第15回 Jan & Dean
ポピュラー・ミュージックの伝説的なグループ、Jan & Dean(ジャン・アンド・ディ−ン)の音楽は現在も多くの人達に愛され親しまれています。にもかかわらず、Rock&Rollの歴史やRockの発展過程を考える時ほとんど重要視されることがありません。今日、彼らの名前からイメージされるのは日焼けしたカリフォルニアの若者達がMalibuのビーチでダンスやサーフィンをしている姿と、たった1曲のゴールド・レコード("Surf City")を獲得した1960年代初期の古き良き時代のアーティストといったものでしょうか。しかし、彼らは数えきれないほどのアーティスト達に影響を与えてきました。今でも一部のリスナーや評論家、大衆文化の研究者などからは1960年代前半の彼らの音楽的業績や彼らの特徴である美しいハーモニー、親しみやすいコーラスは非常に高く評価されています。 Jan BerryとDean Torrenceが出会ったのはWest Los AngelesのUniversity High Schoolでした。彼らはクラスメートでありフットボール・チームのチームメイトでもありました。数名の友人達と共にThe Baronsというグループを作りDoo Wopを歌い始めたのが彼らが一緒に活動をすることになったきっかけです。彼らが成功の足掛かりを掴んだのは1963年にヒット・チャートの28位になった"Linda"です。その当時、テレビ・ショウなどでたびたび一緒に出演していたのがハーモニーの歌い方が彼らとそっくりな新人バンド、the Beach Boys(ビーチ・ボーイズ)でした。Jan & Deanとthe Beach Boysの交流が始まるとJan BerryとBrian Wilsonは意気投合し共に曲作りを始めるまでになりました。そんな中、Wilsonが作曲に行き詰まったためBerryが譲り受けてJan & Deanのために完成させた曲が"Surf City"でした。その"Surf City"は1963年3月に発売されJan & Dean初のナンバーワン・シングルになり、彼らは一躍Surf Musicを代表するアーティストとなりました。 その後、"Honolulu Lulu"(11位)、"Drag City"(10位)、"Dead Man's Curve"(8位)、"The Little Old Lady From Pasadena"(3位)、"Ride the Wild Surf"(16位)と順調にヒットを飛ばしました。しかし、1966年4月のJan Berryの自動車事故により事態は一変。Berryは瀕死の重傷を負いながらも奇跡的に命だけは助かりました。その後、Berryは再起に向けてリハビリに励むのですが、Jan & Deanの活動は長期間休止せざるを得ませんでした。その間、Dean Torrenceは他のアーティストのレコーディングに参加したり、グラフィック・デザイナーとして音楽以外の分野で成功を収めたりしました。Berry復帰後のJan & Deanはツアーを中心に活動をおこない現在に至っています。 私が行ったJan & DeanのコンサートはGary Griffin(key)、Randell Kirson(b)、David Logeman(ds)、Don Raymond(g)などをバックに彼らが往年のヒット曲を歌うというものでした。Jan & Deanはthe Beach Boysと並びSurf Musicの代名詞のように思われていますが、音楽的にはSurf MusicにとどまらずFolk-Rock、Doo Wop、Rock&Rollの要素も多分に含んでいるので単調なものではありません。観客達は小さな子供連れのファミリーも多く会場の雰囲気はアット・ホームなものでした。しかし、コンサートの後半にTorrenceが「これからスペシャル・ゲストが登場するけど、子供達の教育に良くないから見せないほうが良いよ」とアナウンスした後、サングラスに黒い衣装、そして胸毛もあらわにした謎の人物Bobby Badfingersが登場。このBobby Badfingersは歌ったり楽器を演奏したりするのではありません。彼の得意技は怪しく踊りながらその名のとおりポール牧さんのように「指パッチン」をすること。曲の間奏でパチパチパチパチと指パッチンをしまくり乗り乗りに怪しく踊りまくります。この謎の人物Bobby Badfingersに乗せられて観衆達は一気にヒート・アップ。それまでの爽やかコンサートのムードとは打って変わり、観客もステージの上にあがり踊りまくって大いに盛り上がりました。 Jan & Dean公式ホームページ 音楽びしばし写真館の今までのコラムはこちら。 |