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2010年11月 7日

第41回 久々の日本で思ったこと

PCIの皆さんこんにちは。 秋はどうお過ごしですか? 

僕は10月半ばから11月初めまで、3年ぶりに家族を連れて日本に一時帰国していました。 といっても僕は日本は12歳の時に出て以来一度も日本に住んだことがないので、言葉ができること以外は外国にいるような気がします。 みちろんどこか心の底でホッとするところもあるわけで、非常に複雑な心境ですね。 (笑)

というわけで、今回は幾つか日本で考えたことを。

(1)食事
いや、日本食はやっぱりうまい! 最近は軽食を心がけている(?)自分ですが日本ではたらふく食べてきました。 特にここミネソタ州という内陸部では
シーフードが高い上にまずいので、魚介類中心に食べあさってきました。 しかし、日本もそうですが、中国、タイ、インド、ベトナムとアジアはやはり世界で一番食べ物のおいしい地域ではないかと考えてしまいます。 

逆に、アメリカの食文化は本当にまずしい! なんでこんなに物質的に豊かな上に利己主義な連中がおいしいものを食べるということにもっと固執しないのか全く不思議です。 アメリカの食事ってバリエーションがひどく少ない上に特に野菜の調理の仕方がほとんどないので非常に底が浅い印象を受けます。 やはりまだ歴史が数百年しかない国なので(先住民の文化は現存の文化への影響が薄いので)色んな意味で文化が薄っぺらいわけなのですね。 首都圏出身の人の中には地方出の人の方がその出身地の個性というものがあっておもしろいと感じることも多いかと思いますが、アメリカという国は国全体がそんな感じ。 自分たちの文化が非常に底が浅くつまらないのでもっと個性ある国から来ている移民者たちにはその持って来た伝統などを大事にしてほしいと考えます。 こっちでは日本という国がかっこいいので尚更ですが、もっとかっこよくない国、メキシコとかアフリカからの難民(うちの近所にはソマリアからの難民が多く移住しています)の人たちは必死になって自分の文化を破棄してよりアメリカ人らしくなろうとしています。 とけ込むことが最優先ですから子供に自国語を全く教えないで英語ばかりやらせるとか。 でも国際化一方のこれからは英語圏以外の文化、伝統というのは貴重な財産と考えて大事にすべきだと僕は考えます。 (そういってもうちの子供の日本語教育には悪戦苦闘してるんですが)

話が大きくなりましたが、とにかく日本の食文化は本当に世界に誇れるものだと思います。 日本人に生まれてよかった! (笑)

(2)日本人は親切? 不親切?
新幹線に一回だけ、乗らなくてもいい短距離を鉄道きちがいのうちの息子(3歳)に体験させてやろうと乗ったときのことです。 下車する時に、間違えて他の線への連絡口でなくて、外に出る改札口を出てしまい、一般のJRに乗る切符まで特急券と一緒に機械に回収されてしまいました。 (日本の鉄道ほど複雑で難しい機構もないと思います。オロオロしている外国人に何度出会ったことか) でも親切なことに駅員さんにそう言ったら完全にこちらの間違いであるにも関わらず、わざわざ機械を開けて回収された切符を探し出してくれました。

本当にこういうところでのきめ細かいサービスは日本のいいところです。 もう一つ感動するのはいつもレジで店員さんが非常に丁寧に、客の前で見やすいようおつりを勘定して確認してくれること。 アメリカではそんなこと絶対やってくれませんから、おつりなどよくチェックしないと間違ってることも珍しくありません。

が、ある日スーパーで迷子になっている子供を発見。 かなり混んでいる時間帯、僕とはレジをはさんで反対側だったので人ごみの中すぐ駆けつけることができなかったのですが、僕が歩み寄るより前に店員さんが対処してことなきことになったんです。 ただその子が泣きだして(僕がそれに気づいて)、明らかに迷子だとわかってからその子が店員さんに対処してもらうまでその間、3分ほどあったでしょうか? レジの前の長い列に並んでいてその子の甲高い泣き声が聞こえていた人、すぐそばにいて声をかけられた人たちが30人くらいもいたと思いますが、子供連れの親が多かったにも関わらずその子が店員さんに助けられるまで誰も、何も助けてあげようとしなかったことにびっくり。 アメリカではそんなことありえないです。 あんなに人の多いところでママを探して泣きわめいている子供がいたら誰かすぐ立ち止まって話しかけてやるはずなんですが。 かくいう自分もちょっと距離が離れたところにいたのでまず最初に思ったのは「誰か近くにいる人が助けてあげるだろう」ということですが、しかし並んでいる人々がその子に全く助けの手を差し伸べてあげる気配がないことに気づきそちらに向かい始めていたんです。 あとで知り合いにこの話をしたら「みんな自分の問題ではなくて店員が対処すればいいことと思う」と言われましたが、そうなんでしょうか? 

