第3回:歌心


学生の頃、軽音楽部に所属していた。
ある発表会の直前、トリを取るバンドをどう決めるかでもめた事がある。
その時は候補に二つのバンドの名前が挙がり、部員達の意見が真っ二つに分かれてしまった。
一つはヴォーカルのいるポップス系、
で、もう一つはその当時大流行だったジャズフュージョン系のインストバンド。
どちらも学生バンドにしてはとても上手く、甲乙つけがたかったのだが、
あえてトリは、と聞かれた時、俺はためらわずポップス系バンドを揚げた。
理由は単純で、もう一つのバンドがヴォーカルなしのバンドだったから。
「それでは理由にならない。」という、極めてもっともな抗議で、
俺の意見は却下され、結局トリを取ったのはインストバンドだった。
反論する気は全然なかった。俺の主張には説得力などなく、
単に歌が好き、そして良い歌の後ろには必ず良い楽器演奏がある、
そう勝手に一人で信じている、それだけのことだったから。

この出来事はとても印象的だった。
20年以上前の事なのだが、今でも良く思い出す。
勿論、今でもこの気持ちに全く変りはない。
俺はジャンルにかかわらず、どんな楽器演奏よりも歌が好きだ。

2003年の夏に、フロリダで二人の素晴らしいショーを観た。
一人は、ケヴ・モ。アコースティックギターのデュオで、
野外コンサートに集まった数万人の心をわしづかみにしてしまう
説得力ある唄とセンスあふれるギタープレー。
「歌心」なしには絶対に出来ない芸当だ。
そして、もう一人が、ディッキー・ベッツ。
彼のバンド、グレート・サザーンは、比較的インストナンバーが多いバンドなのだが、
見逃せないのは、ここにはセカンドギター、キーボード、サキソフォンと、
ディッキー・ベッツ本人を含めて合計4人のソロ楽器奏者がいて、
その一人一人のソロ演奏を、ディッキー・ベッツが実に大切にする事だ。
ソロを取るプレーヤーの横顔をじっと見つめながら、完璧なバッキングサポートを追求し、
同時に彼のブルージーで味わい深い唄をバンド全体が盛り上げる。
これもまた「歌心」あればこそ成しうる技にちがいない。

その「歌心」とは、教えたり教わったりできるものなのだろうか?
オーガナイズして教材にまとめられるものなのだろうか?
音楽が当たり前のようにアカデミックになってゆく。
ジャズはもちろん、ロックも、ブルースも。
豊かな知識とテクニックに裏付けられ、
エデュケートされたクールなミュージシャン達による、
まるで高級ホテルの高級スポーツジムみたいに健康的で善良な演奏。
ミュージシャン同志の会話の中にやたらと出てくる「スピリチュアル」という言葉。

すえた酒の匂い、こびりついた煙草の匂い、男と女の匂い...、
そんな危なっかしい「人間臭さ」とは無縁の、
むしろ高貴なインセンス(香)のごとくかぐわしい、ツルンとした音楽の氾濫。

下っ腹にもろにこたえる「唄」を歌える歌手が見当たらない。
そこにいるだけで「ブルース」が聴こえてくるようなエグイ存在感、
「歌心」が枯渇しつつある。

聴く側はどうだろうか? 聴く側の耳に届くずっと前に巨大なフィルターでろ過され尽くされ、
だらしなく垂れ流される音の洪水の中で、自分が聴きたい音楽への意思表示を示すのは
そう簡単な事ではない。
感じたい音楽を無節操にかき消すノイズを、とりあえずイレイスする作業だけでも、
相当な労力を必要としそうだ。
それにしても、である。
オーディオマニアの友人がこんなことを言っていた事がある。
「オーディオにはまり過ぎると、『音楽』ではなくて『音』を聴くようになってしまう。」

