...そうそう、数日前にPCIの堀場氏からメールがあり、どうやらXoticのギターとブースターについて「がたがた」訳のわからないことを言っている俺の映像がアップされたらしい。それぞれのクリップの後半には、去年の11月の渋谷での演奏の様子がちょっとづつ加えられているという。まあ、御暇な時にでもどうぞ。食事中はやめたほうがいい。でも、Xoticのギアはどれも素晴らしいのは確かなので、是非試されるといいと思うし、また、俺自身の今年の日本での演奏にも是非、足をお運びいただけたらと思う。 ***今年のスーパーボウルは二年連続でペイトリオッツが優勝した。メジャーリーグの優勝がレッドソックスで、地元ボストンは今スポーツ・パラダイス。ゲームそのものもさることながら、とても印象的だったのが、スーパーボウル名物のハーフタイム・ショーだ。ご存知の方も多いとは思うが、昨年はジャネット・ジャクソンが胸を露出してしまうというわざとら..いや、思いがけないハプニングがあり、アメリカ中のPTAや宗教団体からNFLへ抗議が殺到した。それに配慮した上で『安全パイ』を選んだのかどうかは知らないが、今年のハーフタイム・ショーはポール・マッカートニー、それも演奏曲の大半がビートルズ・スタンダード。「ビートル」ファンの一人としては、とても嬉しい限りなのだが、はしくれながらミュージック・ビジネスに身を置く者としての本音というか、実感を言わせていただくなら、これは相当憂慮すべき現状をあらわす好例ではないかと思えてしまう。いくらなんでも、他にいないのだろうか。 友人で大ヴェテランのドラマーが「ミュージック・ビジネスがミュージックを破壊している。」と嘆いていた。また長年ハーレムでゴスペル・グループのリード・シンガーをつとめる別の友人が、「今の(アメリカの)音楽業界はラップなしには成り立たなくなってしまった。」と言っていた。しかしMTVなどで見る限り、少なくともラップのシーンには「安全パイ」はなかなか期待できそうにない。相変わらずヴァイオレントな歌詞(?)が当り前のようオンエアされ、それらのヴィデオ・クリップのほとんどがハンコで押したように、豪勢なマンションと高級自動車と金やダイヤモンドのアクセサリーと綺麗なねーちゃん達に周囲を取り巻かれた、ぶかぶかで新品の衣類を着た集団(そう、必ず徒党を組む。)の映像ばかりである。 5年位前だろうか、コネチカット州南西のダンベリーという小さな町に、60歳代の黒人男性の経営するブルース・アレイというクラブがあり、そこでこんな事があった。サウンドチェックの後にPA担当の男がブラインド・ウィリー・ジョンソンのCDをBGMで流していて、俺はちょうど戦前のカントリーブルースに興味を持っていたの頃だったので、そのPA担当と音楽談義に花を咲かせていた。すると、クラブの経営者がオフィスから出てきて、いきなりPA担当に「BGMを換えてくれ。」と言いだしたのだ。俺たちがきょとんとしていると、経営者は「昔を思い出してしまうから、古いブルースは流さないでくれ。」と。 ブルースを愛する者にとってとても悲しいのは、こんな風に、ブルースという音楽の持つネガティヴな歴史背景ゆえにアフリカン・アメリカン自身がブルースを拒絶し、ブルースという音楽が「過去の『負』の産物」として次第に彼等の文化の片隅においやられてゆく現実をかいまみる時だ。それもかなり頻繁に。若い世代は、ネガティヴなメッセージのあふれる「新しい音楽」の周りで物質欲にまみれているというのに。傍から見ているばかりで説得力のかけらもない俺の立場は承知の上で、その経営者に「ブルースに罪はないんじゃないだろうか。」と聞き返したくなってしまった。 最近、音楽雑誌の編集に日頃携わる友人から“Who’s your biggest influence ?”との質問があった。最も影響を受けたギタリストを一人挙げろ、と言われても困ってしまうので、とりあえず十人ピックアップさせろと言い、頭に浮かぶ名前をその場で一息に読み上げたら、あっというまに十人を超えてしまった。誰にどれだけ影響を受けたかを言い表すなど最初っから無理なわけで、それは聴く側が勝手に判断してくれればいい。ここではもう少し質問の焦点を絞って、誰のどの演奏が好きかを答えることとした。 まず俺にとって最高のブルース・ギター・ソロというのが、Live in
Cook County JailのHow Blues Can You Get でのB.B.KINGの長いソロ。これこそ本当に、ホントウに、ギターが唄っているといえるソロだと思う。もちろん、弾いて弾いて弾きまくるJOHNNY
WINTER ”Captured Live” のSweet Papa Johnや、ライヴレコーディングのRed House でのJIMI
HENDRIX の長い長いソロには、それこそぞっとする凄まじさがある。Allman Brothers Band のAt Fillmore
