第5回:強烈な個性を持つアメリカのミュージシャン達
アメリカにやって来てからというもの、
今までにそれこそ数え切れないほど多くのミュージシャン達と共演した。
それらひとりひとりが例外なく強烈な個性の持ち主達で、
思い起こしてみるだけで思わず吹き出してしまう。
彼らの何人かは今現在どこでどうしているのかさえもわからない。
このコラムにもそれらのミュージシャン達の事を、そして彼らが俺に残した言葉を、
時々思い出しては書きつづっておこうと思う。
NYで最初にこの俺をギタリストとして雇ってくれたバンドリーダーが、
E.J.ブレィ、通称ムースと呼ばれている、
アフリカンアメリカンとネイティヴアメリカンのミックスの大男、シンガー兼ベーシストだ。
元グレッグ・オールマン・バンド、元ルー・リード・バンド出身、
スティーヴィー・レイヴォーン、ディヴィッド・ボウイ、
ジョン・べルーシ、スティーヴ・マリオットとの共演等々、
カオスともいえる70年代ニューヨークロックの最前線に身を投じ、
彼本人も御多分に漏れず、一時はドラッグとアルコールで廃人寸前までいった、
いわば「ロックンロールの生き残り」である。
この男、悪態はつくわ、支払いは遅れるわ、ギャラはピンハネするわ、
時間は守らないわ、約束のディールは無視するわ、
メンテ不良の車が火を吹いて仕事をキャンセルするわ、
それらの醜態を本人は屁とも思わないわ、
まともなミュージシャンならば誰も一緒に仕事をしたがらない、
NYの札付き、おたずね者ミュージシャン、
モービルハウスとブルースだけで旅を続ける、
まさにローリング・ストーンを地でゆく男である。
かく言う俺も、「音」で徹底的にぶつかり合い、火花を散らせた後、
オフステージでも大喧嘩をして、それ以来付合いを断っている。
しかし、この男のグルーヴには、
他のどのベーシストのそれをも物足りなく感じさせる強力な何かがある。
全身からグルーヴを絞り出し、真っ正面から叩き付けてゆかないと軽々と弾き飛ばされ、
小手先のごまかしなどすぐに沈没してしまう、猛烈にうねりまくるベース。
この男との演奏は、いつも一対一の真剣勝負だった。
そしてこの一騎打ちに爆薬を投げ込むような大粒のドラマーには
とうとうお目にかかれなかった。
一度このムースとヴァ−モント州の小さな街で演奏した時の事。
ブッキングエージェントのミスで、
俺達はなんと「カントリー・スイング・ダンス・ナイト」にブックされていた。
店に着くと、ホールはカウボーイハットにラングラージーンズとウエスタンブーツの
絵に描いたようなカウボーイ、カウガール達で超満員、
BGMのウェスタンミュージックに合わせて大盛り上がりでダンスに興じている。
そこに突然、黒人大男と、ポニーテールのアジア人がバカでかい器材と共に乱入し、
どたどたとセッティングを始めた訳である。
今でもはっきりと思い出すのだが、
一瞬ダンスは止まり、ホールはしんと静まり返った。
そして俺達はいつものように大音量で、
いや、いつもよりも大音量でへヴィーロックブルースをやった。
「文句あっか!ブッキングに聞け!金さえもらえれば知ったこっちゃねぇ!」と、
ゴリゴリで大粒のうねりが遠慮無しにダンスホールに渦巻くと、
カウボーイ、カウガール達は怒り出し、
一曲目が終わる頃には客席はガラガラになっていた。
NYに戻る帰りのハイウエイでムースがげらげら笑いながら俺に言った、
「オマエは日本人のくせに、アメリカ人よりずっとアメリカを見てるよな!」...。
デボラ・コールマンと仕事を始めた昨年の春からはツアーの連続、
アメリカ国内はもちろん、カナダからヨーロッパ各国と、
重い荷物を引きずって何処まででも出向いて行った感があり、
ずいぶんと印象的な「アメリカ」をも度々体験する事が出来たような気がする。
アメリカ中西部を2週間かけてツアーしたのは、確か4月だったと思う。
誰かがアイオワ州を"The Heart of America" と呼んでいた。
確かに地図を見ると、そこは合衆国のど真ん中に位置している。
それにしても広い。延々と続くなだらかなアップダウン、
定規で引いたようにまっすぐに続く高速道路、
見渡す限りのトウモロコシ畑と牧場。
俺が演奏した場所もそんなコーンフィールドの真ん中に
ポツンと建っている、公民館のような場所
