それこそ食事の時間も惜しんでレコードを聴き漁っていた高校生の頃、一枚のレコードが一ヶ月近くターンテーブルの上に乗ったままで、あけても暮れてもそのレコードばかりをそれこそむしゃぶりつくように聴いた、そんなアルバムが何枚かあった。JOHNNY WINTER の CAPTURED LIVE! などはその代表的な一枚で、ジョニーは勿論、もう一人のギターのフロイド・ラドフォードのソロさえも、隅々まで寸分の狂いなく完璧にコピーしつくしていた。それ位、俺はあのライヴ・アルバムが気に入っていたし、特にB面の二曲は頭がおかしくなるんじゃないかって程聴きまくり、その二曲のうちの一曲「スィート・パパ・ジョン」のジョニーはジミ・ヘンドリックスの「レッド・ハウス」に匹敵するスーパー・ブルース・ソロだと今でも思っている。それにこのアルバムのリズムセクションが好きで好きでたまらなかった。高校の時にやっていた自分のバンドのドラマーに「こんな風にたたいてくれ。」ってテープを渡して、「フロア・タムが一つじゃダメじゃん!」などと偉そうに注文をつけたりしていい気になっていた。しかしこの頃は本当にこのリズム・セクションは世界最強だと確信していたのは事実だ。 随分前になるけど、あるニュージャージーでのセッションの後に、とても礼儀正しい20歳位の白人の男性がやってきて、「どんなギタリストが好きですか?」と俺に尋ねた。俺は「B・Bキング!それにクラプトンだろ、D.オールマン、D.ベッツも好きだよ。沢山いるって。」...すると彼は、「さっきジョニー・ウィンターのフレーズを弾いてたように思うんですけど...。」と聞くので、「あっ、そうそう、J・ウィンターも大好き。高校生の頃は聴きまくったよ!」すると、その男の子は嬉しそうに目を輝かせてこう言った...「あっ!、じゃあ、もしかしたら僕の亡くなった叔父を知ってるかもしれません。」...彼の叔父さんの名はリチャード・ヒューズ、紛れもない JOHNNY WINTER CAPTURED LIVE! のドラマー。俺にとっては忘れられない、とても幸せな「偶然の出会い」の一つだ。 もう随分長いこと、そんな衝撃的なアルバムには出会っていないような気がする。ちょっと思い出してみると、まず俺が生まれて初めて接したロックのLPレコードが、CHASE というかなりタイトなホーンセクションを持ったバンドのファーストアルバムで、これは随分と聴き込んだ。それからビートルズのレット・イット・ビーや、ストーンズのライヴ・アルバム「ゲット・ヤー・ヤーズ・アウト」、ディープ・パープルのマシーン・ヘッド、ELPのトリロジーなど、これらを兄のレコード・ラックから引っ張り出して、ステレオのヴォリュームを目一杯に上げて聴きまくっていた。前にもここに書いたとおり、その後ブルースという音楽に遭遇し、また「ウッドストック」というドキュメンタリー映画を観て、音楽というものが自分自身の中で絶対に切り離せない体の一部分に成長するのを感じ始めるわけだ。高校受験を目前に控えた中三の頃、フリートウッド・マックの「噂」というアルバムにはほとほとのめり込んだ。あれ以上一つのアルバムにどっぷりとはまり込むことは多分、後にも先にもありえないと思う。この話をすると、よく周囲から「あんなポップなアルバムに何故...?」と聞かれるのだが、俺にとって「噂」は十分泥臭くグルーヴのきついアルバムだ。10年位前に非常に興味深い特集がある音楽雑誌に掲載されていた。「トップ・アーティスト20人に聞きました。今までのあなたの『マイ・フェイバリット・アルバム・ベスト5』は?」という質問に、なんとあのブーツィー・コリンズが「俺のこれからの余生を含めた、全人生でのマイ・フェイバリットが『噂』だ。」と断言していたのだ。 ギタリストとしての視線から言うなら、前に触れたジョニーの「キャプチャード...」の他にはBBキングのLive in Cook County Jailやエリック・クラプトン在籍のブルース・ブレイカーズ、それからオールマンのEat a Peachなどが俺のターンテーブルに代わる代わる乗り続けていた。