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2009年7月 6日

ご挨拶!

皆様初めまして、田中晴之と申します。
この度、『Joe Barden Guitars』のテレキャスタータイプのギターをモニターさせてもらう事になりました。
ハルさん1.jpg


 このギターは中高域の唸るように伸びる音と、低域の芯のある太い音が、バラード等の演奏に欲しい優しい伸びのある音が、私を弾くたびに喜ばせてくれています。
PCIと楽器店『Full Up』の鎌田氏には感謝の念で一杯です。
この場を借りてお礼を申し上げます。
 このギターをモニターさせてもらう事になった経緯には、色々有りましたが、その話はこの後、ゆっくり報告させてもらおうと思います。

私は、1954年12月26日、京都で生まれました。
現在54歳で、未だに京都を中心にがんばってブルース一筋のギターリストとして頑張っています。
 小学校高学年の時にビートルズが来日、また、ベンチャーズサウンドに興味を持ち出しました。
その後は、日本のグループサウンドと共にエレキギターに魅了されていました。
 中学一年生頃、ローリング・ストーンズを知り、当時のロックサウンドにどっぷりとはまってしまいました。
 中学2年生に初めて、フォークギターのまがい物の様なギターを手にしました。大変うれしくて、寝るのも勿体ないとギターを弾いた事を覚えています。
 昭和45年頃、高校生になり、ローリング・ストーンズのルーツは、黒人ブルースにあるのだと知り、ドンドン遡っていきました。
 ラジオやレコードでアメリカやアメリカやヨーロッパの音楽を聞きあさり、ジミー・ヘンドリックス、ジョニー・ウィンター、オールマン・ブラザーズ・バンド等に影響されブルースをやりたいと思い始めていました。
 そんな時、ウッドストックのLPを聞き、映画で映像を見て大きなショックと感銘を受け、バンドをやるしか無いと思い始めました。
 高校2年生で、自分の周りでは会った事が無いギターの上手い同級生に出会い、なんと彼はブルースを既にやっていたのです。私は、アルバイトをして日本製のレスポール(グレコ)を購入し、その同級生とブルースバンドを始めました。 
バッキングのみの参加でしたが、初めてやった曲は『イッツ・マイ・フォウルト・ベイビー』で、うれしくて、寝られなかった事を鮮明に覚えています。
 ベースギターを担当していた友人が、歯医者さんの息子で、毎週日曜日になると、国道に面したその歯医者さんの待合室にギター・ベースアンプやドラムセットをリヤカーに乗せて持ち込み、練習をしました。練習をするだけで本当に幸せでした。その時に他にも練習をやりに来ていたバンドに、今も一緒に音楽活動をしている福嶋岩男氏がいたのです。ビックリしますが、知り合って38年も経過していることになります。
 高校3年生の頃は、日本のロックシーンも面白くなってきていて、京都ではモジョ・ウエスト・コンサートが、円山音楽堂や府立体育館・京大西部講堂で行われていました。毎回見に行っていました。フラワー・トラベリング・バンド、ツーマッチ、モップス等を見ました。来日バンドでは、嵐の中、グランドファンクレイルロードを観に行って、大音量に興奮した事を鮮明に覚えています。
 同じクラスに、銀閣寺付近に住んでいた友人が京都の『村八分』と言うバンドの取り巻きをしていて、その友人から買ったコンサートチケットが、京都会館のコンサートでした。そこで、村八分の前に出演していた『ウエスト・ロード・ブルース・バンド』と出会いました。日本のプレイヤーでこのようにかっこ良いバンドがあったのだと、大きな感動を受けました。
 この出会いが、私の人生を大きく変えた出来事になって行きます。まだ、オールマン・ブラザーズ・ブラザーズ・バンドのコピーバンドでした。そこで、バリバリギターを弾いておられたのが、塩次伸二さんでした。もう一人のギタリストの山岸さんは、高校を卒業されて間もなくだったと思います。
 私も同時進行で、後に私がやったバンド、『ファッツ・ボトル・ブルース・バンド』の原形となるブルース・バンドをやりはじめていました。ベースは既に後のブルースバンドの池上君がいました。
 学生になり、まだまだ深くブルースにはまって行くのですが、当時、京都は『ウエスト・ロード・ブルース・バンド』、『ブルース・ハウス・ブルース・バンド』や大阪の『優歌団』等のブルースを真剣にやっているバンドの人気に火が付き始めていました。京都は、学生運動が終結し学生達が力をぶつける対象を探している時と、反メジャー思考が強く、余計に盛り上がったのだと考えます。
そんな時、老舗のライブハウス『拾得』がオープンし、夜な夜なブルースライブで盛り上がっていました。そこで、『ウエスト・ロード・ブルース・バンド』の演奏を聞いてぶったまげてしまいました。なんと黒人のブルースをやっていたのです。今までどのバンドも、イギリス系の白人ブルース系をやっていたのですが、なんと黒人サウンドでグルーブの中でギターや歌が吠えていました。
 このサウンドのバンドをやると心に決める瞬間でした。
 その次に『ウエスト・ロード・ブルース・バンド』が芦屋の『ルナホール』でコンサートをした時に、凄く緊張する気持ちを押さえて、塩次さんに『僕たちもブルースバンドをやっている。色々教えてほしい。』と話に行きました。塩次さんは、後片付けをしながら「それやったら音源を持って、俺のアパートに来ると良い」と言ってもらいました。その事が、塩次さんとの36年間のおつきあいのはじまりとなりました。(続く)

ハルさん2.jpg


田中晴之プロフィール(Website:http://blueskyoto.cool.ne.jp/

1954年12月26日生まれ
京都出身

1973「Fat’s Bottoe Blues Band」結成
1976 同バンドで、BB Rock Dayにて最優秀バンドになる
1977 故塩次伸二氏率いる「DownHomers」でアルバム「Oh!Yeah!」に参加する。
「Down Homers」にて憂歌団、しーちゃんブラザーズ等とライブアルバムが出る。
〜妹尾隆一郎氏、故塩次伸二氏等とブルースセッションでライブを重ねる。
現在まで、数々のブルース・ミュージシャンとライブを重ねる。
1989 シカゴ在住ピアニスト有吉須美人氏率いる「Ariyo’s Shuffle」に在籍し、 ラ イブを行う。
 故バレリーウェリントンさんとブルース・カーニバルツアーに参加する。
1993 京都建都1200年イベントにて、中国ツアーに参加、上海・北京・西安でコンサートに参加する。
多田たかしとアコースティックブルースナイトに在籍、アルバム「ろく でなし」に参加
有吉須美人氏のアルバム「Piano Blue」に参加する。
大山大吾郎氏・八木のぶお氏・山田晴三氏と「Amigo’s」在籍する。
1998 泉谷しげる氏・木村あつき氏・有山じゅんじ氏・塩次伸二氏・クンチョウ氏等と、ケニアでのアースエイドコンサートに参加する。
2001 憂歌団の島田氏等と「4aces」を結成、精力的にライブ活動を行い、現在               も継続中
2002 故塩次伸二氏、妹尾隆一郎氏のライブアルバム「SRSS」に参加する。
「Amigo’s」で、ジョー山中氏のツアーに参加する。
2008 宇崎竜童氏の35周年アルバム「ブルースで死にな!」に参加する
宇崎竜童氏の35周年記念コンサートにゲスト出演する。

投稿者 haru : 2009年7月 6日 21:12