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2010年12月15日
1976年8・8 ROCK DAYに出演までの道のり#2
拾得のマスター、テリーさんから出演OKが出て、がぜんやる気を出した僕達は、河原町丸太町を、南に行った西側のビル4階にあった、京都唯一の練習スタジオ、「KBS」で、練習に励みました。
その頃、また一つ、京都を代表するブルース・バンドの「ブルース・ハウス・ブルース・バンド」がデビューしました。 初めて京大西部講堂で見ましたが、まだまだこんなに凄い人達がいるのだと、凄く感動した事を覚えています。
「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」と「ブルース・ハウス・ブルース・バンド」の出現で、京都の1970年代、ブルース・バンドが最高100以上あったとされ、拾得や磔磔では毎日の様にブルースの演奏で盛り上がった、幻のブルースブームを巻き起こしたのでした。
さて僕達がライブハウスの老舗「拾得」に出演する日が近づいていました。緊張感が高まります。メンバーが一丸となって練習をして充実した日々だったと記憶があります。
そして、「拾得」の初ライブ、あまりの緊張の中、胃が痛くなった事を覚えています。始まる直前に、テリーさんにギターの弦は張り替えた後、弦が落ち着くまで、少しづつ引っ張らなければ本番でチューニングがガタガタになる事を習いました。テリーさんは物知りだと感心しました。
グレコの赤い335モデルを持ち、本番を待ちました。 全員が当時誰もが着ていたジージャンとジーパンでステージに立ったのでした。
緊張の中、ライブの内容はあまり覚えていませんが、ブルースのライブと言うだけで、多くのお客さんが来ていて、ワイワイと酒を飲み、拾得の畳の席で立ち上がって踊っている人がおられた事、完全コピーバンドやったのに応援してくれた人、「こらしっかり弾け!」と愛情のある野次を飛ばしてもらった事は鮮明に覚えています。
今から思えば、大した演奏は出来ていなかったと思いますが、拾得にデビューができ夢が適った嬉しさで一杯でした。 打ち上げはメンバーが酒を飲めなかったため、どうしていたのか?おそらくジュースを飲んでいたのでしょう。今では考えられない事でした。
投稿者 haru : 2010年12月15日 14:28