もう随分昔の思い出だ。 先日、アメリカ中西部での短いツアーがあった。ここでちょっとこのツアーのスケジュールを公表すると、4月28日午前6時ニューヨーク・ラガーディア空港、3時間の乗り継ぎ時間を含めた約7時間のフライトの後にネブラスカ州オマハに到着。午後5時演奏開始、午後8時演奏終了。翌日朝10時にチェックアウトし約380マイル(約610km)北にあるミネソタ州ミネアポリスまで約6時間半の運転移動。午後9時半演奏開始、午前1時半終了。翌朝11時にチェックアウト、そこから東へ約340マイル(約540km)運転し(約6時間)ウィスコンシン州ミルウォーキーへ。午後8時演奏開始、午後11時終了。翌朝9時にチェックアウト、南東へ約900マイル(約1440km)運転し(19時間)ニューヨークへ帰ってきた。ニューヨークの自宅に戻った時はあまりの疲労感に笑いが止まらなかった。このようにアメリカ国内のロード(ツアー)は、その大半が文字通り 「移動=運転」に費やされる。デボラ・コールマン・バンドのような、中堅ブルース・バンドの分際ではロード・マネージャーや専属運転手の雇用などまさに高嶺の花で、運転、搬入、ホテルへのチェックインと、全てをバンドメンバー全員(4名)で分担するわけだ。 ニューヨークやシカゴのようなよほど大きな街に滞在するケースは別として、演奏が終る時刻には周囲のクラブやバーは閉店しており、大抵の場合は演奏後は真っ直ぐにホテルの部屋に帰る。そうなってくると残された唯一の娯楽がテレビ放送となるわけだが、そんなテレビ番組の中でも俺が一番楽しみにしているのがミュージック・ビデオ、特にカントリー・ミュージックのチャンネルだ。断っておくが、別に俺はカントリー・ミュージックの大ファンだとかいう訳では全然ない。例えば移動のカー・ラジオはむしろカントリーは避ける方だ。それでもカントリーのミュージック・ビデオを楽しみにする理由がいくつかある。まず、曲の内容、ビデオ・クリップのストーリー仕立てがとても多彩なことだ。恋愛仕立てあり、振られたカウボーイ男が砂漠の一本道をシェビーのピックアップトラックで砂埃を上げながらぶっ飛ばしたり、場末のダイナーに座りながら、窓から見える人々の人間模様を弾き語ってみたり、家族の絆を唄うものもあるし、酒場でたまたま隣り合わせた黒人の老夫婦と一緒に酒を飲んだり、とにかく、老若男女に関わらず、見るに耐える人間臭さがそこには存在している。次に、それらの多くのクリップが、ミュージシャンの演奏を非常に大切に取り入れていることだ。ヴィンテージのストラトキャスター演奏するギター・プレーヤーの左手が大写しになり、彼の背後にはフェンダー・スーパーリバーヴが置いてある。フィドルプレーヤーの弓さばきが映し出され、ステージ上のカメラからは盛り上がる観客の姿が映し出される。演奏が終わり、機材が片付けられ、バンドは再びツアーバスの中へ。そんなシーンを次々に映し出す視線の位置が俺にはとても心地良いのだ。そしてもう一つは、カントリー・サーキットのミュージシャン達の実力の高さだ。素晴らしいミュージシャンがとても多くいて、観ているだけで元気が沸いてくる。そこには今でも多くの「ギター・ヒーロー」が存在しているのも確かだ。 少なくともミュージック・ビデオ・チャンネルを観る限りでは、カントリー・ミュージック・シーンにはライヴ・シーンも含めて勢いがあり、「観る側」と「創る側」との需要と供給のバランスは安定しているように思える。逆を考えてみると、ビデオ・クリップの存在すらないとほぼ断言できてしまうブルース・ミュージック・シーンはこの際無視するとして、ではロックやヒップホップのビデオ・クリップはどうだろうか?あれらに老若男女の心にに訴えうる「懐の深さ」を感じるのはどうしても無理があると思えてならない。あれらを観て一体どれだけの若者達が楽器やライヴ演奏に興味を持つだろうか?そしてあれらに、「若い頃はキッチンのラジオから流れる音楽なしでは私ゃ生きてゆけなかったよ。」