そのプロセスにおいて、周囲の友人や先輩から「あせるな。じっと手を見つめ、じっと足元を確かめ、ゆっくり行け。そのうち必ずブルースが微笑みながら空から降ってくるはず。」と忠告をいただいたことが、どれだけ励みになったことか...。 ニューヨークに移り住み、プロのミュージシャンとして現在の生活を続けているのは、いくつもの偶然と少しのラック(?)が少しずつ積もり積もった結果と言える。まだ駆けだしで毎晩ジャムセッションに通っていた頃、週末に必ず顔を出すジェイティーというベーシストがいた。彼の職業はニューヨーク市バスのドライバーで、けしてフルタイムのプロミュージシャンではないものの、なかなか心地よいグルーヴでプレーする、俺の「お気に入り」ジャム仲間だった。彼はいつも明るくポジティヴで、なかなか仕事にありつけずにへこんでいたりすると、「ヒロ、バンドやろうぜ!」と声をかけて元気づけてくれた。残念ながら一緒にバンドを結成するチャンスには恵まれず、またジャムセッションの場が少なくなるにつれ、彼との交流もなくなっていったのだが、ニューヨークに住んでいる以上、バスを利用しないわけはないし、少なくとも彼が転職しない以上きっといつか彼のバスに乗るようなこともあるはずだ、と記憶の片隅にジェイティーという名前を置き、密かに偶然の再会を期待していた。しかしその偶然に恵まれることもなく、あっという間に10年以上がたった。 ニューヨーク市バスの路線数、稼動範囲、全本数を考えてみても、一人のドライバーの運転するバスに乗り合わせる可能性はほとんどないわけで、期待するのが無理なのだが...。俺にとって大きなターニングポイントになるであろうこの夏、周囲から「自分を見失うな!」と力強いアドヴァイスをいただき、「がむしゃらにジャムに通った10年前のファイトを忘れるな!」などと自分で自分に言い聞かせる今日このごろ、イーストヴィレッジに行くためにほとんど思いつきで飛び乗ったバスの運転手が、なんとそのジェイティーだったのだ。彼はすぐに思い出してくれて、翌日にはメールを送ってくれた。オマエは10年前とはずいぶん変わたのでわからなかった、今はほとんどベースを弾かなくなったけど、オマエに会ったらまた弾きたくなった、近いうちまたジャムに行かないか?、と。なんとも不思議な気分だ。今までに大きな岐路に立ち、方向を見失いかけた時はいつもそうだったが、今回もこの街と音楽は「どっちへどう転ぼうと、心配するな。お前の帰る場所はいつもここにある。」と言って励ましてくれているような気がしてならない。 以前、ある日系の新聞のインタヴューで「これからの夢は?」と聞かれ、答えに困ったことがある。憧れのミュージシャンと共演したいとか、より完成度の高いレコーディングをしたいとか、そんなことはあくまでもミュージックライフの一(いち)通過点にすぎないわけで、それを「夢」と呼んでしまう気にはなれなかったからだ。よくよく考えた末、長年つきあっている74歳のミュージシャンの言葉を思い出した。電話をくれるとき、自分を「ブルーズマン」と呼ぶ、まるでブルースが服をまとっているような頑固ジジイ。どこの誰が見ても存在そのものがブルースしている、サム・テイラーという正真正銘の「ブルーズマン」だ。すかさず俺はその編集者に「俺の夢は70歳になっても自分を『ブルーズマン』と呼ぶこと。」と答えた。編集者は怪訝そうに「ずいぶん漠然としてますね。他にもっと具体的な夢はないんですか?」と言ってひどく不満そうだった。まあいいや、説明してもわかるまいと、「ごめんなさいね。」と笑ってごまかした。 先月初め(2005年8月4日)、突然の悲報が届いた。リトル・ミルトンが71歳の若さで亡くなられたというのだ。実は7月30日におこなわれたBBキング誕生日コンサートへのフライトで、たまたま隣りあわせた年配のブルースファンと歌手の話で盛り上がった。BBやボビー・ブランドはもちろんのこと、マディーやエルヴィス、JB、等々のそうそうたる名前が次々に出て、最後にそのブルースファンは、「BBやボビーの後は、リトル・ミルトンしかいないのではないだろうか。」と言い、俺は大きくうなずいた。俺は今まで数多くの素晴らしいシンガーのバックアップをしてきたが、その中でもリトル・ミルトンは完全に別格だった。 