NYにビル・シムズというミュージシャンがいる。もう60歳くらいの、めちゃめちゃ良い歌とギターを聴かせる大ベテランのブルースマンで、彼のショーに行くと必ず「ヒロ、弾け。」と俺を飛び入り演奏させる。いつも喜んで弾かせてもらうのだが、それだけではない、必ずビルは俺に「歌え。」と言う。「いいから歌え。」と。ある日の事、その晩も数少ないレパートリーの中から渋々歌い、なんとかその場をしのぐと、 今回の帰国中に演奏した中で、俺自身のオリジナル・バンド“GRUMPY JUKE”(グランピー・ジューク)としての演奏を一度だけおこない、そのショーではアンコールを含めた10曲を演奏し、8曲を自分で歌い、そのうちの3曲は日本語歌詞付き、更にそのうちの二曲は英語を一切含まない完全日本語歌詞のオリジナル曲を取り上げてみた。今後も、G. JUKEの日本国内の演奏では、こういった完全日本語オリジナル曲に出来るだけこだわってみたいと思っている。少なくとも演奏曲の半分を占められるようにしたい。「13年もアメリカで演奏していて何でいまさら日本語?」と不思議がられるのだが、反対にアメリカで演奏すればするほど「言葉」を大切にしたくなるし、特に日本で歌う時には出来る限り日本語オリジナルを歌いたいと感じずにはいられなくなる。いまさらながら、ビルの言葉はつくづく正しいと言える。とにかく今は無性に歌いたい。なぜここまで衝動に駆られるのか、自分でも良く分からないのだが、理屈抜きで体が歌う事を要求しているのが分かる。英語詞でも日本語詞でも、「言葉」にこだわりまくって歌い続けたい。(アメリカで日本語曲を歌った事はまだ一度も無い。実際、何度も考えてはみるのだが、言葉では表現出来ない違和感が付きまとってしまう。日本で英語詞を歌うのと同じじゃないか、とはどうしても割り切れずにいる。この違和感は何なんだ?) 歌詞が曲のグルーヴに大きく影響するという事も絶対に忘れてはならないと思う。英語の音やリズムが今日までのいわゆるウエスタン・ミュージックを進化させてきた大きな要因の一つである事はその好例だろう。そこに日本語を組み込むという作業は簡単ではなく、それが曲のグルーヴを損なうような歌詞ならば、最初っからインストにした方がまだましだ。随分前に友人がボビー・ブルー・ブランドの名曲“Members Only”に日本語詞を付けた。原曲の英語詞が一部に残されていて、とても美しい詞なので俺なりに編曲し、実は今回のG. JUKEのショーで歌ってみたのだが、英語と日本語を一つのグルーヴの中に取り込んで歌うことは思っていた以上に難しかった。 余談だが、一部の日本人の間では相変わらず変な発音の日本語が当たり前のように使われている。最近も「私は...」を「watshyu‐wah …(ゎたシュ‐ワァー)」と発音するコッテコテの日本人観光客のオバちゃんを紹介され、思いっきり引いたし、ある知人のパーティーでは「愛しているんだよ。」を「ai-shut-irundu-yao(あい‐シュトゥ‐いルンドゥ‐ヤォ)」と歌う日本人ヒップホップ歌手のCDを延々聴かされ、思わず窓からのマンハッタンの夜景を必死の思いで堪能してしまった。これはけっしてお笑いの話ではなく、本人達はいったって真剣なのだ。ある芸能プロダクションが「『英語訛り日本語レッスン』クラス」を新人歌手の為に設けているという絶望的な話も聞いた。日本語の個性的で美しい音やリズムを安易に濁して、それがカッコいいと思い込んでみたり、そんな訳の分からない発音の日本語と思わず赤面してしまうほどヒドい発音の英語を混ぜこぜにし、なおかつそれを緊張感のないバンドの貧弱なリズムに乗せてヘニャヘニャと歌い、それが一(いち)個性として立派に通用し、ヒットチャートの常連として安座したりと、これほどトンマで間抜けで安っぽい現象は全世界を探してもそうは見つからないのではないだろうか。すごくカッコ悪いと思う。 11月27日、高円寺にあるライヴハウス「楽や」で素晴らしいシンガーに出会った。その晩は須川光さん(オルガン)とチッコ相馬さん(ドラム)という両ベテランプレーヤーによるセッションで、ファーストセットの終わりとセカンドセットの終わりに俺がギターで参加するという設定だったのだが、セカンドセットの始めに同じようにゲストとして歌った、野崎アケミさんだ。彼女の歌はシルクのガーゼの様に聴いている者をなめらかに包み込む。