と言っていたハーレムのおばちゃん達に、「久しぶりに生演奏でも行ってみようかな。」と思わせる説得力がどれだけあるだろうか?ビデオ・クリップを通して、若い世代が楽器演奏に興味を持ち、全てのジェネレーションがライヴ・ミュージックに足を運ばせるような、そんな温かみのあるミュージック・ビデオを、カントリー・ミュージック・シーンを見習ってどんどん創るべきだと思ってしまう今日この頃だ。 セントルイスにアーサーウイリアムズというブルース・ハープのじいさんがいる。2年前、フィンランドでのフェスティヴァルで一緒になり、ショーの前にホテルのバーでビール飲みながら50年以上の彼のブルースライフの中から幾つも面白い話を聞かせてくれた。それにしてもこの男は、ブルースやるのに楽器なんて不要、そこに座ってるだけでブルースが聴こえて来るような、そんな今では少なくなってしまった“Real
Blues Man”の一人。翌朝、俺は移動の為、朝7時に出発しなければならなかったのだが、アーサーはわざわざロビーまで見送りに来てくれて、「俺はもうすぐあっち(空を指差して)に行かなきゃならない。多分、こっち(地面を指差して)には行かなくてもすむと思うけど...。だから、俺があっちに行く前に、何か面白い事やろうぜ。セントルイスに来る時は、必ず連絡してくれ。」とがっちり握手をして見送ってくれた。彼のような“Real
Deal”と接する時にいつも感じることは、「自分が『音楽』をする」のであって、けっして「音楽が自分に『音楽』をさせる」のではないということだ。どんなタイプの音楽でもさらりとこなせてしまうミュージシャンがいる。また「新しくなくっちゃ!」と、スタイルをどんどん変えるプレーヤもいる。彼らは本当に溜息が出るほど「上手い」。でも俺には彼等の演奏が「良い」とは全然思えない。新しいものを追求することももちろん大切だ思う。新しかろうと古かろうと、良いものは良い訳で、プレーヤーは自分を信じて演奏するだけだし、リスナーは好きなものを聴けば良い。音楽は演奏者の感性を乗せる道具に過ぎないと思うし、その道具は表現者一人一人に独特であって良いと思う。それでも俺は、先人達のスタイルに狭く深くはまった末に体に染み付いた「道具」を使って、「これしか出来ねぇ!」と不器用に感性を伝え続けるアーティストの音の方にどうしても魅かれてしまう。ニューヨークのブルースシーンはもはや誰の目にも瀕死の状態に映る。巷でちょくちょく耳にするのは、そんなニューヨークに見切りをつけてシカゴやニューオリンズ、そしてロサンゼルスなど、現在でもハプニングし続けているといわれる街へ引っ越すミュージシャン達の捨てゼリフだ。「ニューヨークは終った。ここでは才能は開 ニューヨークにジェリー・ダガーというブルース・シンガーがいる。俺より6歳年上で、7,8年前頃はマンハッタンでも最も売れっ子のシンガーの一人だった。当時マンハッタンのブリーカー・ストリートにあったモンド・カーネというブルース・クラブでのジェリーとのギグでの事である。もうだいぶ客もはけてきたセカンド・セット後のブレイクに、俺とジェリーは申し合わせたわけでもなくバーカウンターに並んで座り、何も喋らずにビールを飲んでいた。BGMにはマディー・ウォーターズの「ナイン・ビロウ・ゼロ」が。曲が終わると、ジェリーがその巨体をこちらに向けて俺にこう聞いた...「ヒロ、あんな風に俺に唄って欲しいか?」...あんまり 2005年5月6日 蛇足1 蛇足2 蛇足3
最近の演奏から。俺が長い間思い描いていたリズムセクションが 写真2、3、4:続・ヒロ鈴木ギターコレクション まずは約10年前に購入したタカミネのエレクトリック・アコースティック。 2枚目は1996年の南アフリカ・ツアーの直後に
ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah
Coleman)バンドのリズムギタリスト。 今までのコラムはこちら。
|
|