似たことで、自分の家族の話になるのでなんですが、電車に乗っていて乳幼児ではないにしても大きな3歳児をだっこして立っていた妻に席をゆずってくれた人の少なかったこと! ある晩などちょっと予想外に遅くなり、夜10時くらいにくたくたに疲れた顔をして立っていたうちの6歳児が目の前にいるのに、大の大人が憮然と座っているので、ついに見かねて「すいません、うちの子にどなたか席をゆずって下さりませんか?」とリクエストせざるを得ませんでした。 それでも返ってきたのは渋々、という表情。

日本人は親切なんでしょうか、不親切なんでしょうか? 仕事中はきめ細かいサービスを提供することを強要させられるのでプライベートになると一気に自分の世界へ退却してしまうということなんでしょうか? あまりにそのギャップが激しいので正直面食らってしまったというのが正直な感想です。

(3)経済的な希望

日本にいて新聞やニュースなどを見ると、やっぱり目につくのが高齢化、少子化、そして経済への不安といった話題。 違うな、と思ったのはこっちでもまだ不況中で経済は全く良くないんですが、アメリカではみな「いつ回復するのか」とじれったく待っている感じですが、日本では「もう駄目だ」というか、こちらにある「経済は回復するもの」という大前提がないような気がしました。 日本人はあんなに勤勉で一生懸命働くし、日本は物質的にもとても潤っているのにどうして経済は回復するもの、という希望が持てないんだろうかと思ってしまいました。 

これは色々な要素がある大きな話なんでもちろん一概にはいえないんですが、根本的にはやっぱり文化の違いがあるような気がします。 アメリカはやっぱり開拓者の国であり、自分の手に頼って切り開いてきた歴史なわけで、政府がなんといおうが専門家がなんといおうが自分が正しくて自分でどうにかできる、という不骨な精神があるんですね。 悪くいうとやっぱり利己主義で他人を信用しなくて非常にやりづらいんですが、でもその「自分を信じる」というところはいいことだと思うんです。 日本人はスポーツとか枠組みが決まっているところでは根性とか努力とかかなり力を発揮できるんですけど、課題が他から与えられなくて、自分で何をすべきか考えなくてはいけないところになるともろいというか、いまいち自信がないような気が。 謙遜で美しいところも多くある文化ですが、自分は能力がある人間なんだしこれまで克服してきた困難のように現状も打開できるもの、と信じられているかな、と考えるとそう思ってはいないような気が。

前にもお話したと思いますが、日本には世界に誇るものがいっぱいあり、アメリカでも外国の中では日本はとても「かっこいい」国の一つとしてとらえられています。 特に最近は青少年向けのポップカルチャーでは日本の影響はすごいもので、アニメ、漫画、ゲームというのは日本の輸出業の軸となる分野なんではないか思ってしまいます。 それこそ世界中の子供が影響を受けて育つ日本なんですし、そういう地位を持つ国になれたのも日本人の力なわけですから、世界大恐慌にしても戦後の立て直しにしてもそうですし、今の状況も耐えて頑張ればきっと乗り越えられるもの、と希望を持ってほしいですし、そう自分たちの力を信じてもらいたいと思います。 話が短絡的になりますが、少子化といっても子供がいなくなるわけではないし、経済が悪いといってもお金がなくなるわけではないんですから、従来のやり方が駄目になったら新しいやり方をつくればいい、と前向きな姿勢は失ってほしくないです。 

と偉そうなこと書きましたが、あんまり毎日やることは変わらないですよね。 僕も帰ってきてしまうと日本にいた時間が夢のように感じてあんまり現実味がわかないんですが、でも色々吸収してきたこと、考えたことは刺激になりましたから、また自分も自分の目標へ向かってよちよち歩きを再開したいと思います。

ではまた次回。


投稿者 ari : 2010年11月 7日 01:35