第24回:IS BLUES ALRIGHT?

11月に入って、ニューヨークはいっきに色付きはじめた。空が高くなり、青が深まる。ウエスト・ヴィレッジのレンガ色がそれらに対峙して、より心に暖かい、静かなニューヨーク。この街にとって最も美しい季節が小走りに通り過ぎるかすかな足音が聞こえてくる。毎年この季節になると、ニューヨークの日差しは東京のそれと比べてずっと鮮明なのではないかと感じる。まるで晴天のスキー場の日差しのようにトーンが高く、サングラスなしでは外出するのがちょっと厳しいほどブライトだ。だからなおさら街の色彩、コントラストがより引き立つ季節なのかもしれない。

セントラル・パークへ足を運べば、大都会のど真ん中にいながらにしてかなり本格的な紅葉を楽しむことができる。日本と比べると赤の少ない紅葉だが、そのかわり暖かい黄色が際立っていて、上手に色を塗り分けたクレヨン画のような質感で可愛らしい。雲雀のさえずる広い芝生の西には無数のビルの中にあってより重厚なたたずまいで一目をひきつけるダコタ・アパートが見える。逆に北東にずっと公園を横切ると、そこにはニューヨーク近代美術館の巨大な建物が。どんな催し物があるのかとインフォメーションを見てみると、「ゴッホ・ドロウイング展」とあるので、早速のぞいてみた。

気まぐれで立ち寄ったというのに、予想外に素晴らしい展覧会だった。おびただしい数のドロウイングを通して、ゴッホという画聖の絵が彼の一生を通してどう変化したかがとてもよくわかり、全体の「折り返し地点」ともいえる「自画像」にたどり着き、最後にあの名作「糸杉」で締めくくられる。ゴッホのライフ・ストーリーを辿るような構成で、特に初期の作品の、写真以上に被写体の質感を映し出す途方も無いデッサン力に圧倒された。そこに時代を経るごとに、彼独特のうねり、グルーヴが加わってくるのだ。まるでキャンバスから、ふつふつと何かが沸騰する音が聞こえてくるようだ。それに強烈な色彩のコントラストはジャポニズムの影響を伴ってよりファンキーになってゆくように感じた。俺は絵画鑑賞に関してもずぶの素人だが、こういう風に絵画を楽しんでみると、音楽、絵画、ジャンルに関わらず、人の心を掴み揺さぶるものは、全てに共通しているのではないかと思えてならない。

最近、常に頭をよぎる言葉がある。「才能なんてクズの積み重ねだ。」...吐き出すようなジョン・レノンのこの言葉によってジョン自身の才能への評価が少しも傷つくなどない。それがどんなにクズな「クズ」の積み重ねであろうと、積み重なった結果に出来上がった「ジョン・レノン」という才能は彼を「天才」と呼ばせるに十分偉大だからだ。

最近自分のプロモーションのために今まで10年の間にNYで関わった多くのレコーディングの中から約20曲を抜粋し、そこに今年の夏にレコーディングしたオリジナル・プロジェクトのテイクを加えて一枚のCDにまとめる作業に没頭している。ずいぶん昔の自分の演奏を集中して聴く機会にいやおうなしに恵まれる羽目に陥っているわけだが、過去のレコーディングの自分の演奏を聴いていると「どれもこれも『クズ』ばっかだ!」と呆れ、思わず赤面してしまう。一体これらが積み重なった成れの果てが、世間一般に「才能」として認められるのかどうかがしみじみと心配になってしまうわけだが、そんなクズの山を目の前にしていくらいまさら悩んでみても、また日は昇り、沈んでゆくのだから、しょうがないからどこまで高く積み上げられるかやってみることにしよう。「質より量」とは情けないけど。そろそろハシゴが必要かもしれない。

このコラムに投稿していることや、自分のホーム・ページが最近ぐっと充実したためか、最近、ずいぶんとメールをいただくようになった。大半が自分と同じミュージシャンや音楽ファンからで、その中に「ギターを先生について習い続けているが、なかなか上手くならない...」という質問が時々届く。

はっきり言って、教えてもらいたいのはこっちも一緒だ。それが分かれば何も苦労はない。ニューヨークに来る6,7年前、俺も一度音楽スクールに通ってみたことがある。その時に教わったごくごく基本的な音楽理論や、譜面の書き方や、読譜のトレーニングなど、今になってみるとそれなりになかなか便利に活用させてもらっているし、音楽理論をかじったことで、理論があくまでも音楽を創造するための一つの道具に過ぎないという確信を得られた事が何よりの収穫になっている。でもその反面、教室でギターの先生からマン・ツー・マンで教わった内容で、今でも自分の演奏の一部に息づいているノウリッジは極めて少ない。なぜそんなもったいないことをしてしまったのかと今になって反省し、自分に問いかけてみたときの答えそのものが、俺がメールをくれた皆さんに教えられる唯一の回答なのではないかと思う。

