初めまして、今沢カゲロウです。 じゃあ、まずは2004年8月に行われたルーマニア公演ツアーから。 ルーマニアの公演ツアーが2004年8月中旬に行なわれた。 2004年の初めに、ジェームスという医師の名義で、ルーマニアのジプシーミュージシャンに関する資料の入った郵便物が、東京の事務所に送られてきた。 「ルーマニアには素晴らしいジプシーミュージシャンがたくさんいます。一方でルーマニアの人々にあなたのパフォーマンスを見せてあげたい。最高の環境を用意するので、ヨーロッパに来る機会があったら是非ルーマニアでも演奏してほしい。」とのこと。 なかなかスケジュールが合わなかったが、なんとかアテネオリンピックとほぼ同時期の8月に調整がつき、ルーマニア公演ツアーが実現した。ウイーン経由でルーマニア・オトペニ空港に着くと、なんとメルセデスベンツの16人乗りマイクロバスが自分の為に用意されていた。その車に乗り、2000キロを走破。同行者は全部で7人。車内には常にジプシー音楽が大音量で流れ続ける。運転手のルンカヌ(シュワルツェネッガーmeets星一徹)、ボディガードのチプリアン(太いジャンクロードヴァンダム)、ジェームス氏、海軍在籍で今回の撮影担当のマックスK氏、ジェームス氏の奥さんイザベラ、ジェームス氏の娘ヴァネッサちゃん(2つ)、そしてBASSNINJA。 危険なエリアは俺は車内に待機。外を移動する時も、トイレに行く時も、チプリアンが俺の前を歩いて護衛する。途中のバカウのブラックマーケットではイザベラがバッグをひったくられかけ、モルドヴァでは、ヴァネッサちゃんが親が2秒間目を話したスキに所持金20000レイを奪われてしまうが、バカウ市のストリートファイト大会チャンピオンのチプリアンがいずれも瞬時に泥棒を捕まえて、容赦なくたたきのめした。 車内は3カ国語が飛び交い続け、7カ国語を話すイザベラが全員の通訳を務める。ルーマニアの地方都市では、東洋人は珍しいようで、どこに行ってもジロジロ見られる。ましてや公式招待によるライヴツアーをしにきた訳で、その珍しさは西欧、北欧、中欧の比ではないとのこと。公演は通常夜なので、日が暮れる20時くらいまではイザベラのオーガナイズで色々なところに通りかかった。美女をうむ泉、スラニックモルドヴァのさまざまな効能を持つまずい生水を数種類飲み、(たしかに美人は多いね)そこの川魚を調理してもらい、コーンをつぶしてふかしたものを主食にして頂く(ちなみにこれが滞在中唯一の魚。ルーマニアは肉食の国。そしてとんでもなくよく食べる)。ルーマニア国内の90%以上の塩を生産する岩塩の真っ暗の山の中に入り、呼吸器にきくというソルトセラピーさながらに深呼吸。 バカウのジプシーストリートに通りかかり、市街地とは違う家のつくりを見学。ルーマニア人が毎週末に冬でも行なうといわれている山奥のバーベキュー。ほぼ手づかみなのもジプシースタイル。本来は歩いているブタをその場でシメて丸焼きするらしいが、今回は時間の都合で断念。ブラショフ、シナイアと経由してのドラキュラ城内見学。ライヴ前はガスの入った水のみですごしたが、終了後はすっかり出来上がったほかの連中と共に、世界的に有名なルーマニア赤ワインと肉料理。ルーマニアのレストランははずれがないとのことで、予約はいっさいせずに食べるところを決めていく。たしかにほぼ外れなし。 オトペニ空港に到着した日に、英語もドイツ語もルーマニア人には全く通じないことがつくづくわかり、挨拶レベルのルーマニア語を翌朝から覚えて使いはじめる。現地の公演では自分の曲のほかに、ルーマニア民謡やルーマニアのヒット曲などもジェームス氏の提案でベースソロアレンジして演奏。 さらにルンカヌは運転中に車内に流れているジプシー音楽が盛り上がると、100キロをゆうに超えるスピードを出しながら、ハンドルから手を離して踊りだす。そして、対向車線側に車が見えるのに平気で追い越しをかけていく。