ブルースファンの友人がきっぱりと言った。
「年配の黒人のブルース以外はブルースじゃない。」
ライヴハウスまで出かけて行く労力を惜しんで、感じるよりもカテゴライズする事に
熱中する音楽ファン。
そんな時代じゃない、と言われればそれまでだが、どんなものにも裏表があるように、
人間の行く所、どこにだってブルースがついてくるはずだ。
ソウルでもって腹の底からブルースを絞り出す...
ブルースが腹の底から湧き出してくる...
そんなブルースを、音に乗せずにはいられないのがミュージシャンというものだろう。

毒を持って毒を征す、じゃないけど、
「毒気の強い音楽でも聴かなきゃ、今夜はちょっと眠れやしない。」、
そんな夜が誰にだってあると思うんだが...。

ライヴ音楽が衰退する中、ブルースも単なる「レコード鑑賞芸術」になってしまうのか...。
この客と音とミュージシャン、これらの三つが時間と空間を共有し、ぶつかり合い、
甘く溶け合い、 言葉ではけっして表現出来ない「うねり」を生み出し、
ライヴハウスが「歌心」に満たされる。
「うねり」に乗り、良い「歌」を聴きたいという、聴く側の情熱がそこにない以上、
ミュージシャン達がどんなに良い音を奏でたとしても、
そこには良い音楽は絶対に生まれっこない。

初めてヨーロッパで演奏したのが今から9年前、パリのシャンゼリゼ通りから
2、3ブロック裏道に入った所にあるクラブで週5日、2週間の滞在だった。
アメリカのブルースバンドでギターを弾くたった一人の東洋人に、
パリの連中の視線は極端に冷たかった。
しかし客のリアクションが冷たければ冷たいほど、俺は音で濃密にシンガーに寄り添い、
時にはむき出しの感情をギターに注いだ。
二週目の初日、呼び屋の男と店のブッキングのねーさんが楽屋に来て、しみじみとこう言った。
「アメリカのブルースバンドに日本人がいるなんて、やっぱり奇妙に映るよ。
でも一週間経ったけど、お前の演奏、俺達気に入ってるよ。繰り返し来てる客がいるの、
気付いた?」。
八日目、パリのラジオ局がクラブに入り、俺を特集した。
「アメリカのブルースバンドにジャポネが!?」と。
最終日、クラブは超満員になった。そして演奏後、
ステージ向かって右側の俺の立ち位置に客の長い列が出来た。
「質問があるんだけど。」、「ギターを触らせて下さい。」、
「セッションしたいんだけど。」、...。
ある高校生の少年は、
「僕がいつも一緒にギターを弾いてる、大好きなレコードを録音しました。
聴いていただけますか?」と、俺に一本のカセットテープをくれた。
俺も高校生の頃、しゃにむになって聴いていたロリー・ギャラガーだった。
十年近くたった今もそのテープを時々聴くと、思わず元気が沸いてくる。
ティーンエイジャーの娘さんに付き合わされて来たという、
ライヴ音楽初体験のベトナム系の男性が、
「ギターの音が、泣いたり、怒ったりするのがわかった。」とビックリしていた。

去年あたりから、年に少なくとも一回は帰国し、
実家の街や東京周辺のなじみの店で出来るだけ演奏をするようにしている。
それは日本のライヴ音楽シーンに身を投じる機会を持っていたいという、
ただそれだけの理由からなのだが、昨年、新宿での演奏の翌日、
「昨日、観たよ。音楽の事なんて分らないけどさ、アンタの演奏、良かったよ。」と、
ライヴハウスの近くに中華料理店を経営する御夫婦に声をかけられた。
店を閉めた後、一杯ひっかけに立ち寄ったところが、たまたま俺の演奏だったそうだ。
嬉しかった。こんなに血の通った賛辞が、他にあるだろうか。
「音楽ってやめらんねーなぁ!」と、
今夜も酒を飲み過ぎる自分を改めて許してやりたくなった瞬間だ。

HIRO SUZUKI
Jan.28,2004

ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah Coleman)バンドのリズムギタリスト。
デボラ・コールマンのサイトは↓
http://www.deborahcoleman.com/index.htm

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