もし1つのフレーズを教わったらば、出来るだけ早くそのフレーズを、鵜呑みのままでいいから、バンドの中で、それもオーディエンスの前で実践するべきだ。もちろん、一度や二度の演奏で完璧に実践することはほとんど無理に決まっているし、恐らく最初などは惨憺たる結果に終るだろうけれども、それでもいいから、とにかく弾いてみること。そうすることで何が自分には足りないかが見えてくるし、今後どう練習するのがベストかも工夫できるようになる。(演奏には常にミニ・ディスク・プレーヤー等のレコーディング機材を持参することを強くお勧めする。)教わったことをただ単に一知識として鵜呑みにしたままでいても、それは創造の為にはなんの足しにもならないのだから、そのフレーズが自分のものになり、指が勝手に動くまで、失敗と練習を何度でも繰り返し続けるしかない。そんなフレーズ一つ一つが体の中でぶつかり合い、溶け合って、初めてオリジナルなフレーズが指先から飛び出してくるのだと思う。時間がかかるものなのだ。そりゃ、中にはあっという間にやってのける奴もいるだろうし、きっと世間はそんな奴も「天才」と呼ぶのだろう。でももし満足のゆく演奏がなかなかできないとしても、それは時間の問題だから(とはいっても時間をかければ誰でも天才になれると言ってるのではないから悪しからず。)、教わった一つ一つのフレーズを大切にして、バンドと音とオーディエンスの真ん中で堂々とトライし続けて欲しいと思う。

ここまで話してきて気がついたが、ミュージシャンを続けるにあたって肉体的にも精神的にも経済的にも一番重労働なのは、演奏する「場」を確保し続けることではないだろうか。音楽とは「音」と「演奏者」と「視聴者」の三つが揃って初めて創造されるものだと、前にも何度か触れているが、そもそもその三つが出会う「場」がなければどうしようもないわけで、常に生活の中にそんな「場」を置いておくこと、それがつまり音楽が常に自分のそばにある生活なのだと思う。

16年前、初めてニューヨークを手ぶらで訪れたとき、そんな「場」で溢れかえるこの街を目の当たりにして、ホテルからパスポートとトラベラーズ・チェックを鷲掴みにしてダウン・タウンの楽器屋に駆け込み、500ドルのフェンダー・ジャパン・ストラトキャスターを購入し、とんぼ返りでジャム・セッションに乱入した。俺の一週間は木曜日と金曜日がオフ、土曜日から水曜日まではギターとチューナーとオーヴァードライヴ・ペダルとケーブルとレコーディング・ウォークマンをギター・バッグにパンパンに詰め込んでジャム・セッションに入り浸った。憧れのビッグ・ネームのギグやコンサートにも全く事欠かない毎日だった。ダウン・タウンの小さなクラブではゲイトマウス・ブラウンがプレーし、マジソン・スクエア・ガーデンではグレッグ・オールマンとリトル・フィートのバックでウイリー・ディクソンが“アイム・レディー”を歌っていた。リード・ギターはジョニー・ウィンターだった。

今ではその面影の切れ端さえ見つけるのが容易ではない。「場」が無くなってしまったのだ。それは東京も大差ないのだろう。それでも立ち止まったままでいるわけにはゆかないのだから、なんとかして見つけ出しては、少しぐらい遠くても足を運んで、朝帰りを繰り返して、腕ずくで無理やりでもいいから音楽を鷲掴みにして自分の近くに引っ張ってこなくてはいけない。俺達は音楽が好きで、ギターが好きなんだから、がんばって続けようぜ、そしたらいつかどこかできっと一緒にセッション出来るよ!

ニューヨークでセッションに呼ばれるとき、バンマス以外のミュージシャンがどんなメンツになるのか、実際に現場に行くまでは全然分からない、といったケースが多い。顔なじみがずらりと揃う時もあれば、思いもよらないほどの憧れのミュージシャンが「今日は楽しもうぜ!」と握手してくる時もあるし、「嘘だろ、本当にコイツとやるのかよ?!」とがっかりする時もある。ミュージシャン一人一人のルーツなどを辿ったら、それこそインターナショナルで、イスラエル人の超キュートな女の子ドラマーが火の出るような強烈なグルーヴを叩き出したり、まるでどこかの魚市場の仲買人みたいな韓国人のあんちゃんがアルバート・コリンズみたいなうねりまくるギターソロで俺をノックアウトしたり。ニューヨークのミュージック・シーンは、ニューヨークそのものと同様、人種の坩堝(るつぼ)、いや、もう「人種」などという言葉は既に死語になっているのかもしれない、そんなシーンなのだ。もうご存知かとは思うが、ここには優秀な日本人ミュージシャンも多い。セッションに行ってみたら、ドラマーとサックスが日本人で、ヴォーカルとベースがアメリカ人、結局その晩の楽屋での第一言語は日本語だった、などというのは珍しくない。

