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2011年7月11日

第48回 努力、根性と無理の違い

昨夜なでしこジャパンが女子ワールドカップでドイツを劇的に破ったのを観ましたのでまだ興奮しています。 いや、敵地で二連覇中の王者をうっちゃるとはすごい! がんばれ日本!

さて、それと直接関係してませんが、しかしサッカーでもギターでも長年の鍛錬を要するものであることは間違いないわけで、今回は努力、根性と無理の違いについてちょっと。

アメリカ人もかなりのものですが、日本人はさらに、世界でも有数の努力家であると僕は思っています。 努力というコンセプトが文化の中にしっかり根付いて、日本人ほど熱心に働く人種は見たことありません。

でも逆に働きすぎるということももちろんあるわけで過労死とかいう極度な結果ももちろん懸念されるべきことですが、そこまでいかないにしても、実は働きすぎ、努力が無理になっていて逆に成長、進歩の妨げになることも大いにあることだと思います。 ギターにしても、もちろんいっぱい練習すればよりうまくなる可能性は高いですが、しかしただ長時間練習すればいいかというとそうではないわけです。

では努力、根性と無理の見極め、これをどうするか。 もっと努力するべきなのか、それとも無理だからもっとペースダウンするべきなのか。 その辺の判断は結構難しいことも多いです。

基本的には、僕は「やった後」の感覚、フィーリングがいい物差しになると思っています。 簡単にまとめるとこんな具合でしょうか。

(1) 練習のあと「まだやれる」という感覚が残る、もしくは「物足りない」とか「だらけている」と感じる。 = もっと「努力」する余地あり。
(2) 練習したくないし、またやってる最中も 「大変すぎる」「やめたい」とよく思う。でも終わったあとには充実感があり、苦しいことをなしとげたという達成感がある。 = 「根性」の世界。 現状を持続させるべき。
(3) 終わったあとにも(2)のような高揚感がなく、空しく感じる。 または頑張ったにも関わらず自分はもっとすべきという一種の責めを感じる。 = やりすぎ。 「無理」しているので休みをとるかペースダウンするべき。

日本人は努力と根性が本当に美徳化されているので難しいのですが、大事なのは無理をしてやっても価値あることは決してできないということを思い知ることだと思うんです。 ギターにしてもサッカーにしても高いレベルに達するには持続させなければいけませんが、無理すると持続力が低下してしまうんです。 また本当に好きでやっていない場合、自分に強制してやらせても「無理」の域にすぐに達してしまいます。 例えば目標が先行してしまってやってること自体よりも大事になってしまうとそうなります。 恥ずかしい話ですが僕なんかも若いころは「ギターを弾く」ことよりも「プロになりたい」という夢の方が重たくて、ギターが好きだから音楽をやり始めたにも関わらず音楽を創るという行為自体の楽しさ、充実感を全く見失っていたんですね。 ので練習していても全く楽しくも充実感もなにもなくて「ああまだオレは駄目だ」と思うばかり。 で嫌になって練習やめてしまうんですが、ギター定期的に弾かないでいると「ああギターが弾きたい」と思うんです。 そんな行ったり来たりが何年も続き、おかげで弾き始めてから20年もたつ今でも自分で可能だと思うようなレベルからまだほど遠いところにいます。

運動でも音楽でも、すごい人たちはなんですごくなれたかというと、その人たちにとってはそれをすることが無理がなく、長い時間努力できる(もちろん歯を食いしばってくるしい鍛錬をする = 根性がいる時間というのは誰でも必ずあるんですが)ということが第一前提としてあるわけです。 他の人だったら無理になってしまう(ペースが『好き度」より高い)ペースでも持続できること。 これはやはり「好き度」が高い活動でなければいけないわけです。

ですから努力と根性はしても、無理は決してすべきではないと僕は思います。 無理してギターうまくなっても絶対どこかで燃え尽きてしまいます。 プロになるということが目標としてあっても、それに見合うほど努力をしても無理にならないほどそれを好きでないと駄目なんです。 好きでないならプロになっても継続的に幸せでいられるわけないですから、もしそうならギターは趣味の世界にしておいて、もっと他に好きなことを探すのがいいんです。 

もちろんギターにしてもサッカーにしてもぶち当たる壁とか、より高いレベルへいく苦しみというものは存在しますから、やってて「楽しい」という感情が先行するかというと決してそうではありませんが、でも充実感という感情はよりその点信頼できるバロメーターですね。 自分がやってることにはやる価値があり、時には歯を食いしばって苦しいことに耐えるようなペースで努力してもその充実感が失われないもの。 それを見つけて追求するのが人生の幸せであると僕は思っています。 

僕も色々紆余曲折してまだまだ先は長いですが、最近は無理をやめ、目標も変えて「ギターを弾く」「音楽を創る」という行為自体へ視点を変えて、定期的に少しずつ努力するようなペースに変えましたので、充実感も高まり、とてもいい感じで音楽をやっています。 努力する価値のある生き甲斐を見つけられて本当に幸せだと思えるようになりました。 それが今回のなでしこのように大きな結果に結びつけばより素晴らしいですが、でもそうでなくても努力してるだけ、ただ頑張っているだけで喜びに満たされた人生を送るということはできると信じています。

最後にちょっとだけ近況を伝えると、実は先月ついにとてもいいシンガーとの出会いがあり、今月彼とレコーディングしてみる予定です。 うまくいったら次回はそのことについてお知らせする予定です。

ではまた来月。 頑張れ日本! 

投稿者 ari : 03:52