1999年10月27、28日の二晩、マンハッタンのとあるブルースクラブで出会った時の第一印象は、気難しいオヤジ、という感じしかなかったのだが、ショーが進むうちに打ち解けあい、最終日には「一緒に演奏できて良かった、ブルースを忘れるな。」と、その分厚い手でがっちりと握手をしてくれたのを思い出す。コニャックが大好きで、片時もブランデーグラスを手放すことがなかった。「見るだけだぞ!」と、自慢のES335を見せてくれた。「これは二本目なんだよ。一本目は盗まれてしまったんだ。」と言いながら。ほんの短い間だったが、彼のバックを勤められたことは俺の誇りであるし、その短い時間の中で彼から学んだことはなにものにも替えがたい。ギターとはまったく正反対の二つのキャラクターを持つ楽器であり、バンドユニットの中でリズム楽器としてのギターは、コンスタントにグルーヴをキープするポジションとしてはドラムスやベースよりも、より「リズム楽器」でなければならないことを、身をもって叩き込まれた。ある意味、一番「ブルースする」世代であろう70代のごく前半に逝ってしまうとは、非常に残念に思える。BBとボビーという、80歳を超えてもなお2大巨星として輝く健在ぶりを目の当たりにした直後の悲報に、リトル・ミルトンといい、また60代前半で燃え尽きたサン・シールズといい、10年後がさらに楽しみな、そして俺個人としては、もう一度胸を借りたいミュージシャンたちが、静かに去ってゆくのを見送るのはとても悲しい気持ちがする。 PCIから新しいエフェクト・ペダルが届いた。「BBプリアンプ」という。既にデボラとのツアーや、マンハッタンの小さなギグでも使ってみたが、このBBプリアンプ、個人的意見をいわせていただくなら、ACブースターより歪みの「肌理(きめ)」が細かく、スムースなオーヴァードライヴを生みだせる、俺にはとてもしっくりくるエフェクトだ。どちらかといえばディストーションに近いのかもしれないが、ゲインとトレブルを抑えてベースをやや強めにセッティングすれば、とてもナチュラルに歪む。その点では恐らくチューブスクリーマー(アイバニーズ)やブルースドライヴ(ボス)、それにフルドライヴ(フルトーン)を含めた、今まで使ってきたオーヴァードライヴペダルの中でも飛びぬけていると思う。二つのトーンノブのレスポンスも良い。ただ、一つだけ戸惑うのは、ゲインのレベルによってヴォリュームが大きく変化してしまうことで、つまりゲインコントロールとヴォリュームコントロールのバランスのとり方が若干難しい点だ。もちろん、これは使い込むうちに体得してゆけることなので大きな問題ではない。じっくり使い込んでみて、そのうちまたここに感想を書きたいと思う。 また、最近、マンハッタン周辺のギグで多用しているグレッチ6120のワイアリングを変えた。オリジナルは2ヴォリューム、1トーンの上にマスターヴォリュームだったが、これを思い切ってテレキャスターと同様の1ヴォリューム、1トーン(他の2つのノブはダミーとして残した。)、また各ポットをフェンダーカスタムショップ用に交換し、さらにそれらをクオリティーの高いケーブルで接続した。操作性がシンプルになったのは言うまでもないが、なによりもハイエンドが目に見えてリッチになり、その結果、音の抜けが格段に向上し、さらにトーンがより深く調節できるようになったのが嬉しい。確かにフロントとリアの微妙なミックスはできなくなったが、両ピックアップがあまり離れていないというこのギターのもともとのキャラクターを考えても、それはあまり大きなロスにはなっていない。これに味をしめたわけでもないが、レスポールにもさらに手を加えてみようかと思っている。俺のレスポールは、どこにでもある超一般的な2000年製スタンダードクラシックだが、どうやらラッキーなことにウッドマテリアルの質がかなり高いようで、全体が軽量で生音で弾いたときのボディーの「鳴り」がとても良い。ただ、入手したとき(昨年の終わり)のコンディションが悲惨な状態だったため、既に今日までにかなりの手を加えている。まず入手してすぐに、全く使い物にならない状態だったナット、ブリッジサドルおよびブリッジスタッドを交換した。そして初めてステージで弾いた時、まっさきに面食らったのが、フロントピックアップとリアピックアップの極端なバランスの悪さだった。とにかくリアがトゥーホット(パワーが強すぎ)で、特に両ピックアップをミックスすると、リアがフロントに覆いかぶさってしまい、レスポール独特のあの艶のあるミックストーンがスムーズに出てこない。