても注意深く聴くようにもなった。

つまりここで初めて音楽の中で自分のギターがどんな役割をしているのか、客観的に自分の演奏を見つめる「目(耳?)」を持てるようになったともいえる。このプロセスはジョニーやエリック・クラプトンのソロをコピーすることよりもずっとずっと時間がかかり、それらのリック(知識)が完全に自分のものになったかどうかがなかなか具体的に見えてきづらいために、傍からみればとても根気の要るプロセスだったのかもしれない。幸い俺の場合は、「歌」が「ギター」と同じくらい好きだから、そんな長いプロセスを十分に楽しむ事ができたし、もちろん今でも苦痛に思う事はまったくない。

皮肉なことに、その後夢をあきらめるべくやって来たNYで、今度は再びブルースやロックにそれこそ頭の先からつま先までどっぷりと浸かる毎日を送り続け、幸い(いや、「なぜか」かも。)今日までの14年間をプロ・ミュージシャンとして送ることができている。これにはもちろん、多くの幸運と周囲からの援助があってこそだが、もしあの頃東京で自信喪失を経験せず「聴く耳」を鍛えることなく、「音楽」そのものより「ギターを弾くこと」が好きでギターをかき鳴らし続けていたら、きっと今の自分は音楽やギターからはおよそ程遠いところにいたような気がする。こんな遠回りをしてきた自分と、若干19歳にしてめざましい活躍をされ、これからが楽しみな藤倉嗣久君とを並べて四の五の言うつもりはこれっぽっちもない。ただ、一つだけ俺達の間に共通点があるとすれば、それは恐らく、「なによりも音楽を愛しているから唄い、ギターを弾き続けている。」ということではないだろうか?アメリカでも、両親に連れられてジャム・セッションにやって来て、アッと驚くようなプレーで大人たちの度肝を抜くティーン・エージャー達を見てきた。しかし彼等が「上手い」プレーヤーから「良い」プレーヤーに成長するためには、ジャム・セッションとは、プレーヤーも含めてそこに集まる一人一人が、生まれてくる音楽にはあくまでも無責任でいられるという点で、かなり無理のある環境といえるのかもしれない。多くのジャムに参加し、飛び入り参加を繰り返す以外に、一(いち)プレーヤーとして責任を持って音楽を楽しみ創造できるまったく別な環境を周囲が用意してあげられれば、若いミュージシャンにとってこんな幸せはないのかもしれない。

蛇足2
2月18日(土曜日)の渋谷テラプレインのでのショータイトルはなんと、「ブルース青年会議所特別会議」。なんのこっちゃ?いったいどんな特別会議になるのか、想像もつかないが、この会議に参加して、ブルースの未来に思いをはせてみることにする。そして投稿#26でもお知らせしたとおり、東京大塚ウェルカムバックでのジャムセッション(3月1日)はその「ブルース青年会議所」がハウス・バンドだ。是非共、楽器御持参の上、御時間厳守で御集り下さいませ。

蛇足3
10代後半にプロ・ミュージシャンを目指し東京で一人暮らしを始めたときからNYへ移る20代後半まで、ジロキチというライヴ・ハウスは常に音楽へのモチベーションを高いレベルに保ってくれる存在だった。ウエストロード・ブルースバンド、ブレイクダウン、吾妻光良、アップタイトといった、雲の上の存在ともいえるバンド、ミュージシャンを次々に目の当たりにし、何度も何度も鼻をへし折られプロへの壁の厚さを痛感させられたのもここだったし、NYに移住することでミュージシャンへの夢を捨てようと決意し、東京での生活へのけじめをつけるための最後のギグもジロキチだった。G.J.JUKEのドラマーは、N.Y.に移った直後から10年間、多くの面でサポートしてくれたヨシさんだし、その後NYのライヴ・シーンに突然現れ、素晴らしい演奏と精力的な活動で地元NYのミュージシャン達の注目を浴びたイサムがサックスをプレーしてくれる。今回ジロキチのステージにこんなメンバーと立つとき、一体どんな気分になるのか、今はとても想像がつかない。

Heritage2003_114.jpg
季節は冬だし、日本はひどく寒いらしい。何を着ようかな?
まさかビキニのおねえちゃんのハワイアンではいくらなんでも厳しいだろう。

補足
フライヤー(下記)はこちらをクリックするとPDFファイルで見れます。
flier.jpg

スケジュールやアクセスなど、さらに詳しい情報を知りたければ、
<info@hirosuzuki.com>に直接メールをくださるか、
直接ライヴハウスのホームページへ!

横浜サムズアップ<http://www.terra.dti.ne.jp/~stoves/tup/>
高円寺「楽や」<http://www.luck-ya.com/>
藤沢ビートバー・ベック<http://www.beatbarbeck.com/>
高円寺ジロキチ<http://www.jirokichi.net/>
渋谷クロコダイル<http://www.music.co.jp/~croco/index2.html>
ラジオ関西「BLUES NIGHT」<http://bluesnight.or.tv/>
ラジオ関西「神戸ミュージック・カンパニー」
渋谷テラプレイン<http://www.terraplane-blues.com/>
京都「陰陽『ネガポジ』」<http://web.kyoto-inet.or.jp/people/negaposi/>
大阪新世界COCOROOM<www.kanayo-net.com/cocoroom/cocoroom/coconi.html>
大塚ウエルカムバック<http://www.welcomeback.jp/>
品川トライベッカ<http://www.tribeca.cc/>
船橋「月」<http://www.blues-tsuki.com/>

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投稿者 admin : 2006年02月06日 02:55

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