第11回:モスクワツアー(その1)
「ロシア美人と零下40度とヒットラー」


ツアー・ミュージシャンとして仕事を始めてからというもの、今までに随分と色々な所へ行き、実に色々な人々に出会って来たものだと思う。アメリカのほぼ全土を始め、スイス、フランス、ノルウェー、スペイン、フィンランド、ポルトガル、ブラジルやプエルトリコ、それに南アフリカ共和国なんて所にも行った。今月(10月)はポーランドに出かける予定だ。その中でも印象的だったツアーの一つが、1997年の年末に行ったモスクワだった。

入国後、何よりもまず目を奪われたのが女性達の美しさ。(「オヤジ!」と軽蔑するなかれ!これがハンパではないのだ!)キュートなマスクに抜群のスタイル、挑発的とも言えるミニスカートの制服で空港内を闊歩する、バービー人形の様なフライト・アテンダント。どこかアンニュイな表情を浮かべながら買い物をする、日本にでも来れば即モデルで食って行けそうな、八頭身どころか、十頭身とも言えそうなハイティーンの女性達。じろじろ見るな、という方が無理な注文である。「あぁ、美しい女性だな...。」と、思わず目を奪われる瞬間は東京の街を歩いていても勿論ある。しかしその頻度となると、これはモスクワの比ではない。忙しい。...

気を取り直して街に目を向けると、そこにはクレムリンや赤の広場、そしてステレオタイプとも言えるタマネギ頭の教会を始めとした、重く屈強な建築物に目を奪われる。荘厳という言葉が頭に浮かぶ。旅行ガイドを片手に、市内で最も大きな美術館にも足を運んでみた。非常に大きなスペースに並ぶ、それこそ無数の宗教画にはさすがに根負けし、全体の半分も見ないうちにギヴアップ。

共産主義崩壊前はKGBのオフィスだったというビルの周囲には、殺気立った目つきのプロレスラーのような警備員達が重そうなマシンガンを抱えて巡回している。市内を網の目のように走る地下鉄の駅はどれもまるで博物館のロビーのように立派で、有事の際には核シェルターとして機能する様に、非常に地下深く頑丈に造られている。こんな冷戦時代の名残は街中のそこかしこに見ることが出来る。また地下鉄車両に乗ってみて更にびっくりする事がある。どんなに満員の車両でも非常に静かで、ほとんど誰も喋ろうとしない。車内を移動する人々でさえも、「失礼。」とか、「通してください。」とか、一切声をかけず、ただ黙々と体をぶつけて通り抜ける。この習慣にはさすがに辟易とさせられた。全体的に笑顔や笑い声の少ない街、これも一つの共産主義の名残なのだろうか、とちょっと複雑な気分にさせられた。

モスクワでの演奏は、12日間の滞在中に、2日間のオフを挟んで週5日の、計10日。その二日間のオフをバンドメンバー全員で市内観光にあてる事に決めたのだが、オフの前日になって、ロシア人のツアーマネージャーが急に「明日と明後日は外出しない方が良い。」と真剣な顔で言い出した。理由は「寒いから。」。これにはメンバー全員が笑い出してしまった。冬のモスクワが寒いのは誰でも知っているし、実際、今日までの五日間でそれがどれ位なかも良くわかったつもりだ。確かに寒い。でもニューヨークだって冬は寒い、せっかくのオフじゃないか、心配するな、と言うと、それでも彼はかなり強く言い続ける、「やめた方が良い。」と。

翌日の朝、俺達はためらうことなく元気いっぱいに外に飛び出した。宿泊するアパートから地下鉄の駅まで約5分。寒い。相当なもんだ。地下鉄を乗り継ぎ、赤の広場まで。ガイドブックを片手に各スポットを散策し、クレムリンの建物に向かう道のりでまつげと髭にツララが出来た。鼻をつまむと「シャリシャリ」と音がする。鼻毛が凍っている。二重に靴下を履き、ティンバーランドのワークブーツで重装備した筈のつま先が痛い。スキー用の分厚い手袋の中で指がジンジンする。銃を肩にした強面の衛兵の一人が片言の英語で " No good outside today. Go to public toilet. " と言いながら深刻な面持ちで近付いて来た時、ロードマネージャーの言わんとしていた真意がそれこそ身に凍みて納得出来た。今日はこてこてのモスクワっ子達さえも外出を控えるほどの異常低温、尋常な寒さではなかったのだ。寒さに身の危険を感じるなどというのは生まれて初めて、衛兵の指差す先の公衆戸トイレに一目散に駆け込むと、そこはスティーム・ヒーターがガンガンにかかり、俺達のような愚かな観光客が二人、靴と手袋を脱いで暖を取っていた。(夜になって分かった事だが、その日の最低気温はモスクワの過去100年間の最低温記録で、氷点下摂氏40度だったそうだ。これは華氏でもマイナス40度。断っておくが、これは体感温度ではない。この日はほとんど無風。)やはり地元の人々の忠告には謹んで耳を傾けるべきと、その日一日の観光を早目に切り上げ、帰路につく。