翌日ためらわずにリペアに出し、リアをリンディー・フレーリンのヴィンテージPAFモデルにとりあえず交換し、さらにピックアップセレクタースイッチ、ケーブルジャック、そしてヴォリューム、トーンの各ポット(つまりフロントピックアップと接続ケーブル以外の電気系全て。)をより高品質なものへと交換した。結果はもう言わずもがな、このレスポールは十分にギグで使えるギターに進化したわけだ。さらにその数週間後、ペグをグローバータイプ(オリジナルはルーズで全然ダメだ!)に交換し、更にギターテックの勧めでテールピースをより軽量なものと交換したところ、驚くほど音の「抜け」が良くなった。ギターテック曰く、弦の端と端ををギターに固定する重要なパーツを交換して、音が変わらないわけがない、ということだ。俺はしばらくこのレスポールにはまってみて、どこまで進化するのを楽しんでみようと思っている。(オリジナルのフロントピックアップは悪くない。ただ若干、音の輪郭がはっきりせずにベターっとしてしまうのが気になる。要はリンディーのリアとどれだけマッチするかで、これはもう少し弾きこんでみないとわからない。大切なのは両ピックアップのトーンキャラクターの差ではなく、温度差だ。)前にも触れたとおり、このレスポールは我がソウルシスター、デボラ・コールマンからの誕生日プレゼントだ。そして俺は常々、このギターとの出会いには、なにか運命的な、強烈なヴァイブレーションのようなものを感じている。 エフェクトとギターの話をしたから、ついでにアンプの話も。最近のツアーのほとんどが西海岸や中西部、さらにはディープサウスと、かなりの遠出が重なっている。こんな場合、機材の運搬、特にアンプやドラムセットの運搬に経費がかかりすぎてしまうため、大抵は「バックライン」と呼ばれる、主催者側が事前に用意した機材を使用することになる。アメリカ国内にかかわらず、ヨーロッパや日本でも、ギターアンプのバックラインはほとんどの場合がフェンダー製、それもツインリバーヴのリイシューがほとんど、そこにスーパーリバーヴが稀に加わる程度で、それ以外の選択肢はないと思っていていい。そしてなんともややっこしいことに、俺はこの二種類のアンプがどうしても苦手なのだ。それにたとえ使用したいアンプがまえもってリクエストできる場合でも、その選択肢はやはりかなり限られており、せいぜいそれら二種にプラスしてフェンダーの他機種やマーシャル、そしてローランドのジャズコーラスがいいとこ。バックラインを使用する場合は、どんなケースにおいても、とりあえず俺はダメモトで「フェンダーホットロッドデヴィル4x10」をリクエストしてみる。このアンプはごく最近のモデルで、ヴィンテージ系フェンダーアンプを溺愛する傾向にあるブルースシーンではずいぶんと敬遠されがちで、アンプそのものがあまりへたっていない場合が多く、その分クリーントーンを創るのが容易で、さらにオールチューブのフェンダーアンプにしてはダブルコイルのピックアップでも音が潰れすぎずにすっきり抜けてくれるというありがたいキャラクターを持っているからだ。最近、このデヴィルのトーンが妙にしっくりくる。極論を言ってしまえば、このデヴィルの暖かいトーンキャラクターとEL84管アンプ独特の輪郭のはっきりした切れのあるトーンキャラクターの両方を持つ40w位のアンプがあればもう何も文句はないのだが、それがなかなかない。今までの経験から言うならば、昨年大阪での塩次伸二氏とのセッションで使用したドクターZの45wアンプが最もそれに近い優れものだったと思う。アンプ捜しの旅はまだまだ続く、そんな感じだ。
しかしドラマにはずいぶん楽しませてもらっている。映画でも演劇でもテレビドラマでも、俺にとっては助演(脇役)俳優の存在がとても大切で、脇役がパッとしないプログラムはまず観ない。例えば15年位前に日本では「トレンディードラマ」というのが大流行したが、最終回まで観切ったドラマは一本もなかった。ストーリーに緊張感を与える脇役の存在がとても少なかったからだ。でも最近は、ヴェテラン俳優はもちろん、個性や演技力の豊かな、実力のある若い俳優の名脇役ぶりが光り、見ごたえのあるドラマが多くなったと思う。映画に限って言うなら、ここ何年かは日本映画を含めたアジア映画が面白い。