(と言っても日本のそれよりは豪華で大きい、キャパ五、六百人位のホール。)で、
そこに何十キロも車を運転して音楽ファンが集まって来る。
踊りまくる満員のオーディエンス。
聞くところによればアイオワ州をはじめとした中北部の州には北欧からの移民、
特にヴァイキングの末えいの方達が多いのだそうだ。
確かに、アイオワ州の北はアメフトのヴァイキングスのお膝元、ミネソタ州だ。
「日本人でブルースギター???」と、例によって始めはみんな目を白黒させるのだが、
演奏後は「良かった!」と声を掛けてくれる。
「家の二階が空いているから、引っ越して来い。NYなんかよりずっと良いぞ。」と、
真剣に移住を薦めてくれた老夫婦もいたり、
そんな暖かく素朴でフレンドリーな地元の方達のお陰で、
滞在も演奏も楽しませてもらった。
その"The Heart of America"
で一番印象的だったのが、
演奏地に行く途中で立ち寄った、コーンフィールドの真ん中の、
それこそ一昔前の映画に出て来そうなさびれたガソリンスタンドでの事。
バンドメンバーのうちの二人(白人)が、
ガソリンスタンドの手洗いを使いに建物に入って行ったのだが、
デボラ(黒人)と俺(もちろんアジア人)はちょっと躊躇して車に残っていた。
(勿論、理由は御解りだろう。アメリカならこんなシチュエーションは日常茶飯事だ。)
それでも俺は少し外の風にもあたりたかったし、喉も渇いてたから、
入り口のわきの自販機で飲み物を買おうと車を降りた。
ぶっ壊れてそうな古臭い自販機だがちゃんと動いていて、
7upの値段が75セントになっている。
クオーター硬貨を三つ入れ、7upのボタンを押すと、
受け取り口に7upの缶が出て来た。
ゴトン、とではなく、カラン、という軽薄な音を立てながら...。
「あれっ?」と思い、取り出してみると、
それは底に二つ小さな穴の開いた7upの空缶。
"The Heart of America"の広大なコーンフィールドに響き渡る空缶の音。
「これが合衆国の「音」なのか?!」と思わず吹き出してしまった。
最近、Xoticのテレキャスターにはまっている。
PCIのM氏が現在、俺の為にカスタムメイドのギターを創ってくれているのだが、
それが完成するまでの間の為に、と送ってくれた、
ゴールドトップのベーシック・テレがそれだ。
完全に「自分の一本」にするまでには、
ピックアップやポット等、ハードウェア系への微調整が残ってはいるものの、
ボディーやネックの材質の素晴らしさ、全体のバランス、
一本のギターとしての完成度にはつくづく驚かされている。
アンプを通さずに弾いた時の、
ボディーとネックが弦の振動に呼応する生音が非常にリッチなのだ。
これから先、少しづつ調節を重ねてみて、
このギターがどこまで「自分の一本」に成長するかが見物である。
March.26,2004
HIRO SUZUKI
蛇足
***今月の初めにフランスに行った。
ある夜、パリ市内のブルースクラブでジャムセッションがあると聞き、立ち寄ってみた。
思わず笑ってしまったのは、
このセッションにはハウスバンドのギタリストを含め、
6、7名のギタリストがプレーしたのだが、
ストラトキャスター以外のギターを持って来たギタリストが一人もいなく、
その全員がスティーヴィーレイヴォーンタイプのシャッフルを漏れなく演奏した事だった。
しかし、リズムセクションが非常に優れており、
全体的にはかなりクオリティーの高いセッションで、
「フランス、侮るなかれ!」と、思わずうなり声を上げてしまった。
昨年、一昨年と日本でも何件かのブルースセッションに足を運んだが、
その時に感じた事も、是非近いうちに書いてみたいと思っている。
Hiro Suzuki & Deborah Coleman
ヒロ鈴木はデボラ・コールマン(Deborah
Coleman)バンドのリズムギタリスト。
デボラ・コールマンのサイトは↓
http://www.deborahcoleman.com/index.htm
今までのコラムはこちら。
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ヒロ鈴木のインタビューはこちら。
デボラ・コールマンとのライブレポートはこちら。