第4回:ニューヨークの日常生活


ここに掲載させていただいてから、これが4回目のコラムになる。
文章を書くのはもともと嫌いではない。毎回楽しんで書かせてもらっている。
しかし、である。
まだ始めたばかりとはいえ、あまりの文才の無さに我ながら笑ってしまう。
余計な言葉が多すぎて、
それらのぶつかりあう音がガチャガチャと聞こえて来そうだ。
まるでグルーヴのまとまらないリズムセクションのように。
最近、ある人気作家のエッセイを読んだが、なんとも単純明快、その上奥深い。
さすがは文章のプロ、とただただ敬服するばかりで、
それこそ「ガタガタ言うんじゃねぇ!心で書け!」と一括されそうだ。
そんな俺の駄文、拙文ではあるが、それでも時々読み返してみると、
それらへの自分自身の感じ方が読む時によって変化するのが解る。
これは書いている最中にも起きる事で、
レコーデイングと共通するものがあるように思えて興味深い。
文章に携わるお仕事をされている方がもし俺のコラムを読まれていたら、
是非とも、作文の極意を伝授して頂きたい。
それを次のレコーディングに応用して、などと姑息な事を考える今日この頃である。

...ニューヨークでの日常生活の中で時々出くわすのが、
ぶ厚いアクリル盤で売り場とキャッシャーが完全に遮断された
デリ(食品雑貨店)だ。
支払いはレジのカウンターに備え付けられた、小さな回転窓で行なう。
これは店員が強盗から身を守る為の設備なのだが、
はじめは「なんじゃ、こりゃ?!」と、思いっきりとまどってしまった。

俺が東京からNYに引っ越して来たのは、かれこれ13年前になる。
最初のアパートはブルックリンのネイヴィーヤードに程近い、
ワシントンアヴェニューとフラッシングアヴェニューの交わるブロックの、
シナモン工場をジデンス用に改築したという古いビルの一階で、
アートスクールに通う二人の日本人と俺の合計三人でそこをシェアしていた。
「お約束」のような貧乏生活だった。
そこには約一年住んだのだが、結果を先に言ってしまえば、
ある夜、マンハッタンでの演奏後、アパート近くで強盗に遭い、
別な日の真っ昼間には、たちの悪い地元の中学生達に襲われ、
あげくのはてにはルームメイトの一人が路上でホールドアップに遭い、
「ゴメン、もう出て行く。」と、最初に俺がそこを出た。
結局、すぐに残りの二人も他の場所に移ったのだが、
早い話、非常にファンキーなエリアだった訳だ。
最寄り駅がクリントンワシントン駅。悪名高い地下鉄線Gトレイン。
1時間近く電車が来ない、なんて日常茶飯事の深夜の地下鉄ホームに、
身の危険を百も承知で高価な楽器と共に立たなければならない緊張の連続。
仮に器材の重さに負けて、やむを得ずタクシーを利用しようとしても、
行き先を告げただけで乗車拒否された事などは数え切れない。
背に腹を換えるすべなどある訳も無く、
この緊張感を日常的なものとして耐え忍び、自分の身を自分で守る、
そんなタフネスを持続させる事が、
日々を乗り切るための最低必要条件だったように思う。
路上で強盗に襲われた時には、金は放しても、ギターだけは絶対に手放さなかった。

犯罪都市NYはここ10年で信じられないほど安全になった。
それに伴い、例の回転窓もだいぶ姿を消した様だが、
特にハーレムやブルックリン等では、今でもちょくちょくお目にかかる事が出来る。

これは確か7年位前の初夏の事だったろうか。
マンハッタンの119丁目とレノックスアヴェニューの、
あるごく普通のブラウンストーンの一階でのリハーサルの時の事である。
昼過ぎからスタートしたリハーサルだったが、とても驚いたのは、
音が出始めるや否や、周囲の住人達、特に年配の方達が、
飲み物やビーチチェアを持ちよりながら、
こぞってそのブラウンストーンの周りに集まってくるのだ。
建物から漏れる俺達のリハーサルの音を
まるでいっぱしの野外コンサートを聴くかのように楽しんでいる。
休憩に外へ出ると、みんな口々に「次は何時から?」とか、
「来週もやるの?」とか、「マーヴィン ゲイやってよ。」とか聞いてくる。
おめかししてまでやって来たおかあさんや、
クッキーを差し入れてくれたお嬢さんがいたり。
「オルガンの音、良いねぇ。」って言ってたおばあちゃん、
その日はオルガンはいなかった。
コーラスのかかったギターがオルガンに聴こえたらしい。
たいしたもんだな、本当に音楽が好きなんだな、とつくづく嬉しくなったし、
いつも音楽をそばに置いておこうとする彼らのライフスタイルに
羨ましささえ感じてしまった。