なにかこう、観る側のすぐそばにあるというか、観終わった時に肌触りのいい充実感が残る、そんな感じがするのだ。御存知の通り、アメリカ人はじつに映画をよく観るし、映画について非常に多くを語り合う。傍からみていると、もしかしたら彼等は観た映画への感じ方で自分の価値観の位置づけをしているのではないかと思えてしまう位だ。「ラストサムライ」という映画では、こちらでも助演の渡辺謙が大きな話題となった。でも俺の周りでは、そのさらに「脇」にいた真田ヒロユキの演技と存在感が大変な話題になっていた。大向うを唸らせる、燻し銀の、玄人好みの、そんな「プロ」な日本人がアメリカのさまざまなシーンに進出するのを見るのは正直に言ってものすごく嬉しい。 それから日本のスポーツニュース。日本のプロ野球が衰退していると巷ではずいぶん言われているようだが、見る限りでは、衰退しているのは単に読売ジャイアンツだけで、プロ野球そのものは逆に面白くなっているのではないだろうか。去年、中日ドラゴンズの中心選手がストライキ交渉でどうしても試合に穴をあけざるを得なくなったときに、「心配しないで交渉に集中しろ。世の中には野球より大切なものなんていくらでもある。」という同監督のコメントが報道された。日本のプロ野球界にもこういうしっかりした言葉を吐ける人がいたんだな、といくらかホッとした気分になった。数日前、ヤンキースがトロントを相手にシーソーゲームの末、逆転サヨナラ勝ちをおさめた。逆転の立役者の一人である松井選手にファンの目が釘付けになったのはもちろんなのだが、この試合でもう一つとても印象的だったことがある。それは試合後半で途中交代したジアンビ、マルティネスの両ヴェテラン選手だ。今年のヤンキースは投手力が弱く、9回の表にトロントが勝ち越した時にはほぼ勝負は決まったように思われた。そんな中、もう出番のないはずのこの二人は、スライディングでドロドロになったユニフォームのままベンチに残り、体を乗り出してゲームに没頭し、松井が同点ホームランを打ち、エスカローナがサヨナラヒットを打ったとき、真っ先にベンチを飛び出し、選手達に抱きつき、体全体で喜びをあらわしていた。実力最優先、情け容赦ない解雇、トレードが当り前のメジャーリーグの、孤独で過酷なサヴァイヴァルゲームにしのぎを削る選手達の多くが徹底した個人主義を貫き、周囲にクールに振舞うのはごく自然のなりゆきなのだろう。そんな修羅場を長年トッププレーヤーとして生き残ってきた二人が見せた、最後までチームの勝利にこだわろうとする真摯で純粋な姿に、屈強な「個」が「勝つ」という目的の元に集まり、「個」を超えて「チームプレー」に徹するという、正真正銘のプロを見る思いがした。 2001年9月の同時多発テロのあと、当時住んでいたイーストヴィレッジから程近いノーホーにある消防署に足を運んだ。亡くなられた消防士たちの御遺族へ心ばかりのドネーションをするためだ。数日後、同じ消防署から御礼のカードが届いた。カードには署からのメッセージやツインタワーの映るマンハッタン島南部の夜景と共に、亡くなられた10名の署員の顔写真が載せられている。俺はこのカードを小さな額に入れ、ベッドルームの一番高いところに掲げている。4年前、命を捨ててこの街の人々を守ろうとした彼等の写真の前では、こんな無宗教な俺も時には頭を下げ、祈りを捧げたりもする。今年ももうすぐセプテンバーイレブンスがやってくる。日を追うごとにテレビの特集番組が増えるこの季節になると、こんな俺の心にさえもあのテロは傷を残したことを実感する。あの時の映像を見ると、あの朝の初秋の空気と真っ青な秋空、ジェット機のエンジンの音と爆発音、粉塵に覆われるローワーマンハッタンとあの匂い、そして無言でイーストヴィレッジを通り過ぎる人々の群れがいっきに脳裏にフラッシュバックし、つらくてチャンネルをかえずにはいられなくなってしまう。はかなく空しい願いかもしれないが、ギヴ・ピース・ア・チャンス、愛と平和と音楽を我らに。 2005年9月1日 追伸 蛇足1 蛇足2
ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah
Coleman)バンドのリズムギタリスト。 今までのコラムはこちら。
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