ルンカヌと海軍のマックスはお互いに言葉は通じないはずなのだが仲がよく、「ズギュン、ズギューン」とかいいながら、ナニの大きさの話ばっかりしている(笑)。万国共通なんだね、この話題は(笑)。何なんだこいつらはと思いながら、公演はしっかりサポートしてくれた。客もジプシーオーケストラのメンバーも、俺に話しかける内容は、「ユーアー ナンバーワン バシスト、ブンブンブン(と手まね)」「マエストロ」のみ。あとは、俺にえんえんとルーマニア語で話している。できるだけルーマニア語で返事する。MCはジェームス氏と俺の英語を、イザベラがルーマニア語に通訳して彼らに伝えるという形式。なれないことも多かったが、ジプシーミュージシャンと自分は活動形態のなかに共通点もわずかながらあり、公演後の取材、映像収録を兼ねての対談はとても有意義なものだった。 ツアー中は、自分のために用意されたベンツの16人乗りのツアーバスの中で、一日に何度も同じ曲が流れていた。イザベラのフェイバリットソングで、ジプシーが葬式のときに流す曲だという。大音量で、窓を開けっ放しにして、踊りながら移動するものだから、外を歩くルーマニアの人々はあっけにとられていた。葬式の曲とは思えない、明るくダンサブルな曲。「ジプシーにとって、踊ることと祈ることは同じ。葬式のときも皆で楽しく盛り上がるのだ。」という。歌詞の意味には、「好きで旅を続けてきて死んだんだからいいじゃない。これからは、食べることも気にせず、家族のことも気にせず、もっと自由に旅を続けられるんだから、みんなで祝福して送り出してあげましょう。」といった意味がこめられている。 ジプシーは正式な音楽教育は受けないが、子どもの頃から、両親の見よう見まねで楽器を覚えていく。そして、家族の持っているおんぼろの楽器を見よう見まねで修得し、旅を続けながらたくさんのテクニックを盗んでいく。ギターのペグが外れていたら、一つのペグに二つの弦をつないでチューニングし、バイオリンの音が小さければ、サウンドホールに金管楽器のベルを取り付ける。持っている楽器は全部演奏し、一夜にして、共演者の技術を盗む。かつてインドからトルコを経由して、ほとんどのヨーロッパの国から漂泊者あつかいされて迫害されながら、ルーマニアとスペインに受け入れられた一部のジプシーたちは、自分たちの芸の力だけで生き延び、今やルーマニアの富裕層も、かなりの割合でジプシーの人たちが占めている。 ”ジプシー”や”ロマ”といった言葉は、国によっては差別的な言葉でもある。だから、無自覚にこの名称を使うことを躊躇していた。しかし彼らがジプシーであることに高い誇りを持ち、事あるごとに”ジプシースタイル”を強調し、アグレッシヴに生きている様を見て、俺も彼らに敬意を表して、ここではジプシーという言葉を使わせていただいた。あたえられている数少ないものを、工夫しながらどんどん形にしていき、お客さんを楽しませるものにしていく行為。これは俺がかつて欧米でベース1本できつい旅をしながら生活していた時、毎日毎日考えていたこと。今でももちろん旅をしながら毎日考えている事だが、もっと原点を意識することができた。 オトペニ空港からウイーン経由で関西国際空港に飛び、そのまま千歳空港に移動。そして北海道は北見の公演先に向かう。まだまだ集中力の切れない旅は続くが、この持って帰ってきた精神を大切に旅を続けたい。公式招待を企画してくれた、ジェームス氏、バックアップしてくれたイザベラ、マックス、ルンカヌ、チプリアン、あまりぐずらずに旅につきあってくれたヴァネッサちゃん(2つ)に感謝。さようなら、ルーマニア(2004年8月)。 _____________ 今沢カゲロウ/Quagero
Imazawa プロフィール
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