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2008年6月13日

第14回 練習の目標(1) 楽しくやる

日本人は他の文化と比べると真面目によく練習するので一般的な技術レベルはは高いです。

でも何を目標に練習しているのか、というとそこはなかなか焦点が絞れてないことも多いです。 これは日米同じ。

練習することによって何を成し遂げたいのか。 これは人それぞれ、と言いたくなりますが、実は皆に共通する究極の目標というものはあります。

  1. 楽しく弾くこと
  2. 自由に自己表現できるようになること

この2つがそうです。

単純に聞こえますね。 でもよく考えてみると、これにそわない練習の仕方をしていることも多いということに気がつくと思います。 のでちょっとこの2つのテーマを掘り下げてみましょう。

1 楽しく弾くこと。

楽しくなかったらやってないよ、と言うかもしれません。 でも、弾いていて毎秒毎秒楽しいと本当に思いますか?

うまくなるために面白くもないエクササイズを繰り返してやったりしてませんか? 

技術を向上させるには、物理的、機械的な練習をすることが効率いいかもしれません。 でも、やっていて楽しくない練習は即やめましょう。 そんなことをして技術を向上させても第2の目標にはつながりません。 その技術を使って本当に「音楽」をつくることに結びつかないでしょう。

ああ、でも「楽しい」という表現は正しくないかもしれません。 「充実感がある」という方が正確かな? やって達成感のあるものは、まあ正確には「これ楽しい!」と感じなくてもいい後味が残りますよね。 それはもちろんいいことです。

悪いのは例えば「プロになるにはこれくらいできないと」とかいう弾くことの本質から背いた目標を持っていて、それに合う基準(雑誌とか怪しげなとこからくるものが多いにも関わらず)に達するために自分にとって苦痛(精神的にも肉体的にも)な練習を強要すること。

で、やっていて「本当にうまくなってんのかよ」とか思って、しまいには向上が感じられず嫌になってしまうとか。

楽しくないことは続けられません。 無理して続けても必ずどこかでその無理がたたって持続できなくなります。 「プロになる」とか「あの人のように弾けないと」とかいう、いわゆる結果だけが目当ての目標は捨てましょう。

特にプロになることについていえば、プロになって続く人は、「プロになるほど好き」な人たちです。 要するに寝ても覚めてもギターきちがいで、金にならなくても有名にならなくても関係ない、ギターを弾いてられたらもうそれだけで幸せ、そういう人たち。 

ヘタの横好き、といいますが、実は好きになることイコール上達することです。 好きでない音楽やエクササイズをやって上達しようとしてもできないんです。

練習本をやってフレーズを鵜呑みにしたりするのはこの最たる例。 どんなにたくさんフレーズを「記憶」したところで、楽しくやってなければ人の心を打つ音楽はできないです。

じゃあ逆にどうしたらいいのか。 

あんまり考えすぎないで、とにかく弾いてて楽しいと思うことを弾いてればいいんです。 弱点を克服するとか、何ぞの基準に到達するとか、そんなことは気にせず、ひたすら弾いてて楽しいことを練習しましょう。

例えばスケール練習するにしても僕なんかはただのスケールは嫌いで、スケール練習を取り入れたエチュードというか、音楽として成り立つエクササイズが好きです。 ただスケールを上り下がりしているだけでは僕としてはその行為を音楽をつくるという行為の接点が見つけにくく、(もちろん頭ではわかってるんですが、感情レベルで)すぐ飽きてしまいます。 持続できませんし、うまくもなりません。 でも音楽として成り立つエチュードはいい曲を弾くという観点からみて面白いですし、やりがいがあります。 

ただ勘違いしてもらいたくないのは持続しなくてもいいとか、行き当たりばったりでいいとか、気まぐれにその日その日の気分で弾いていいとかそういうことではありません。 

肝心なのは、まず弾きたいと思うものをみつけて、それを弾くためにやってて楽しい練習の仕方をするということです。 

例えばタッピングがしたかったら、どこかの教習本から見つけてきた無機質なエクササイズをするんでなくて、実際に曲の中で使われているフレーズを(理想的には耳コピで。でもこれもやっててイライラしたりとかするようだったら遠慮なく挫折して本を買ってみましょう)練習することをお薦めします。