最近、新聞に中村紘子さんというクラッシック・ピアニストの話が掲載されていた。世界的にも権威の高いピアノ・コンクールの一つ、ショパン・コンクールで「このコンクールも、ついに東洋人のコンクールになってしまうのか...」という不安が関係者の間でささやかれていたのだそうだ。350人の応募者のうち90人が日本人、本審査に残った80人も日本人の20人を筆頭に圧倒的に東洋系で、結局は入賞者6人も、そのうちの5人が東洋人だったという。こんな傾向はこのショパン・コンクールに限った事ではなく、世界中のどの有名コンクールも多かれ少なかれ同様にあるのだという。確かに出場者の家族やスポンサーによる金銭面を含む多くのサポートがこれらの数字に大きく関わってくるのだろう。日本やその他の東洋の企業からの支援がコンクールを支える大きな力になっていることは紛れもない事実なのだそうだから。

でもそういう実質外の話を抜きに、ミュージシャンの実力だけに焦点を絞ってみたとしても、東洋人の根底には先駆者に対する東洋的な尊敬の念、先駆者達の技をなるべくピュアに先へ伝えてゆこうとする東洋的な芸術観みたいなもがあって、それが他の地域の人々に勝るとも劣らない才能を開花させる大きな力となり、このような素晴らしい結果を繰り返し導き出すという、大きな原動力の一つになっているのではないだろうか、とも思える。そして俺たち東洋人はこんな芸術観を持ちえたことをもっと誇りに思っていいと思うのだ。

2000年の故サン・シールズとのツアーの直後、「ブルースが下火になっているが、本当に『ブルース イズ オールライト』なのか?」というあるニューヨーク地方紙のインタヴューにサン・シールズはこう答えた。「B.B.キングが80歳になり、バディー・ガイが70歳になったとき、俺のジェネレーションの後を見たら、この国(アメリカ)には確かに後継者がいないのかもしれない。でも俺は全然心配していない。ブルースは地球の裏側の小さな島国の若者達が引き継いでくれているから。」
(2005年11月16日、HIRO SUZUKI)

蛇足
「BLUES NIGHT」、http://bluesnight.or.tv/
ラジオ関西558KHZ、毎週月曜深夜2時半から3時。

先月の終わりに、神戸の関西放送というラジオ局のAM深夜放送で俺の曲が流れたらしい。現在、ブルースを専門にオン・エアする日本で唯一の番組だそうで、とても興味はあったのだが、ここニューヨークにいてはどう頑張っても聴けないので、半ば諦めていたところ、先日、姫路に知人を持つ友人から、その番組を録音したCDが送られてきた。日本のAMラジオ、それも深夜放送である。中学、高校時代の思い出がいっきにフラッシュ・バックしてきて(因みに俺の世代は、オールナイト・ニッポン派かセイ・ヤング派。俺はオールナイト・ニッポン派だった。)、スピーカーからディスク・ジョッキーの声が聞こえた途端に胸がぐっと熱くなった。雑駁で飾り気のないトークの合間から、音楽を愛する熱意が伝わってくる本当に良い番組だ。過去の放送内容を見ると、日本のブルース・ファンには恐らく馴染み薄の、現在のアメリカ・ブルース・シーンで頑張る俺の顔なじみ達のアルバムが、積極的にオン・エアされている。こんなにステキな音楽ファンが日本にもいるのだから、もっと頑張って日本でもさらに演奏の機会を設けたいと思ってしまう。関西にお住まいの皆さん、是非エア・チェックしてみてください!良い番組ですから。そして近い将来、俺も必ず皆さんの近くで演奏しますから!

CD Jacket (添付ファイル)
過去10年間のレコーディングをまとめたパッケージに添えることにしたリストの一部。こうやってみると、それぞれの思い出がぼんやりと浮かび上がってくる。当時からデジカメを持っていれば、いろいろな写真をお見せできたのに。


秋のセントラルパーク。約3週間前なので、まだ少し色づきが薄いけど。

 


ダコタ・アパート。ヨーコさん、いませんか?

ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah Coleman)バンドのリズムギタリスト。
デボラ・コールマンのサイトは↓
http://www.deborahcoleman.com/index.htm

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