結局、そのリハーサルは午後11時位まで続き、
終了後に俺は一人で街角の小さなデリに寄った。
昔に比べてはるかに安全になったNYとはいえ、
そこは深夜のハーレムのど真ん中である。
店の中にも外にもヤバそうな連中がうろうろしていた。
飲み物を買おうとレジへ。回転窓だった。
レジの中には年の頃で30代中頃の中東系の男が一人。
俺の顔を見た途端、「オイ、お前、日本人か?!」と聞く。
そうだ、と答えると、いきなり「オーッ!カミカゼェー!」と大声を張り上げた。
そして「お前に見せたいものがあるんだ!」と、
興奮しながら一枚の写真を回転窓からこっちへよこした。
機関銃を抱え、穴だらけの壁の前に立つ、ターバンを巻いた男の写真。
「アフガニスタンの俺の弟だ!お前と同じカミカゼだ! We're Fighters!」
と男は繰り返す。
他の客やたむろする連中になんかお構いなしで、
目を輝かせて、嬉しそうに「My Brothers! We're Fighters !」...
思わず一歩後ずさりしてしまった。笑顔を作るのが精いっぱいだった。
「あんた、なんか誤解してるかも...。」って、よっぽど言ってやりたかったけど、
深夜のハーレムで「朝まで討論」する気は無い。
笑顔を引きつらせながら店を飛び出した。
(あの「9.11」は、この数年後にやってくる。思いをはせればきりがない。)

唐突に降って沸いたような、ハーレムでの極端に違う二つの出会い。
かたや「音楽」によって暖かく平和に結び付き、
そして一方では、「カミカゼ」という言葉によって奇怪に結び付いた出会い。
前にも同じような事を言ったと思うが、ここは不思議な出会いに満ち満ちた街だ。
海外に確固たる一人の「個」として身を投じる以上、
日本人以外の何者でもない自分のルーツを一生涯責任を持って背追い続ける「運命」として
好むと好まずに拘わらず受け入れてゆかざるを得ない現実に、
極めて日常的なレベルでたびたび遭遇する。
(「個」と日本人ミュージシャン、これもまた機会があったら...。)
時には異文化融合の最先鋒として、歓迎という形でやってくるし、
また時には、単なるレイシズムという形でやってくる場合もある。
「音を出してなんぼ」という、いわば実力主義の世界に生き、
音楽を共有し楽しむという時点で民族、文化、言語、そして肌の色の違いを軽々と超越して
多くの出会いを経験することの出来るミュージシャンとは、とても幸せな職業のかも知れない。
そして世界がバラバラになってしまったような、今のこの時代だからこそ、
たかが音楽にどんな力があるのか、、たかがミュージシャンに一体何が出来るのかを、
俺達ミュージシャンは積極的に自問してみる必要があるのではないだろうか。

Feb.25,2004
HIRO SUZUKI

蛇足:「コーラスのかかったギターがオルガンに...」
...テレキャスター(別にテレじゃなくても良い。二つのピックアップのミックストーンがこのエフェクトには相性が良い。)のピックアップセレクトスイッチをセンターにして、
コーラスエフェクトをすこし強めにかけててから、ギターのトーンを絞り込む。
それをほんの少しだけ、RC Booster でオーヴァードライヴさせると、
ちょっとしたオルガンシミュレーターになる。
ツインギター、ノーキーボードのユニットの時など、
リズムバッキングにアクセントが欲しい時に便利。

ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah Coleman)バンドのリズムギタリスト。
デボラ・コールマンのサイトは↓
http://www.deborahcoleman.com/index.htm

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