英語や外国語を習うのとプロセスが似てるんです。 ここも一般の教育は機械的、というか本来自然な習得の仕方と逆なアプローチをすることが多いです。 すなわち、言葉を大量に覚えさせたら使えるようになるだろう、と勘違いしていること。

でも使い道もない単語を覚えるなんて、モチベーションを保つだけで膨大なエネルギーを使うんで、実際に身につけて使うというところまではほとんど到達しません。

逆に、言いたいことを見つけて、それに必要な単語を見つける。 これをやると一発で覚えられます。 何時間も参考書を見つめる必要ゼロ。


音楽も同じです。 弾きたいことを見つけて、それを練習する。 やってて楽しいことを弾く。 どこの偉い先生が勧めた練習法でも、やってて楽しくなかったら「これは自分には合ってない」と素直に認めて他のやり方を探しましょう。

うまくなるというのはプロセスですし、道が一本なわけでは決してないです。 大事なのは向上すること、持続させることで、結果全てではないです。 人生の目標全てについていえることですが、その目標を到達することがもたらす利益を目当てに目標選ぶんではなくて、その目標へ向かって邁進する、その過程が楽しくて充実している目標を選びましょう。 人生ってのは目的地で過ごすんではなくて、目的地へ向かう道で過ごすものですからね。 その道が楽しくなるようなアプローチをすると目を見張るほど前進しますよ。

日本人は「根性」とか「我慢」という美学があるので、苦しいこと、楽しくないことでもかなり許容できてしまいますし、社会の中にそれは人生にとって普遍的なものだという考えが浸透しています。 根性があり、我慢ができるということはいいことです。 (アメリカ人にもそう認識もらいたい思うことがしょっちゅうあります) でもこの考えが悪い方にも傾いてしまって、目標は到達が全てで道中は効率が第一とか、人生とは楽しいもんではない、とかいう結論に達している人も多いです。 これはでも歪んでいるばかりか、実は目標到達には全く逆効果なんですね。

これには練習時間も入ります。 どんなに楽しいことでもやりすぎると疲れてしまいます。 初心者は練習できる範囲が少ないので練習時間が短いのは当たり前。 誰それが何時間練習しているというから、とかいう理由で長時間の練習を強いるのはやめましょう。 楽しくなくなったらやめて、また次の日にすることにしましょう。 上達してきて、やってて楽しいことが増えたら、自然に練習時間も長くなります。 無理強いしないことです。

歯を食いしばって耐えなくてはいけないことはもちろんあります。 でもギターの練習はその一つであってはいけません。 

楽しくないことは極力排除して、ひたすら楽しいことを弾きましょう。 ギターを弾いている時間の毎秒毎秒が充実感に溢れて満たされた体験であるように。 それが上達のコツでもあります。

これを読んで肩の荷が下りたと感じられる人も多いんではないですか? 要するに難しく考えすぎずに楽しく弾いてればいいんです。 プロになるとか、ロックスターになるとか、そういう結果は置いておいて、純粋に弾いてて楽しいことをやりましょう。

そうするとすぐにうまくなりますよ。

では次回はこの続きを。


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最後に、先日の秋葉原での悲劇についてちょっと。

ああ、日本でもおこっちゃったか、という気分ですね。

例のコロンバイン無差別殺人のような事件が。

全く残念、というか本当にやりきれない気分になりました。 

悪循環に陥ってるようですからね。 悲劇がおきて、マスコミがあおればあおるほど、人々の頭の中にその恐怖心が植え付き、また不安定な人にはこういうことができるという可能性が芽生える。 そしてまた似たような事件が起こるというように。

加害者を正当化する気は毛頭ありませんが、しかし未来の加害者を未然に察知して癒してあげないとこれからももっと病んだ心は増えて、溜まった痛みの爆発が起きてしまいます。

社会問題とは、皆の身近な問題。 静かな人ほど内に秘めている感情は激しいということもあります。

あなたの周りにいる人に温かい声をかけてあげることが、亡くなった人々への弔い、また家族や友人を失った人々への励ましになるのでは、と思います。

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投稿者 ari : 2008年6月13日 14:06