East とEat a Peach でのDUANE ALLMANのスライドギターソロを聴くと、DUANEがいかに「ソロ」をバンド全体の創造する「音楽」のあくまでも一部として大切にしていたかがわかる。曲の為のソロであって、ソロの為の曲ではけっしてないのだ。同じくAllman’s出身のDICKEY
BETTS も絶対には スライド・ギターのグルーヴ感を語るとき、絶対に忘れられないはROBERT JOHNSON。彼は世界最初のファンク・ギタリストと呼んでもいいんじゃないかと思えてしまうし、俺はスライド・ギターをリズム・パートに使うとき、必ずイメージするのが、歌にぴったりと寄り添う彼のプレーだ。そもそも俺はカントリーが好きで、カントリー・ギターの影響をブルースやロックに巧みに取り入れているDICKEY BETTSやELVIN BISHOPのサウンドがたまらなく心地良い。ELVIN BISHOPの “Let It Flow” や “Struttin’ My Stuff”での、さまざまなジャンルのテイストを「料理」する塩加減が俺にはひどくしっくりくる。(白状してしまうと、最近はソウルやR&Bなんかより、カントリーやブルーグラスを聴く方がずーっとしっくりくる。ケンタッキーやテネシーにツアーに行ったときは、いつもホテルの部屋で冷たいビールを飲みながらブルーグラス専門のテレビチャンネルを楽しんでいる。) 話がちょっとカントリー系に偏ったので、ではソウル、R&B系は、というと、良い歌を唄わせるギタリストが二人いる。一人はCORNELL DUPREEで、ソロアルバム“Teasin’” はベスト。また、一連のキング・カーティスやアレサ・フランクリンなど、アトランティック系アーティストとのセッションが素晴らしい。DONNY HATHAWAY の “Live” や MARGIE JOSEPH の“Sweet Surrender” は最高!もう一人はDAVID T. WALKER。伝説のソロアルバム “On Love”もいいし、MALENA SHAW の “Who is This Bitch, Anyway?” やMARVIN GAYE の “Live !” でのT. WALKERのトーンはいつ聴いてもゾクゾクさせられる。大体、この二人は今どんな活動をしているのだろう?それから彼等のスタイルを継承し現在活躍しているギタリスト達の演奏はどういうシンガーのバックで聴くことができるのだろうか。CORNELL DUPREEやDAVID T. WALKERの、常にブルースから離れ過ぎないスタイルは、歌の「脇役」として必要不可欠な存在だと思うのだが、それはもう古い考え方なのだろうか?もしまだ彼等のスタイルがまだまだ必要不可欠な存在だとしたら、多くの「主役」の出現を心から待ち望みたいと思ってしまう。 蛇足になるが、先日、日本の友人のホームページの掲示板で、昭和の日本の歌手の話になった。ジュリーやショーケンはもちろん、その頃たまたま俺が観たヴィデオで唄っていた平山ミキや渚ゆうこ等々。歌はうまいし、何故かとても「ロック」していた。彼らは今でもギグをするんだろうか、場所はあるんだろうか、彼らのような実力のある歌手達が頻繁にギグの出来るスペースが増えたら、バックアップするミュージシャン達にとってもすごく良いチャンスになるだろう...云々と読み書きしているうちに、もしかしたら結局は、「歌」自体がオールドファッションになってしまった時代なのかもしれないな、という気もしてきた。(そうそう、もう一枚あった。 JOE SAMPLE-DAVID T. WALKERの“Swing Street Cafe”。酒が美味しくなる。) 先日、オレゴン州への移動中に話題になったのが、2002年のジョージ・ハリソン追悼コンサートのビデオだ。複数のビッグネームが一堂に会しておこなわれたコンサートは今までにもたくさんあるが、これほどポジティヴで暖かいヴァイブに包まれたコンサートはなかったのではないだろうか。ラヴィ・シャンカールが「今夜ジョージの魂はここ(ロイヤル・アルバート・ホール)にいます。」と言っていたが、それは間違いない。俺の目には、ジョージの魂は息子さんのダニーの体を借りてステージの上にいたと思う。あの控えめな存在感とオーラ、マイク越しに他のミュージシャンとコンタクトを取るときの目つき、そして“Wha-
Wah-”と唄う時の口の開き ジム・ケルトナー、アルバート・リー、ビリー・プレストン、レイ・クーパー、クリス・スティントン、そしてなんとクラウス・ボアマン...一人のミュージシャンの追悼のためにここまで凄腕のレジェンド・バイ・プレーヤー達が心から幸せそうに演奏を捧げるとは、ジョージ・ハリソンというユニークな存在の大きさを察するに余りある。それはやはりビートルズの中でも外でもジョンとポールという両巨人と比較され、自身もバイ・プレーヤーとしての立ち位置から常に音楽をクールにみつめていた(みつめざるを得なかった)一人の偉大なミュージシャンへの尊敬の念をあらわしていると思う。 ポールのウクレレがイントロの「サムシング」をエリック・クラプトンが盛り上げてゆく時、「イズント・ディス・ピティー」でレイ・クーパーがタンバリンごしに天を指差した時、体中に鳥肌が走ったし、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がポールのピアノで始まったとき、思わず涙が出た。そして何と言っても感動的だったのは、ポールの唄ったフォー・ユー・ブルー。この曲のオリジナル・テイク(レット・イット・ビー)を聴くとわかるが、ジョンのスライドギター・ソロ後半にジョージが“Same