でもそれはいつのまにかぎゅっと素肌にくいこみ、何かを思い出さずにはいられなくする。どこかで聴いた声、どこかで聞いた話だ。どこだっけ...と。彼女はオリジナル2曲を、薄暗い空間に絵の具を溶かすように歌い、二人の奏者が彼女の為に絶妙のヴォリュームでバックアップする。その晩来ていた、音楽にあまり詳しくない友人が一言、「彼女の歌は身に覚えがあるのよ。」とつぶやいた。ただ歌詞を読み流すだけの歌を聴いても、この言葉は出て来ないだろう。感じるままを言葉に表し、感じるままに彼女自身の声で歌うからこそ、聴く側の心に触れることが出来るのだと思う。 自分の言葉でつづった自分の詞が、求めるグルーヴに乗った時、初めて自分の「うた」が聴き手の心に伝わり、インスピレーションの共有が達成される。音楽がマジカルなのはこの「インスピレーションの共有」あればこそで、ライヴ演奏とはミュージシャンと視聴者がリアルタイムで直接「インスピレーションの共有」を実現する絶好の場なのである。それは日常生活の片隅の、わずかな時間に過ぎないのかもしれないが、実現された時に得られるポジティヴで力強いエネルギーは、まさにライヴ演奏ならではのもので、一度経験してしまうとなかなか忘れる事が出来ないし、代わりになる物を探してみてもそう簡単にはみつからないものなのだ。 その夜もう一つ印象的だったのが、「楽や」の店員さんの一人。御本人もシンガー兼ギタリストとの事。須川さんと相馬さんの演奏が始まると、すかさずバー・カウンターから出て来て客席の端に立ち、もう仕事そっちのけで音にはまり込み、幸せそうにグルーヴに乗り、体全体から「音楽大好き!」というオーラを満ち溢れさせている。ブレイクタイムになると、俺の席の隣に来て、本当に嬉しそうに音楽の話を始めた。演奏したくて、歌いたくて、音楽のそばにいられる幸せを誰かに伝えたくて、止められないのだ。「俺にもこんな時があったよなぁ...これでいいんだよな...。」と、これから演奏する自分の立場をすっかり忘れ、しばしこの店員さんに見とれてしまった。言い切ってしまうなら、音楽を愛する若い店員さんのこの純粋な感性とは、全てのミュージシャンに取ってかけがえのない大きな大きな宝物で、それはミュージシャンである以上、どんなに年を取り経験を積んですれっからしになっても、手放したり忘れたりしては絶対にいけないものなのだ。 大阪レインドッグでの「塩次セッション」に飛び入り参加して“LET THE GOOD TIMES ROLL”を熱唱された「歌う中間管理職」(自称)さんも良かった。スーツにブリーフケース、まさに御仕事先からまっすぐおいでになられた様なお姿の「歌う中間管理職」さんのブルースは、持ち前の素晴らしい声量も手伝って、ストレートに聴く側に伝わる。学生時代はブルースにどっぷり浸っていたのだそうだ。「皆さん、お仕事ご苦労様です!日頃腹の立つ事もおありでしょう。私もさっきあったばかりです!さあ、ご一緒に”Let the Good Times Roll”と歌って、みんなスッキリ忘れましょう!」...プロもアマも関係ない、素直に音楽を楽しむ彼の姿に、ギターをプレーしていてこっちも元気になる。バック・ミュージシャン冥利に尽きるとはこの事だ。何が大切かって聞かれたら、答えは、音楽がどれだけ好きか、これしかないのかもしれない。音楽の傍にいられる喜びが黙っていても体全体からあふれ出れば、その飾らない自然でポジティヴなエナジーは必ず周囲に伝わり、大きなグルーヴを生み出す強力な牽引車の役目をしてくれるはずだ。 ...バンドは一人で出来るものではない。さまざまな状況で自分以外のメンバーとの駆け引きがあり、その上でユニット全体の進行方向が少しづつ一つに定まってゆく。音楽好きが集まり、機材を持ち寄り、思い思いに音を出すのを第一段階のスタートとすれば、ただ集まって担当楽器を演奏するだけではグルーヴは生まれず、他の楽器を聴くことの大切さに気付いた時、メンバー個人としてもバンドとしても大きく視野が広がり、言ってみればそれが次のステップ、第二段階の入り口を通過した事になるのだろう。他の楽器を聴くということは、裏返せば自分の演奏を客観的に聴くということ、それはつまり自分の出している音がバンド全体の音にどう影響しているかを冷静に判断するという事につながり、この第一段階から第二段階までの道のりが結構長い。 