こんな寒い夜は熱く香り高いコーヒーでも飲んでゆっくりしたいもんだが、しかし今日まで八日間、モスクワでまともなコーヒーにありついていない。レストラン、ライヴハウス、コーヒーショップ、出てくるコーヒーはどこでも最悪。この街には美味いコーヒーなどないんじゃないか、そんな半ば諦め気分である賑やかな通りを足早に通り抜けていると、妙に見慣れた「何か」の前を横切った。「あれっ???、黄色と黒?えっ、日本語?!、」。こんな最果てのモスクワくんだりまで来て、全く意味不明のロシア文字の中に混じって突然視線に飛び込んできたのは、小奇麗なパン屋のウインドウに他の商品と一緒に並んでいる「ドトール・コーヒー」というカタカナだった。六杯分が一箱に入ったドリップコーヒー。思わず大声で "YES!" と叫んでしまった。同じくコーヒー好きのM(キーボード・プレーヤー)に「美味いコーヒー飲みたくない?!」と店に飛び込み、コーヒー二箱とへヴィークリームを買い、大急ぎでアパートに帰り、二杯分のコーヒーを入れた。部屋中が暖かい香りに満たされる。Mはしみじみと "GOOD COFFEE...!" と何度も繰り返す。アメリカ人であるメンバー達にとってペーパー・ドリップで一杯ずつコーヒーを淹れるのを見るのは初めてだったらしく、俺がゆっくりとお湯を注ぐのを傍らで興味深そうに見つめている。結局この夜メンバー全員がこの日本製のコーヒーを堪能する事になった訳だ。外は雪の舞う零下40度、暗く鉛色のモスクワの空を見ながら啜る熱いコーヒー。これは実に旨かった。

翌日、二日目のオフはモスクワで最も大きなオープン・マーケットに出かけた。前日と比べればかなり和らいだものの、それでも「こんなんで店が出るのかな?」と心配になる寒さだ。しかし俺の心配をよそに、そこには無数の店舗が出店していた。あらゆるものが並んでいる。アンティーク、アクセサリー、カメラ、楽器、コイン、洋服、帽子等々、これでもう少し暖かかったなら、2,3日はかけてゆっくりと買い物をしたい非常に大きな規模のオープンマーケット。ライカ製の古いカメラや、セルマーの管楽器等、恐らく「目利き」の方が見たら大変な掘り出し物が見つかるに違いない。その中で、俺はある店でなかなか興味深い日本製の絵葉書を見つけた。明治時代か大正時代の、神戸で行われた船舶博覧会の記念絵葉書で、宛先はフランス、フランス語の短い文章が綴られており、切手、消印とも満州国とある。「おっ、もしかしたらオタカラか?!」などと偉そうに通ぶって値段を聞くと、店の主人は「アメリカ・ドルなら8ドルで結構です。」と言う。たまたまポケットに10ドル札しかなかったので、それを渡し、「おつりは結構です。」と言うと、とても喜んで、「あなたにもう一つお見せしたいものがある!」と、主人は店の奥から古ぼけた黒い表紙の大きな切手アルバムを引っ張り出してきた。「あなたなにら、これ一冊80ドルでお譲りしますよ!」と、表紙をめくって見せた。別に切手収集に特別興味を持っている訳ではない俺でも、珍しいソビエト連邦の切手にでもお目にかかれるかと思うとちょっとワクワクしたりしたのだが、それも束の間、思わず目を疑った。鉤十字、ヒットラーの肖像画、ナチの制服を着て右手を真っ直ぐに掲げる子供達、ゲルマン民族を称えるモニュメント。全てのページにそれこそびっしりと、極めて良い状態で並んでいる全ての切手が、ナチス支配下のドイツ切手だったのだ。歴史の教科書の中の一ページが紛れもない事実として突然タイムカプセルの様に目の前に現れた感じで、ゾゾーっと背筋に冷たいものが走った。見てはいけないものを見てしまった気分だ。

こんなモスクワ土産はとてもじゃないが俺にはトゥー・マッチ、丁重にお断りして店を後にした。(続く)

***蛇足***
今年もサマーフェスティヴァルのシーズンが終了した。デボラ・コールマンとの演奏の際には常にリズムギターのパートに徹し、彼女のステージ・プレゼンスを最大限に引き出す為に、ベーシストとドラマーとでタイトなグルーヴ・トライアングルを構築するのが俺の最大の役割なのだが、多くのフェスティヴァルを廻っていると、時にはその作業がライヴ・パフォーマンスに取っていかに大切かを痛感する時がある。ある大物レジェンド・シンガーの前座を務めた時の事だ。さすがはビッグ・ネーム、素晴らしいミュージシャン達がずらりと揃ったトップクラスのバックアップバンドである。ところがそのレジェンド、高齢も手伝ってか、本人は唯々ステージで歌うだけで、音楽面の全てをバンドに任せ切っている。その結果、非常に残念な事に、ショー全体はそのレジェンドの歌が混ざった「ソロ取り合戦」に成り下がっているのだ。ドラム、ベースを含めた全てのパートが自分のソロのスペースを常に虎視眈々と狙い、チャンスをつかむや否や、何もお構いなしでゴリゴリとソロを取りまくる。前にも言った事だが、これでは「音楽」を創造する「バンド」ではなく「楽器」を演奏する「集団」である。メンバー一人一人のヴェクトルが全く違う方向に突っ走り、全体のエネルギーは観ている方に伝わる遥か以前に打ち消され、何も伝わって来ない。極めて退屈で極めて醜悪なエゴが、レジェンドの存在すらも一瞬にして腐らせる良い例だ。

ガレージ・バンドという言葉を御存知だろうか?音楽的な知識やテクニックなど皆無でも、音楽が好きで純粋にバンドをやりたい素人達がガレージに機材を持ち寄り、ドタバタと演奏をする、そんなバンドの事だ。過去にどれだけ素晴らしい偉大なバンドやアーティスト達が、そんなエゴの無いガレージから生まれて来たかを思い出してみるのも悪くないと思う。

ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah Coleman)バンドのリズムギタリスト。
デボラ・コールマンのサイトは↓
http://www.deborahcoleman.com/index.htm

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