old twelve bar blues”と小声で合いの手を入れるパートがある。ポールはそのパートをけっして忘れずに “It's just
twelve bar blues” 音楽とは、バンドとは本当に素晴らしい。最後にちょっと、ジャムセッションの話をしよう。 そしてもう一つ、俺が最近覗い中でひさしぶりに面白かったのが、マンハッタン24丁目にあるカッティング・ルームというクラブでのセッションだ。ビリー・ジョエルの大ヒット曲「ニューヨーク・ステイト・オヴ・ハート」のサキソフォン・ソロを御存知だろうか。あれはリッチー・キャナタというプレーヤーで、彼がここのマンデイ・ナイト・ジャムを仕切るホストであり、大ヴェテランで実力派ぞろいの彼のバンドがハウス・バンドを勤める。たまたま俺が足を運んだ晩にギターを弾いていたのは、スパイロ・ジャイラのフリオ・フェルナンデス。「こりゃ、面白そうだな。」とジャムがスタートする前からワクワクしていたのだが、もちろん最高のセッションがくりひろげられた上に、なんとそこに、フィービー・スノウが飛び入りし「ブリング・イット・ホーム・トゥー・ミー」を熱唱し、観客を総立ちにさせてしまった。俺がフィービーを初めて聴いたのが20歳の頃で、その後4番目のアルバムまでをかなり気に入って聴き込んでいた。彼女のサウンドの中に時々ちらりと顔をのぞかせるブルージーなフィーリングがとても好きだ。やはりファーストアルバム“Phoebe Snow”はどうしてもはずせないし、また三番目のアルバム“It Looks Like Snow”もすばらしい。彼女のデビューが確か1974年だから、ブレイクから30年たった今でも我々は彼女のリラックスした歌声を街角のクラブの、それもジャムセッションで聴くことが出来るし、タイミングさえ合えば一緒に演奏することさえ全然夢ではない、というわけだ。 1950年代生まれの、学生時代を60〜70年代の盛り上がるマンハッタンのミュージック・シーンに過ごしたミュージシャン仲間の経験談が面白い。ヴィレッジに今でもある“CAFE WHA?”という店にジミ・ヘンドリックスのショーを観た時の話では、ステージ右袖にジョニー・ウィンターがギターケースを抱えてうろちょろしており、ジミがジョニーをステージに上げてセッションを始めると、こんどはなんとジョン・マクラグリンがステージ右袖でギターケースを抱えてうろちょろしはじめた。結局「ジミ・ヘンドリックス・アンド・エクスペリエンス・ライヴ」は気がついたときには「トリプルJ スーパーセッション」になっていた、というのだ。(こんな話も時々ここで紹介するのも面白いな...。) 今ではこんなとんでもないハプニングをライヴ・ミュージックに期待するのは到底無理な時代なのだろうが、確立やスケールは低く小さくなってしまったとはいえニューヨークのジャム・セッションをハシゴする楽しみはまだまだ完全になくなったというわけではわけではさそうである。これからもマンデー・ナイト・ジャム・ホップを続けることにしよう。良いジャム・セッションを創造できるミュージシャンは、見ず知らずのミュージシャンが突然集まって一つの音をクリエイトするために何が不可欠かを知っている。特に盛り上がっているジャムのホスト・ミュージシャンやハウスバンドのメンバー達はきまってリラックスしており、飛び入り参加するプレーヤー達が自由に演奏できるポケットを広く深く用意し、時にどうしても必要とあれば脇からゲストをグイグイと煽り立てる。つまり音と人に対して非常にリスペクトフルでエゴがない。もちろんこれはメンバー一人一人のもつ実力とキャリアに裏付けられているのは言うまでもないが。 先日ある友人から、「有名ギタリストがホスト役の、大きなジャムがあるから、行ってみる。」と連絡があった。相当な規模のその「鳴り物入りジャム」は、後日談によると、ホストとその取り巻き、つまりハウスバンドのメンバー全員が「弾かしてやるからありがたく思え。」といった態度で、それなのに結局はハウスバンドのソロ取り合戦、特に奉られたホストが鼻高々にソロを取りまくるというコンセプトに終始し、結局は非常に退屈で稚拙なジャムに成り下がったという。でもこういうのはよくある話なのだ。 蛇足 ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah
Coleman)バンドのリズムギタリスト。 今までのコラムはこちら。
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