今回の帰国でも素晴らしい若い才能と接するチャンスに恵まれた。15歳の若さでグイグイとギターソロを弾きまくる宇都宮の小松大地君、ジャニス・ジョプリンに挑戦する京都の高島瑞穂ちゃん、そして抜群のセンスで11月28日渋谷クロコダイルのオープニングを全曲オリジナルで努めたジャコテン・ブラザーズ・バンド。第二段階への階段を猛スピードで駆け上がる彼らのパワーに強烈に刺激された。近頃ニューヨークでも、メチャメチャ嬉しそうに楽器を演奏し、熱っぽく音楽を語る数名の天才少年達がセッションにやってくる。もう、会うたびに演奏がとんでもなく上手くなっているのがはっきりと分かり、観ているこっちまで嬉しくなってしまうし、いつの間にか俺の中の競争心にも火がつく。正直な話、彼らの演奏からは、俺はいつも多くを盗ませてもらっているのである。 随分前に、今は無きニューヨークのライヴ・ハウス「トランプス」でリトル・フィートを観た時、音数の少なさ、音と音の間のゆったりとしたスペースの広さにびっくりした。また、ウイルソン・ピケットのサキソフォンを長年努めている、旧い友人の一人ダニー・シプリアノという男とセッションで一緒になった時、たまたまそこに飛び入り参加したパーカッション・プレーヤーを賞して、“He's great because he knows how not to play.”「彼はいかに『叩かない』かを知っているから素晴らしい。」と言ったのが印象的だった。「いかに弾かない」か...これは俺のライフワークとも言える課題で、弾かない「間」を以ってしてグルーヴを生み出せるようになるまでには、先はまだまだずっとずっと長いようである。 クロコダイルのショーで圧倒的な集中力でドラムを叩いた嶋田良隆氏は、「やるんだったら行くとこまで行けよ。楽器なんか無くたってブルースしてる奴等が周りにいるだろ。ギブソンなんか捨てちゃえよ!」と俺にハッパをかけた事がある。そう、ブルースしてる奴、そこにいるだけで周りの空気がピーンと張り詰め、「ガッガ・ガッガ・ガッガ・ガッガ」とE7でグルーヴしてしまう奴がアメリカにはまだまだいる。(そう、「緊張感」という言葉が日本とアメリカの音楽シーンの違いを表すキーワードだ。)それこそ「悟り」の境地、雑念だらけのこの俺が悟るのはいつになることやら。技術面でも精神面でも、アメリカのブルース・シーンにいる限り、お手本には事欠かないのも確かだ。そんな奴等、今まで俺が会った「ブルースしてる奴等」(ほとんどがじいさんなんだけど。)の話なんかも近いうちにしてみたい。 ...毎度の事ながら、今回も話があっちゃこっちゃにいってしまい、筋が全然定まらなかった。やっぱり文章を書くのは難しい。学生時代に読書しなかったツケの重さが今になって身に凍みる..。ああでもないこうでもないと、がたがた言いながら「心で弾け!」を書き殴っていたらいつの間にか2005年になっていた。2004年は想像以上に充実した一年になった。同時に多くの課題を背負っての年越しとなった訳で、それはそれで楽しみながらゆっくり片付けてゆこうと思う。同時に世間に目を向けてみると、相変わらず訳のわからない、耳を疑い、思わず目を伏せたくなるような事件が次から次へと起こっている。人類学を専攻している友人が「人間は傷付け合う生き物なんですよ。」と言っていたが、俺はどうしてもそれに同意したくない。 PCIロスアンゼルスの堀場さん、三浦さん、そしてPCI東京の黒川さんからは広範囲に渡る御協力、御援助をいただいた。この場をお借りして、心から御礼を申し上げたいと思う。また先月のコラムでも触れたが、御本人との共演という、俺に取ってかけがえのない貴重な時間を快く提供してくださった塩次伸二さん、ありがとうございました。昨年皆さんからいただいたポジティヴでパワフルなエネルギーをなんとか今年に引き継ぎ、自分なりに納得の行く成果、答えを、形として残す事が出来るように、今年一年も元気に突っ走りたい。 蛇足 蛇足2 蛇足3 ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah
Coleman)バンドのリズムギタリスト。 今までのコラムはこちら。
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